自他ともに認める人付き合いが下手な人間である。(=コミュ障と胸を張りたいですが47にもなってそう自称することはさすがに恥ずかしいし、いざとなったら演技をして乗り切れる自信があるからだ)
そう、私は演技で乗り切れるのである。その時だけ。飲み会のときだけ、交流会やランチのときだけ。人づきあいをしすぎると精神キャパが溢れて壊れる。ウルトラマンのようにピコピコと鳴るならいいが、そんなタイムアラームは実際ついていない。たぶんずっと鳴っていたんだろう
宴会の終了後の次の日はとんでもなく疲れるのです。
人疲れ
です。
特に宴会の次の日はもうぐったりして家族とも口をききたくない。人なんて大嫌いだと独り言をつぶやいている。
宴会は楽しかったし、よく笑い、飲んで友人が増えて本当に嬉しかった。
しかし、これは私のような発達障害もどきの特性なんだろうか、楽しく人と会話したいと思い交流会や宴席に参加するくせに、その後日は誰とも口をききたくないほど疲弊する。ひどいときには一週間くらい「人疲れ」がくる。
むろん、酒が飲めない、というのも疲れに拍車をかけている。そのくせ昭和生まれなので、アルコールを付き合うということをついやってしまい、当然二日酔いにもなる。ビールたったの二杯で!
若いときから自分のそういう性質が分かっているので、今回も宴席の次の日は、前もって休暇にあて、ド田舎の国民宿舎に避難した。カエルしかいない田舎で口を開けたままぼ~と数時間過ごしてようやく復活した。
そうも付き合いが苦手なのに、かなりの頻度で
よくも幹事を引き受けるのだ。
なりゆきでなってしまうこともあるし、自ら引き受けることもある。何回もやっていると慣れてきて上手になるのだろう。これもスキルといっていいのだろうか?
あ~い~よ~私やるよ、とやる。自分が幹事なら自分の好みの料理や予算を組めるという下心もある。グチュグチュ女性同士がいつまでも裏を探りあいながら褒め殺しながら譲り合う振りをしてマウントする話合いが大嫌いというのもある。
ところで幹事ってどんな人がやるのでしょうか?
幹事は”優しい人””人付き合いが上手い人”がやるように一般的に思われている。しかし実態はそうではないのではないか。
幹事をすることと、人付き合いが上手いことは関係ない むしろ違う
むしろ私のように冷たく割り切り人嫌いで演技的な対処をする人間が向いているのではないか。
コミュ力が弱い人ほど幹事に向いているのではないか。
だって幹事は人間関係のトラブルが多いので、人付き合いが上手い人ほどショックを受けるだろう。信頼していた友人に裏切られたとか助けてくれなかったとか恨みそうだ。
その点、人付き合いが下手な人は失敗したところで、もともと下手だから、どうせ嫌われるのに慣れているから、と開き直れるのである。
そして、幹事が回ってくるのは
ある程度ひまがある人(自由業だと暇ではないが融通は効く)
もちろん、私が子無しだから時間がありそうだ、というのもあるだろう。
そこは屈辱とは思わず、仕事と思い心良く引き受けたいとも考えている。むしろ私のような人付き合いが乏しいママ友関係で人脈を作れない人こそ幹事をしたらいいとも思う。
なぜなら、人付き合いの上手い人は宴席に出席するだけで華があり、人脈が作れるからだ。
私のような地味なのは宴会に出ただけでは壁と一体化してしまい、終わったあとに「あの人だれだっけ?」と名前どころか顔も覚えてもらえない。
でも幹事をしたら絶対に全員に覚えてもらえるのだ。
地味キャラこそ幹事をしたらいい。人集めや連絡、店の予約、手配などすること。幹事という”役割”で人さまの縁の下のお役に立つことで、顔を売ることができ、参加者と個人的にやり取りができる。それは非常にお得なのだ。
もちろん、幹事はしんどいことが多いし、地味キャラやコミュ障は失敗することが多い。しかし、それは仕事スキルと同じで何度もやっているうちに身に着くものではないか。
満足度が高い、コミュ力のある人の素晴らしい幹事を目指さなくていい。
そこそこやったらいいのだ。
どうせ飲み会だ。人の生き死に関わるわけじゃない。失敗したところで大したことじゃない。
ノウハウ、というかコツのようなものがある。
◆まず大ざっぱであること
たいてい、予想もしないことがあるものだ
細かく対処したらつぶれる。瓦解して会はお開きどころか人間関係はつぶれる。
一番多いトラブルがドタキャンでしょう。
あるいは話が盛り上がりすぎて大人数 上司がやってくる 会場や料理が合わない人がいる、など
そのたびに「こうでなきゃいけないのに!」「こうであるべきなのに!」「こう思われたらどうしよう!」「こう思われているのでは?」などと細かいことを考えたらキリがない。
文句があるならそいつが幹事をやればいいし、あとからカゲ口たたいているのを知ったらそいつという人間を知れる試金石にできたと思えばいい。
建設的な信頼できる友人は意見があれば必ず途中で率直に言ってくるからである。
60%くらいの完成度をめざしてザックザック計画をたて、進め、告知し、どんどん変えていけばいいのだ。特に人数が10人超えた飲み会で80%以上の満足度など絶対にない。60%いけば大成功である。
宴会や集まりは60%くらいの完成度ですすめ、60%くらいの労力でことをすすめるのがいいのだ。
◆リスクに先に先に手を打っておくこと
私は他人を信頼していない。人は裏切るもの。
もちろん私も裏切る(たいていはキャンセルしないが似非宗教ぽいセミナーや暴言を吐く主催者がいたりそういう会であることが分かったら、脱兎のごとく逃げる。もちろんお金は払っておいて。もちろん誰もが体調不全で休むことは当然である)。
人は色んな事情でドタキャンしたりするものだ。そこは折りこみ済で進め、一番最悪な事態にも大らかに対処できるよう先にプランを作っておくこと。
宴会の裏切り(たいていはドタキャン)には「悪意」はない。彼等はいたしかなく善意でそうしていると自ら心から信じている。
人には色々な事情があるものだ。
自分だったら這ってでも約束を守るだの、人との絆、付き合いが大事、などはその人の価値観で、他者には他者の価値観があり、尊重をしなければいけない。
もちろん手配をしている幹事にはたまったもんではなく、裏切り行為だ!とキャンセルの知らせを聞いたら頭に血が昇るかの気持ちに陥る。
しかし、その裏切りめいたものを決して責めてはいけない。ほんとうに人には事情があり、しかるべき対処(営利目的の場合はキャンセル料支払いなど)さえしてもらえば、そのキャンセルは自由な権利なのだ。そのキャンセルやドタキャンの理由が低レベルであるかそうでないかを批判断罪する権利など幹事にはない。どんな下らない理由でもキャンセルする権利はある。
人の価値観や判断基準は様々で多様である。そこをはき違える人が多いからオンナは特にもめる。「~すべき」よね!と。
自分の価値観は自分だけのものだ。人は違う。違うからこそ面白い。だから押しつけてはいけない。
もちろん幹事はほぼ非営利ですることが多く、仕事や家事の合間を縫って手配している。そうして完全な友情と善意で動いているからこそドタキャンされたらショックを受ける。ドタキャンされた幹事こそ被害者であるのだが。
しかし決して幹事はドタキャン者を責めてはいけないし、血の昇った頭に自ら氷を載せるくらいの冷静さがないと失格である。
ドタキャンした人はドタキャンした時点で本人が一番被害者であると自ら疑ってないからだ。彼等が悪意を自覚しているなら喧嘩する意義はあるが、そうでないんだから、幹事がキ~となったり疲弊するのは労力の無駄だ。
むしろ、ドタキャンが何人くらい出るかと楽しみに待っているといい。
先日、小説「関ヶ原」を読み終えました。
誰もが知る関ヶ原という日本最大の合戦を描いた司馬遼太郎の小説です。
日和見、はっきり返事をしない、あいまいな返答、当たり障りのない嘘 良さそうな方につく 目立ちたくない 目立った人は叩きまくる 陰湿 でも美味しい目にはあいたい 一人でいたくない皆と一緒がいい でもちょっと上でマウントしたい ヤンワリとした断り文句 嘘や美辞麗句 お世辞にヨイショ
の人間関係のそのものでした。これが日本最大の戦争の実情でした。
武将全員が、東軍西軍どっちでもいいが、この飲み会に参加しなくてはいけない、あるいは参加する振りして参加しないでいるにはどうしたらいいかとか探っているんですね。
まさにPTAや町内会そのもの、日本の縮図
石田三成はこの日本人特有の日和見、曖昧さを嫌い正義を貫こうとした。
対する徳川家康はこの日本的な卑怯な曖昧さを受け入れ、それを利用した。
それが天下を分けたのでした。
宴会幹事をしたらこのどっちつかずの日本人らしい曖昧な同調圧力傾向に苦しみますが、関ヶ原ですらそうだったんだ。仕方ないです。
「関ヶ原」は日本人ならではのドタキャン小説です。
ありとあらゆるドタキャンパターンが出てきます。これから幹事をやる人や何かの主催者は一読されるとよいです。
読めば幹事ストレスが軽減されるとは断言できませんが、諦観はできるようになります。自分は今、カ~ときて石田三成になっているな。あかん、あかん、徳川家康のような気持ちにならなくては。と心の調節が効くようになる。
つまり、色々あっても堪えなくなります。
美辞麗句な嘘でドタキャンされたらそれに返す美辞麗句も用意しておこう。
「それはそれは大変でしたね。どうかお大事になさってくださいね。また機会がありましたらどうぞよろしくお願いします。」
とテンプレを。
どうせ、SNSのタイムラインで宴席後の楽しそうな写真が流れる、それだけで彼ら彼女たちは多少さびしい思いをするんだから。それだけでいいじゃないか。
もちろん、あからさまな迷惑ドタキャンを本人にチクリとでも責めたくなることもあります。
しかしそれは相当の覚悟がいる。責めるなら彼等とその周辺人物たちと縁を切る覚悟のときです。
だからその覚悟がない場合、ドタキャンの言い訳は聞こう。ただし、脳内で右から左に受け流しながら。嘘の場合がもちろん多いのだから。祖父が急病で、子供が熱で、仕事が急に。私ももちろん嘘をついたこともある。嘘はついてはいけない、なんて法律はないですもん。
ドタキャン人を責めたりせずにすむように、悪意はない(が無神経な)彼等彼女らを恨むことをしないですむように。恨んだら自分が損するから。
万が一のことに対処できるようにプランはいくつか用意しなくてはいけない。人数と予算、時間に幅を大きく持たせておこう。
たとえば、店は3軒くらい候補を下調べする。人数把握は店側の締め切りより多少早めに告知しておく、などだ。幹事なら当たり前のことだが、意外に店の意向をそのまま正直に全員に伝えてギリギリに全員を混乱させてしまうことも多い。
◆主婦層に注意せよ
子持ち専業主婦層である。悪口が言いたいわけではない。(いや少しは言いたいのかな)ただ、宴会幹事をするにあたり、彼女たちには人一倍気を遣い注意を怠ってはならない。
彼女たちのドタキャン率は非常に高い。
もちろん前述のように悪意があるわけではないと知っている。むしろ、彼女たちは集まりに行きたいと心の底から渇望しているのだ。
しかし、現実がそうさせない事情もある。
家事や子育ての時間とのバランス、家族の意思や経済的な面で。だから本来なら主婦層が参加しやすい時間帯や予算にすればいいのだが、しかし宴会の主目的がママ友の集まりではない場合、やはり夜のみや居酒屋になってしまう。主婦層のみに配慮することはできない。
ほんとうにすいません計画が悪くて、と幹事は謝辞の気持ちを持って主婦に接するべきだ。(ほんとうはそうでなくても)
PTAや町内会的なノリで彼女たちは幹事に返事してくる「行きたいのよ、でもね…」「行けたら行くわ」と。
そういう人は断ってきているんだから深追いしないのがマナーだと心得ておけばいいのだが中には曖昧な返答ではなく、本気で「必ず行くわ!」と返事してくる主婦がいる。そういうのが一番困る。本人たちは本気で行きたいと思ってくれているのは嬉しいのだが、現実的に蓋を開けてみたらダメだったというケースが多いのだ。
今回も2人直前になってキャンセルしてきやがった。両方とも専業主婦である。予想していたがやっぱりそうである。子持ちの主婦がいけない、ということではない。「行く行く!もちろん」「やろうよ飲み会!」と自ら発案やノリノリでいながらドタキャンする。その理由は、もちろん子供である。
嘘だとは思いたくないが、まあ、大半が嘘であるw
自分に幹事の矛先がきそうだ、とかメンバーに嫌いな人がいそうだ、仲良しさんがいないわ、子育て層が少なそうで自分が楽しくなさそうだ、と分かったとたん手の平を返すのだ。「子供が病気で」「参観日で」「子供の試験で」「主人が子供を見てくれないの」
いや、宴会の日にちはずいぶん前から分かってたはずですね。で子供は高校生とか大学生とか言ってませんでしたっけ?子供梨と飲むのはそんなにつまらないですかね…。(なんて僻んでしまうこともある)
こっそり「私は幹事の手伝いがしたくないのだ、率先してつい企画をやるやる言ったけどやはり自信がないのだ、だから逃げたいのだ」とか「あの人にどうしても会いたくないから参加はしたくないのだ」でもこっそり言ってこればいいのだ。あるいは「めんどくさくて行きたくなくなったのだ」「疲れたからただただドタキャンしたいのだ」など。そんな気持ちは主婦でなくても誰でもある。
そんな場合は心よく助けるだわよさ。うまく言い訳しとくがな。
しかし、事欠いて自分を良く見せたいのか、ラインやらメールでいかに行きたいのに行けなくなったのか、出会いに感謝しているのかまるでポエムのように延々と書いてくる。「残念!ぜひ出てほしいのに!」と返答されチヤホヤ惜しんで欲しいのが見え見えである。そんな自己承認に飢えているのかと可哀想になるが、そんなものをタイムラインに流されたら、空気が変わりドタキャンを誘発するではないか。我も我もとキャンセルしやすくなるのだ。
幹事の気持ちを考えろよ。積極的な明るいポジティブなムードを当日まで保つために、誘い文句とかこちとら必死に工夫してるんだよ!
やっぱ専業主婦はかなりの割合でドタキャンする。これはしょうがない。東から太陽が昇るように、主婦がドタキャン率が高いのは宿命である。特に専業主婦は長期に渡り社会的契約感や空気感を失念しており、幹事の経験が乏しいので、非常に気軽にキャンセルドタキャンしてくる。
昔、最初の幹事をしたとき、本当につらかった。ドタキャンが多く、自分が嫌われていたのかとか何か嫌なことを彼女たちに言ったりしてしまったのか、とか。もちろん幹事初経験やら未熟で、あれもこれも至らなかったと反省することは多々ある。しかし、ドタキャンキャンセルはほぼ100%「専業」主婦たちである。(長いことパートなりでも仕事をしている主婦さんはドタキャンはしてこない)
子供のいない私がいかに子供のいる主婦と仲良くなろうとして色々やって、こうして幹事もしては頓挫した。
子持ちと子無し、やはりそこには深い溝があるのだ。
彼女たちには時間がない上に、突発的な家族のトラブル等がある。
もうすぐ50代で、そうなれば時間の増えた主婦と仲良くなれそうなのでもう少しの辛抱だとも思うのだが。早くみんな卒母して私と友達になってくれや。
昔の30代のことで、とある集まりである子持ち専業主婦と話がはずみ、じゃあ二人で幹事しよっか!という話になり、じゃあこれこれの手配をお願いね、とお願いしたとたん「子供が…もにょもにょごにょごにょキャンセルするわ」と言い、断ってきて、子供さん大学生でしたねwでもしょうがないなあ。じゃあ私と他の独身女性とでやろうかとなんとかかんとか苦労しつつ当日を迎えたら「大丈夫だった!」と言いながら前日に参加表明してきた。
そして人一倍飲み食いし、しゃべり愚痴り、楽しんで帰った。まるで彼女の誕生日かというくらいに。
その後、SNSをフォローしてきたりしたが、もちろんブロックしたのだった。
今回もその思い出があり、主婦さんには要注意だな、と思っていた。
◆「行けたら行く」は追求しない
もう一人の幹事にも「行けたら行くわ」と言う人を深追いしてはいけないよ。と忠告したんですが…。
どうやら彼女は若いうえ関西人ではなかったらしく、「行けたら行く」を文字とおり言葉通りに信じてらっしゃった。で、その主婦数人、何人もの曖昧な返事の結論を当日ぎりぎりまで待っていたらしい。(関東人の「行けたら行く」は本当に来るらしい)
つまり、真に受けたのだ。
この場合は、その主婦さんたちが気の毒である。せっかく当たり障りなく「行けたら行く」と”お断り”していたのに。
◆真に受けないのも幹事の仕事である
もちろん「行けたら行く」なんて日本語ではないし(行ける?or行けない?の二択の質問に対する返事ではないw)
本当に「行けたら行く」人は「何日までは予定が分からないから何日に返事するわ」と具体的に言ってくる。
「行けたら行く」は処世術の返事なのだ
特に主婦層は、夜、子供を置いて飲むなんてやりにくいのだ。そこは計画を立てる幹事の責任もある。「行けたら行く」と返事されたらしつこく誘ってはいけないのだ。
しかし、今回ばかりは幹事パートナーが主婦の「行けたら行く」を信じ込みすぎて、人数を多く見積り、変更が多くあり、さらにはやっぱりの主婦キャンセルが続いた。折りこみ済みのトラブルだが、本当にあるある、である。
しかし、お子様3人もおられる仕事主婦の方が今回参加してくださって、とてもその人の人柄に感動しました。お子さんを人に預けるなど大変だったろうに。お話できて嬉しかった。家事に仕事に私の数倍努力しておられて、年は近い方で、子育てがひと段落ついたらきっとまたご一緒できる機会があるだろう。
彼女はお気楽キャンセル専業主婦が数人いた中の泥中の蓮の花のようだった。
きっと次回は彼女のような子持ちの主婦さんが無理をしないですむ計画にしよう。子供を連れてこれる場所、あるいは出席できる時間帯で計画を練ろうと思った。
◆ドタキャンしない、それだけで信頼できる
他にも 宴会にありがち もっと早い時間に遅い時間がいいだの 仲の良いあの人とだけしゃべりたい人やら なぜタバコが吸えない あの人に声をかけないのは不公平だ あの人を誘うならあの人もだ いやあの人は誘うな 飲めない飲みたい 予算がどうのとの色々ありましたが
(「べき」とほざくヤツはそうまで云うなら幹事を代わればいいものを絶対に変わらない。)
全て想定内だったなと。(たぶん参加してくださった方には不満も多いだろうなと)
しかし、不満があれどもこんな色々不手際な私が幹事でも 何とか参加してくれ、ドタキャンしないでいてくれる、それだけで、信頼度があがるのでした。
結果、みんなでほんわかと楽しそうにしていただいて、最後はてんで勝手に二次会に向かい(上手くいかないと時間通り散会する。もっと話をしたければ二次会が自動発生する)参加者同士仲良くなって縁を繋いでいる感じがしていたので、一応、成功だったなあ、と思ってます。
きっとこんな感じでまた幹事をして宴席でアレコレ余計な動きをして
ああ、人に疲れた、失敗したかも と落ち込んで疲れて田舎に行き
そしてまた人恋しくなって関わりたくなるんだろうな、と。
これを読めば幹事の気持ちが分かる?▼