虐待児のニュースを観ると辛くてすぐスイッチを消してしまう。
それでもSNSで様子が流れてきて、ようやく事件の概要を知った。そしていつもの「あんなにいじめるなら家の子にしてあげたい!」「かわいそうに!」「許せない!」というタイムラインが流れてくる。そのたびに思うこと。
そうだね、そのとおりだ。私もこういうニュースが流れてくるたびに
「じゃあうちにちょうだい!」
と叫んだことは一度や二度じゃない。
いつかの大阪の二人も餓死させた報道を見てたときも思わず叫んだ。不妊治療真っ最中だったしね。善人ぶってるわけじゃなくて心底そう思ったんだ。そう叫んだ人きっと多いよね。子供がいる人も不妊の人も。
でもね
じゃあ、今それやれるのか。今いじめられて保護されている、たとえば施設にいる子供を引き取れるのか、というと
それはできないんだよね。
「うちにくれよ!」って言うなら、今、ここ、現在苦しんでる余所の子を助けられるの?なんて自問自答する私はおかしいのかな。でも、ほんとにそうしたいなら、そうできるんだよね。
お金と時間と労力をかけたら里子をもらう、という選択肢だってある。
しかし、私達夫婦の不妊治療は、何度も何度も話し合ったけど、
二人の血筋の子供が欲しい
それにつきたんだよね。
私も夫の子供が欲しいからこそ辛い不妊治療にチャレンジしたわけだし
夫は「自分の遺伝子が受け継いでいるから可愛がれるんだ」とはっきり言った。「だから養子はとらない」と。
冷たいなと夫のことを一瞬思った。
私は子供が欲しくてしょうがなかったし、血筋なんて家族になるためには関係ない!とも考えていた。私は夫と「家族」が作りたかったんだ。
「家族」には子供が必要だと考えていた。だから私は結婚したんだ、とも。
何度も何度も数えきれないほど考えてチャレンジした10年だった。
しかし、公式の里子制度は年齢制限にも引っかかるし、沢山のハードルがある。欲しいから、ていってすぐ引き取れるものではない。で、諦めたんですね。
公式な手続きを踏まなくても色んなルートでお金をかければ養子をもらえる道があるのも知っていた。沢山調べた。外国に行ってチャレンジする人のことも。
しかし、そうしなかった。
今はただそうしなかった、という現実だけがある。
今はそれで良かったと考えている。
夫のことを冷たいと思っていたけど
私だって何もかも振り捨てて自分以外の命を育てるだけの力と意思がなかった。
それは「今の仕事を捨てたくない」「お金がない」「体力がない」「もう自分の老後だけが大事」「私は自分一人の時間が好き」というエゴがはっきりとあるのが分かる。
そういうのは子供が出来たら変わるよ?という意見も聞いた。そうかもしれない。でもそうしなかった。そうならなかった。
そして、何よりも、「子育て」という過酷な事業をやりぬくには、やはり血筋と遺伝子は必要な場合がある、という結論だ。少なくとも私には。
博愛精神や人を愛する力(パワー)がある人ならきっと血筋でない子供を愛せるだろう。
しかし、私には無理、ほんとにすいません、ごめん、だめだ、と心底いまはそうだ。
何度も書いているが、私は発達障害の気があり、母親もまさにそれである。とても愛情深い母性のある人だが、不適切な発言や、空気が読めなかったり一つのことしかやれない、その他強烈な攻撃性、被害者意識などの性格がある。(しかし精一杯育ててくれ自分のキャリアも捨てなかった母親には感謝している尊敬している)年をとったら穏やかになってきているようですが。
実母に対して、長い間、あまりにも心の通じなさかげんで世間で言う「毒親」というやつかとまで思っていた。家出も何度も繰り返したし、10代の終わりから家を出て、ろくに交流していない。だから私は実家のことを思うたび、いつもピンとこない。幼少時の辛い思い出が今でも蘇り、夢にうなされることがある。こんな50歳近くになっても。
しかし、どうも近年になって、あ、こりゃ性格だな、悪気はないんじゃないか、と思いはじめた。本気でああいうことを愛情深く「うっかり」「やらかして」いるだけなんじゃないかな?と。
というのは昨年、色々あって心療内科で「発達障害の濃いグレー(?)」という診断を受け、家系から何から相談して、まあ、当たりだろうと確信したからである。(3軒医者に行ったので誤診ということはまああるまい)
ああ、あの人もそうだったのか、だったらしゃあないわ、と突然
憑きものが落ちた
しゃあないわ、と思えない人もいるでしょうが…。私はアスペなんで、理屈でこうこうだからこうなんだ、という道筋がついたら納得してしまうのだ。(その点ではアスペってお得である。)「悪意はない、発達障害だからなんだ。」と。
私はこの年になって同じ性質が色濃く受け継がれているのを感じている。
あの人の「やらかし」は自分とまったく同じやんか…。と。
情緒的な共感がまったくできない。女性同士の優しさの交流具合や距離感が下手くそ。エゲつない本音を大事な場面で発してしまう、など。
最近、精神科医の水島広子さんが、書籍を発刊されました。
内容は、ひどい親=流行りの単語でいう 毒親 は「発達障害」であることが多いのだ、と。
ああ、そうか、それだったら仕方ないな。
発達障害は最近は(これまた流行り)知られてきて、脳の特性であり、障害という言葉はついているものの、多くの人にその傾向がある。ADHDは確か50分の1くらい。ASD(いわゆるアスペルガー)は100人に一人くらい。どちらかだけというのも少なく、両方の人も多い。(私はASD寄りでADHDもあると言われた)こんなに多ければ障害というより、現代に発見された脳の不利な特性、と言ってしまってもいい。
嫌われ者、浮いてしまう人、やらかしてしまう人は結構それ。努力が足りないんじゃなくて(むしろ生き辛くて努力を本人はすごくしてる)、そういう脳の仕組みだと。最近になって発見されたにすぎない。
毒親と言われて糾弾されている人達はそういう脳の特性から子供にひどい接し方をしてしまうことになるのだと。
ああ、そうか、それだったら仕方ないな。
と。なんか腹落ちしました。
今の私があのときの母と同じ年で、今子供がいたら同じことをやらかしてしまうだろうな。と。
はじめて、許せた、というわけではないです。が、諦めることができた。
諦めたらもう夢に出なくなるだろう。出てますがいまだに。でも回数が減ってきました。だんだん、許した、許せるようになった、ということになるのか。
たぶん、自分が許してほしいんだろうな。世間に。世界に。
押入れに閉じこもり絵を描いて風呂にろくに入らない理屈をこねてばかりで偏食で笑顔のない少女をどうやって愛したらいいか母親は分からなかったろう。一人だけならともかく4人もいたら食べさせるだけで一杯一杯だったはずだ。
私がだんだん家の中で悪役、スケープゴートのようになって、やがて自殺願望が止まらず外の世界へ行ったことは母にとってみればあの当時の言葉で言えば「グレた」としか言いようがなかったろう。他の兄弟姉妹にしても迷惑千万だったに違いない。たぶん他の兄弟も不全感を耐え抜いて生き抜いていたのだろう。
私だけ耐えきれず外に激しく出ていってしまった申し訳なかったとも何度も思うが、あのとき私はああしなければ生きていけなかった。分かってほしいとも許してほしいとも思わない。ただそうしてきた。黒歴史っていうが黒しかないの。10代も20代も30代も。
どうやって生き延びたかろくに覚えていない。あのときの一つ一つを誰もしらない。言葉にするのもいまだに出来ないことばかり。風俗や依存症、犯罪に陥らなかったのはただただ運が良かった。いま生きているので泥をすする力だけはついているのだと思う。
誰でもいつかはそうして「外」に出るのだろう。しかし、かなり早い段階で私は家を捨ててしまった。だから、かなり歪な情緒である。
しかし家にいたら死んでいた。壊れていた。だから後悔はしていないです。
文字通り飢えた。いつも食べ物を探していた。精神も身体もいつも病だった。思い起こせば、色んな人に助けてもらった。愛したり愛されたり裏切ったり裏切られたりした。家庭という温かい粘土のような密閉された場所で守られ情緒を養うことを捨てたかわりに自分で選択する自由と不自由さを知ることができた。
「歪な人」だと何回いろんな人に言われたろう。
しかし、生き延びた。
こんな私が生きているから「かみさま」はいるのだと思う。「ほとけ」でもいい。
話は戻りますが、ああ、あの人もそうだし、私もそうだった、という結論から
私に子供がいたら、確実に私の母より不適切なことをやらかしてしまうだろうし、きっと毒親になってしまうだろう。(毒親かどうなの定義は、根底に愛情があるかどうかは別のことである。適切な接触ができるかどうかが教育には鍵なのだから。愛があっても毒親にはなるのだ。)
血筋でなければ余計にそうなるだろう。
きっと私が施設から子を貰うとしたら、無意識に自分が育てやすい、かわいい子、小さい子を「選ん」でしまうだろう。それこそ虐待ちゃうか。
辛い目にあった子供が私の元に来て更に不幸になってしまわなくてよかった。養子を貰う方向でなくて良かったと。
だからきっと今の私にできることは
子供を可愛がれる能力のある人が頑張って活動している(子供食堂や養護施設、里子を育てている家庭)私にはない能力で利他的に活動している団体や人を応援することだと考えている。
ありていにいえばお金、寄付をすることだ。少しずつでいいから。政治的にも。
それくらいしかできない。偽善だ。でもこんなに能力のない私が事件が起きるたびに「私にその子供をくれたらいいのに」とネットで流すよりも有意義な偽善になるだろう。
また孤独な子育てをしている人を見かけたら絶対に味方になる。電車とか公共の場で。泣いてたら笑いかけよう。それくらいだ。ほんとそれくらいだ。ごめん、ごめん。自分がやれないようなことをやっている人達とやってきた人達と私の母にありがとう、ごめんって。私は産まない人になります。
謝ることじゃないんだろうけど。つい謝っちゃうんだよね。本能じゃないかな。そういう罪悪感って。50を過ぎたらなくなるのかな。
熊の親子のNHKの番組。何度も何度も子供が殺されてしまう死んでしまうのに、何度も子供を作る母親のクマの話が出ていた。
熊は群れで生きる動物ではないから、メスに子供を産ませたら、夫(オス)はすぐどこかに行ってしまう。メスは一生懸命子育てする。熊の成長は遅い。幼児の子クマを育てている間に別のオスがきて発情する。自分の交尾のために、メスを発情させるために、他とのオスとの間の子供を殺してしまう。
毎年その繰り返しで、メスは子供を成長させることはできない。
そういう残酷なルポ。
ナレーションは「今年こそ、子育てに成功するといいですね!頑張れ~^^」という声で番組を締めていた。いや、たぶん来年のヤラれるだろう。生き残るのは本当に運のいい熊だけ。だから、頭数が少ないのだ。
熊も人間も一緒だ。
産み育てきれない熊がいる。
産まない選択をする熊はいないのかな。私のようなエゴイストな熊は。
▼この本は面白かった。子供なしの人は一読を▼
*1:新潮新書