かかっていた心療内科に「なんかこの本の一文にASの人にもコンサータ効くらしいとある。処方してみてくらはい」と言ったら
わしはコンサータ処方できへんねん。色んな事情でモゴモゴ(どうやら発達障害の薬物処方は研修とか色んな手続きがいるらしい)
良い先生なんですが、私のカルテを夫に見せたり、私の眼の動きを見て「ほらほらほ~ら!その目の動き、アスペルガーそのものです!」などという発言など、うっかりした感じにモヤる時が増えた。私のキャラを面白がってからかっている風なのが引っかかりました。
それに彼は私はADHDでなくてアスペルガー症候群そのものだと断言するのですが、幼少時に多動的だったり、最近も過集中のあまり茹で卵を忘れて干上がらせてしまうということも続いて、私はADHDの気もあるのではないかと。もう少し細かく診断してもらいたくなり医者を変えてみることにしました。
次に行ったところは、知能テストまではしないものの、やたらめったら初診に時間がかかるところで、幼少時から就職先、家族までメチャメチャ細々細々ヒアリングされました。1時間は聴かれました。
結果、その違う医者が判断するところ
私は発達障害「寄り」である。それもASD>ADHDである「傾向」だとの診断が出ました。一般的にASDかADHDかどちらかであるということは滅多になくて、80%の人は混合だと。
医者によって判断が違うもんなんですね。
特に投薬の必要があるほどじゃないが、生活に困るところがあれば、処方するとのことで出してもらいました。
ストラテラです。
コンサータは即効性があるが依存性があるのでうちは出さんという方針だと。
ストラテラ25ミリを1週間ためしてみることにしました。
するとですね、数日もしたら、なんかシーンとしてきたんです。抗うつ剤も以前の医者の元で試したんですが、それとも違います。ストラテラは抗うつ剤ではない。
なんか脳内が静かになってる。うまく言えないんですが「平静」とはこういうことなのか、と少し驚きました。
でびっくりしたことに
神の声が聞こえなくなったんですね。
昨年のショックからココロの拠り所が欲しくて、近所のカトリック教会のミサに出席してたんです。すると十字架のステンドグラスを眺めていると、
「大丈夫、しっかり生きよ」「おまえは一人ではない」「おまえたち夫婦には神の守りにあるからガンバレ」
などというありきたりですが力強い神のような天使のような情念が響いてきた。そうしてこの1か月ヤバい事態を乗り切ったわけなんです。
出会う教会の人々も温かく、弱者に寄り添う利他的な人ばかりなのも心が慰められました。カトリックには多様性があり、カルト性がなく布教もしつこくされず大勢の人がいて(少ない人数だと私が埋没できない。)外国人や色んな障害のある人も普通に列席しているのも安心できました。
そろそろ本格的に洗礼でも受ける講座に行ってみようか。洗礼名はデボラがいいな、などと不遜な妄想を抱きつつあったのですが
ストラテラを飲んで数日後に行ったミサは、あいもかわらず荘厳でココロ慰められるんですが、あのウワ~と励まされるような情動的な声が響いてこなくなったんですね。
飲む以前はもうなんか色々あったせいか涙が出て止まらなかったり神秘的な空気感が強烈だったんです。それほど極限に誰かに助けを求めていたんだなあ。
それが今やなんかシーンとしてて。あ~今自分はミサに来ているな、程度の感覚。
これはストラテラのせいか、それか、最大の危機を過ぎ越したのを神が視て、もういっか~こいつはそろそろ、と声をかけるのを手抜きしはじめたのかどちらかなのか。
声が聞こえなくなったのは寂しいですが、ミサの典礼に参加していると、なんか安心するのでもうしばらく行ってみます。
ストラテラはいつまで飲み続けるかは決めてませんが、夫も抑うつがまだまだ強いし、大量のデリケートなマルチタスクもある。この1年は私が一番しっかりしないといけないので、ちょっと続けて飲んでみます。
今、過集中やコミュ障は全く変わっていないものの、頭の中がシーンとなって冷静にことに当たれるような脳内なんです。例えば、過去の恨みつらみとか相変わらず時々フラッシュバックするんですが、以前なら「許すまじ、今に見ておれオラオラ」という激しい情動が「ま、いっか。しゃ~ないわ。許すわけちゃうけど、まあそんなもんだよな」という感覚に変われたのがありがたい。それだけでも飲んでみたかいがあります。
眠剤もマイスリーが自然にやまり、なんか眠れるようになりました。
どういうカラクリで効いているのか分かりません。医者は脳のなんたらというのがなんたらとか説明してくれましたが、忘れました。