またもやキモジ●イがやってきました
昨日の営業は無事?終了しました。こんな平和な営業日は久々です。変な人に必ず一日数名は遭遇し、絡まれていましたので、、、。
しかし、一人だけいました。
並み居る不快客(正確には”客”ではないです買わない人らなので)の中でもトップレベルの気持ち悪さを誇るあのジジイが昼過ぎ、また居座りにやってきて、全身が総毛立ちました。
が、目を見ないように返事は適当にしてやり過ごしたら帰りました。
今日こそ居座ったら警察を呼ぼう(とはいいつつ、躊躇しました。通報されたら自殺しそうなほどメンタルが弱そうな人なんで)かなと思いましたが、相当に残酷にそっけなくしたら帰ってくれました。
ほっとしました。
警察に頼ればいいという安心感
前回検討した交番の助けを借りる、という対策も功を奏しました。
日に何度も警察の人が何気なく通ってくれ、白い歯を見せてくださいました。ポリスの人が何かしてくれた、というより、いざとなったら交番に行けばいいのだ、という安心感が良かった。私に強さを与えてくれた。以前なら気のふれた老人にそっけなくなんてしたら、逆切れされるかも、と恐怖していたのです。
今回からやってみた対応策
一番効果的だったのが目をみない合わさない ということだったと思います。
夏のような蒸し暑い日だったので、アーケードには何時もにも増して変な一人歩きの爺さんオッサンがゾンビのようにウロウロしてました。(勤め人の人ではないです。一人で男性が歩いているだけの人ではないですよ)
道の真ん中を酒でも飲んだかのようにフラフラヨロヨロはましな方で、ぶつぶつ何かをつぶやくのはデフォルト、歌をうたったり、見えないだれかに悪態をついたり、シャドーボクシングならぬシャドー泣き付きとか。誰と話をしているのか、、、。
共通しているのが不潔だったり、匂っていたり、洋服が古すぎて破けていたり、です。
色々な人がいるのがアーケード
アーケードの名誉のために書きますが、そんな人ばかり歩いているわけではありません。
ほとんどが明るい観光客やカップル家族連れです。特に今は、インバウンドな外国人ツアーが多いです。満員電車みたいに人通りが多いこともあります。とにかく賑やかです。私はそういうのを目的に営業販売業を営んでいるのです。
夕方からは楽しいことをしたい明るい観光客で殺到します。暇な老人が絡んでくるのは昼すぎです。なので、治安が一番悪いのは、意外にも深夜でなくて3時~夕方になる前あたりなのです。明るい良い客が溢れているときは変な人は寄ってきません。寂しくて回りを興味ありげにウロウロしますが、はじけるような健康な笑顔の人々の中には入ってこれないのです。(一方、前回記事にした、柄の悪いヤンキーには同類と安心し仲間に平気で入ってきます。客層は大事です)
アーケードは不特定多数の人があまりにも多く行ききする(百貨店やモールは警備員の人がいる)ので、10人に一人くらい、変な人がいるというだけのことです。
楽しい目的がある人は目的地にさっさと行き、変な人は暇で寂しいので、無目的に店舗や露店を邪魔するのです。私の営業日は平日なので、絡んでくる男性一人客は、自然と堅気ではない、あるいはかつては堅気であったいう人が大半となります。
老人やオッサンが私の店舗をかっこうの暇つぶしに、漂い、居座り、絡み、ストーキングし私は今まで多大な迷惑を被っていたわけなのです。
夏が近づくと、ほんとうにそういう人が倍増するんですよ。ウンカのように。対策を練らないと運営営業が危うい状態だったのです。
ジジイ撃退スキルステップアップ
今までは定型の「いらっしゃいませ」を言っていたので、彼らは居座った。そこを反省して、前回の営業では、それを辞めてみた。
そして、今回はそれを更にステップアップして「目を合わさない」という段階に移したのです。
それは効果抜群でした。
ゾンビのように歩いている年配男性一人客、彼らが店や看板や私自身を眺めている(そういう人は国にお金をもらっていて暇なのでほぼ100%の確率でジロジロ見てくる)のを察知したら、以前なら目を合わせていたところ
目をさっとそらし、足元を見て、彼らがこちらをかなりジロジロ見ているのはめっちゃ分かるんですが、見返す、という誘惑をぐっっと堪えはねのけ、絶対彼らの顔、目を見ないというのを徹底してみました。
すると、昨日にいたっては、そのジジイ以外は、不快な絡みが0になくなった。すごいです!
目を見ないのがいかに有効か
その目を見ない、というスキルは以下の本で教えていただきました。
作者の池松江美さんという方は、あの辛酸なめ子さんです。この本は▼のブログ記事で紹介されていまして、
ストーカー被害に3件遭った経験からわかった「あいつら」を寄せ付けない方法 - トイアンナのぐだぐだ
購入したら実によかった。
辛酸なめ子さんも年配男性に不快な目に合わされていたようです。その下りはとても共感しました。
オヤジは地味でおとなしそうな女は何でも言いなりになってくれると思うらしく、私はオヤジには変なモテ方をしましたが、美醜を重視する同年代の男性にはサッパリでした。キモいオヤジにいやらしい目で見られるいっぽう、同年代の若い男子にはブス呼ばわりされ相手にされない…
そうなんです!私と同じです。昔も今も私はそこに苦しんでいるのです。不細工なのにオバサンなのに、なんでこんなセクシャルな嫌がらせを受けなくてはいけないのか。昼ドラにあるようなイケメンに言い寄られてうっとりなんてことは一度もありません!!
私が自分の被害や迷惑を誰に相談しても自慢とか欲求不満を発しているからじゃないのか、とかの反応がかえってくる。その二次被害を受ける辛さ。
辛酸なめ子さんであるところの池松江美さんは、そんな嫌な目に合わないように、具体的な対策を書いておられる。その中のひとつ
男と視線を三秒以上合わせないようにする
というものがありました。それを今回実践してみた訳なんです。
「視線を三秒以上合わせないようにする」というのは、以前、魔性の女を自認する知人が「男は三秒だまって目を見つめれば落ちる」と豪語していたのを聞いて、私はその言葉を反面教師に、妙なアクシデントが起こらぬよう気を付けています。
池松さんは、なんと頭のいい方なんでしょうか!驚嘆しました。まったくその通りです。(たぶん、これほどの対策を練るしかないほど、大変でいらしたんでしょう)
ストーキングされたり好かれたりするのは当然の仕事
私の業務は顧客と10分以上、顔と顔を合わせ、見つめ合うことが必須のものです。
だからこそ、一人の男性客はめったにこない。
まともな一人男性の人は自身だけでなく、家族写真などを持ち込みます。それを描いて欲しいと注文なさいます。奥様やお子様への愛情たっぷりの人間らしい感動的な人柄です。同じ性別とはとても思えません(というか世間は圧倒的にまともな男性の方が多いのです)
だから、一人で席に座ろうとする年配男性客。彼らのほぼ99,9%がたちが悪いのは当たり前だったのです。見つめあうことが目的なんだから。見つめ合うから惹かれるのだから。
私がこんなに不細工アラフィフおばさんでも、ストーカーじみた目にあうのは、当然の仕事なのでした。
私はここで、覚悟を決めました。
男性の年配一人客は切り捨てる、と。
(あるいは目の前でリアルに描く席描きを徐々に減らしていき、通販写真専門受注にし、絡まれる機会を少なくすること、です。)
告白するなら、以前は、お茶を引いているようなとき、男性一人でナンパ半分目的であろうとも、営業的にほっとしたものです。しかし、そのような人は、全員、安物買いですし、その後、勘違いされ付きまとわれる、ということになることが多い。見つめあったら落ちるというデータがあるんだから、岡惚れされる確率が高いのは当然ですね。だから男性客が全面に悪辣ということではないんですよ。。。
結果的に
安価な売上と引き換えに私の身の安全を売っていた
ということだったんです。
そもそも、男性の年配者が一人で、女性の絵師にぴったり張り付く、というのは、その絵師に性的な興味を抱いているからに他なりません。もともと私の絵なんて欲しくもなんともない人なんですね。。。
お客さまは神様か
性的興味が半々あろうとも、良い仕事をすれば良客となる、というケースももちろんあるでしょう。僅かではありますが。
営業というのは、似顔絵描きに限らず、販売員が美しく清潔に明るくしていることが必須であります。それはつまり、性の魅力というものをある程度は多少は利用する、ということもあります。(それが極端に使われているのがキャバクラです。風俗は健康身体の領域なので、また別の領域であると考えます。)
いずれにせよ、接客販売という仕事を私はとても愛しています。
私は非常にコミュ障で友達が少ないですが、だからこそ、営業接客という、人と絶えず接する仕事が大事だと考えています。
お客様はほんとに神様と思っているんです。
その私からしたら、ある顧客層(高齢男性ストーカー的客・柄が悪いヤンキー客)を切り捨てる、ということは、大変勇気のいることでした。
普通に接客商売をしている、してきた人には、この記事群を読まれ、一体何を悩んでいるんだ、と可笑しなことでしょうね。「変な客また来た~キモー!」って避けてたらいいだけのことなのにね。
そこが私の生来の性格「~すべき」で人付き合いをしてきた弊害があります。一体なぜ、彼らを避け、切り捨てる必要があるのか、という、嫌だったら切る、という感覚よりも、論理的な根拠を探し求めてしまうのです。
感覚の「なんか嫌だから嫌い!」で普通はいいんですが。。その感覚こそが動物的カンで身を守るものなのに。
蘇民将来のように彼らをもてなそうとしていたのか
私がお客様を差別してはならない、神様だ、
という全く自分の身を危うくしそうな姿勢を長年持ち続けてきたのには
京都暮らしが長いせいで、蘇民将来伝説が身についているのもあります。(蘇民将来は祇園祭の起源である)
つまり、身なりの薄汚い男性一人の旅人が実は神様であった。他の人は彼を差別して泊めなかった。しかし、蘇民だけは風貌で差別せず、もてなした。結果、蘇民は繁栄した、と。ユダヤの過ぎ越しの祭りや良きサマリヤ人などの物語に似てますね。この手の伝説に、ユダヤ起源説を言う人は少なくないです。
一見汚ったない~い、キモじじいでも、神様のお使いかもしれない、袖振り合うも他生の縁とか思って、どこかでご縁があるのかも、とか思ってたんですね。
不潔で乱暴もの、孤独で気がふれたような人を日本は穢れたものと差別しつつ、聖なるもの、と崇める風習があります。
祟りを恐れ神として祀るというのは日本ならではの宗教観です。
つまり、私は私なりに、アーケードをうろつく、業務の邪魔をするおかしな人々を、嫌悪しつつも、何か、みょうちきりんな畏怖をもって接客していたのでした。まあ、実体を良く分かってなかった中二病だったんでしょうね。
プライベートでは性的に危険、仕事としては売上に迷惑なんだから対策すべし、というただそれだけのことだったのにね。
聖と穢れ
菅原道真をみんなで苛め抜いて、追い払い死に至らしめ、祟りを恐れて神としてあがめ祀る、というのが日本の神様です。
一方万能の存在があり、それが善や正義を敢行するのが、他国の神です。
まったく違うんですよ。
つまり、日本のメンタリティは、ひゃあ、あいつ嫌い嫌い不潔、不良だ気がふれてる、絡んでくる、迷惑。でも正面切って追い出せないな、と集団でなんとか苛めて、その後、祟りを恐れて神にして神棚に米盛っときゃいいだろう、というもの。
神秘性のかけらもないよなあ、、、。ムラ社会の宗教観ですな。
彼らと目を合わせず、来訪後には足のチリを払い塩を撒く、その一方頭のどこかで神が彼らの心身を祝福されんことを僅かに祈っています。