今流行りのブログ4コマ漫画?
Aさんの場合。という漫画本を買いました。
私は子持ちさんの気持ちは分からない
最近は育児マンガを発表される方が多く、あちこちで流れてきますが、すいません、読んでもサッパリ分からない。私は子供がいないので、笑いどころが分からない。だから読まない。そういうことを言うと
「ひどいなあ。子持ちの気持ちが分からないなんて!読んだら私たちの子供のいる苦労や楽しさが分かるのに!”気持ち”が分かるのに!」という意見をたまに頂戴するんですが、実際分からないから無理ですよ。いないものはいないんだから。想像はしますが、理解と配慮を求められ”すぎる”のは困惑します。
私のポリシーのひとつに
「人には分かり合わない権利がある。他者を理解しない権利がある」
というものがあります。
私がさほど理解されなくてもかまわない分、他者にあまり共感しないことを許してほしい、というものです。
だってキリがないですよ、弱者の少数派の私の俺のキモチを分かれ!分かれ!って。限度がありますよ。この私の立場が弱いから!皆が知る必要があるのよ!同じ気持ちになって共感して思いしれ!て叫ぶ人は、よくある、じゃあアフリカの食に事欠く人々の気持ちは分かるのか、と言われたら「違う問題でしょ!?」とあっさり却下するじゃないですか。
そうです。違う問題、違う世界にいるです。アナタと私は。アフリカと日本くらいに。
自分の少数派の被差別感覚を分かれ分かれって叫ぶ人こそ、他者の気持ちを一片も考えない人は多いと思うんですね。
社会は本来差別的なもの
子供さん好きだから理解できることは出来る限り理解して協力するところはしますよ。
電車でも席も譲ります。が、理不尽な要求は無視します。
子育て層の肩代わりに無償残業や納期等れたとかの損害が生じたら払っていただきますし、USJ帰りのDQN子持ち集団とそのお子様が「す・わ・り・た・い~」と泣き叫ぶのは断固スル―。が、しかるべき手順で子供さんトラブルで納期を延ばしてくれと丁寧に申し出てくれる人は全然かまわないですし、ベビーカー担いで幼児をあやしている健気な女性は全力で助けます。あと幸せそうな家族連れが大好きなんで値引きも時と場合によってはしちゃいます。
同じ子持ちなのに、差別するのかって?しますよ。。そりゃ。
最近でもホリエモンと成宮とは社会の好意度が違う、差別してるじゃないですか。
つまり、理解しあえる、分かり合える、というのは幻想であり、お互いのほんのりとした情や親密感によって助け合える。立場が違うこと、境界線は決してなくならないだろう。立場が違うと分かり合うのは限度があります。しかし、その「違う」世界での交流や助け合いは必ず模索できるのです。落としどころは必ずあると信じています。
まったく同じ立場、我が事のように共感しなくても…
全部わかって欲しい理不尽はすべて他者の社会の無理解のせいよ!こちらは可哀想な弱者なんだから全部理解して!というのは所謂ポリコレ棒です。
一部のフェミさんや主婦さんが持ちがちなんです。私も生理前で気が立ってるときはそうなりがちです。
週刊モーニングの新人賞が面白かった
で、最近読んだ週刊モーニングの新人の方の作品が、面白かったんです。
女神が子持ちの専業主婦になった物語で、色々な要素が詰まっている。女性性の何かの象徴と苦悩とジレンマが上手く表現されている。読む人によって印象は違うとは思うんですが。
しかしページ数の関係でしょう。愛する夫も子供もいるのに自分って何だろうと考え込む「子持ち専業主婦」の思い。それが中途半端に収束していた。
結果、ラストにもやっとしてしまった。
女神が自分のいた(結婚していない子供がいない時代の職場であった)「泉」を見て、こんな小さい場所だったのか、と思ったというクダリには少々ムカッときましたね。
はあ?子供がいて結婚した方が人生豊だよっ成長してるわよって暗に言ってますか?
しっかり泉(仕事)をしている人に失礼ですやんって。
女神(仕事)に戻りたきゃ子供が成長したら戻ればいいことちゃうの?もう若くないし無理?そういう職種なんだからしょうがないでしょ?あれこれ欲しがって贅沢ものめ。
なんて思ったのは、私がもちろん子無しのせいです。しょうがないじゃないですか。分かりませんよ。子持ち専業主婦の私が自由がなくて辛いって言われても。羨ましいだけですやん。私には女神でなくなったその女性こそが女神に見えます。
私が子供のいない既婚者だからそう思っただけでしょう。きっとこの女神と同じ立場の子供のいる専業主婦の人にはめっちゃ共感を呼ぶ漫画だと思います。新人の方ですが、相当心を揺すぶられる漫画です。ぜひ読んでみて!
何かを選んだら何かを捨てるしかない
人生の岐路に立つたびに、何かを捨てなくてはならない。皆捨ててきたのです。独身者も既婚者も、子持ちも子無しも。
男性も同様の選択の岐路がありますが、女性はもっとシビアで現実的です。その選択により人生がガラッと変わるからです。
女性は、結婚を選べば(現在の日本では)姓を捨て、人によっては仕事や住居の自由を。今は、共働きが主とはいえ、子供を産むことになったら、確実に割をくうのが女性です。まだ社会がそういう風になっていないからです。
結婚しない子供を産まない、というのもまた「選択」です。望む望まない関わらず。
私もまた子供を諦める(選択する)ことによって「子供と共に成長していく楽しい未来」を捨てたのです。私も結局「選んだ」のです。その女神と同じように。
だからそのモーニングの漫画「元女神のブログ」に驚愕し、感動し、かつモヤっとした。更には、読後、女性の人生って何だろうと考えたのです。人生の節目節目で変わること選択を強いられること、そして、その折は必ず何かを捨てること必須な人生って。と。
更に女性の選択について考えさせられる漫画
折しもこの「Aさんの場合」を書店で手に取りました。
表紙と裏表紙を見て、買ってしまいました。
表と裏、これですよ、これ。
帯があのジェーンスーさん。
最初、この絵はなんだって思ったんです。これにお金出せるかなって。けど、このセリフや言葉すごい、刺さります。グサグサきます。
レジに速攻持っていきました。
二人の立場の違う女性の物語
表はAさん=30代独身
裏はBさん=同じく30代既婚子持ち
です。このまさに正反対の性格、立場の二人は職場でも対立しがちです。
Aさんは子供のお迎えのために早退するBさんに「子供がいる人はいいわね」モヤッとし
Bさんは睨むAさんに「今頃子供がいていいわねって言われてそう…」とモヤッとします。
二人ともお互いがお互いを「相手の立場を理解しない人だ」と思いこんでます。
前半、この二人の立場の違いによる反発モヤッが多すぎて、読んでて辛かった。まるで発言小町のルサンチマンの凝縮エキスみたいだ…。と。
しかし、だんだん読んでいくと、この単純なフォルムの絵の主人公や回りの人の顔が、イキイキと個性を持って動き出していく。
この正反対の二人がいつしかお互いに「羨ましい」と思っていたことに気が付く。そして互いは正にこの本の装丁のように表裏一体の人生なのだと…。
うっかり泣きましたね。スタバのオヤツが口の中で甘じょっぱくなるくらい。何度も。
この絵に泣かされるとはっ
悔しいですが、この絵だからこそ、自分の身の廻りにいそうな、あの人この人を想起して泣けてくるのです。まるで能の面が傾き方や手の動作で、万感の思いを発揮するように。この絵がいわゆる描きこまれたものだったら、感情移入をこうまで誘いません。
先の女神漫画より感銘したのは、登場人物が全て「働く女」だからでもあります。よりリアルに現代女性の苦悩が迫ってきます。
Bさんは子育て(人間生活)と仕事(女神の泉生活)を両方を手に入れようとした。
Bさんは泉を手放さなかった女神なんですよ。
だから苦悩するんです。私は独身のAさんは私と似たところがあり、そこも共感しましたが、Bさんの健気な奮闘に痺れっぱなしです。頑張れ、頑張れ、そして休め、WM。
色々な立場の女性がいて、それぞれの気持ちが描かれていました。しかし私と同じく既婚子無し自営業者はいませんでしたが。一番気楽そうだから物語にはならないのかもしれませんw
上司さんが男尊女卑・セクハラスレスレの発言を繰り返すんですが、この人はこの人で皆のことを良く考えている。精一杯やっていてだんだん愛すべきオジサンに見えます。
要は会社のシステムが、まだ生き方の違う女性に対応してないのが一番の諸悪の根源なんです。
子持ち女性はしんどいばかりで、独身者は割をくう。少子高齢化を考えたら早急に対応しなくてはならないのですが、上にいる頭の固い人達が退職するまで変わらないでしょう。
その前に日本は沈没するかもしれない。それとも外国人がドッと移住してきてあれよあれよと変革を迫られるか。この国は、いつも黒船がこないと変わらないんです。
女性は自由か?
今は贅沢な時代かもしれません。ネットや家電の発達により、昔より女性はとても自由になりました。
仕事も家庭も結婚も、自由も欲しい。全てが望めそうな時代です。マスコミに登場するあの女社長、あのタレント、外資系のOL、全て(男・お金・仕事・子供・名誉・承認)を手にして幸せそう。
でもそれはマスコミに出ている一部の人だけで、実際は自由になってはいないかもしれない。現実を見たら、日本シネと叫んでしまうくらい、まだまだなんだ。
まだ自由じゃない。自由でもいいかなと云いはじめただけ。
女性の生き方は多様で自由でもいいよ、という概念が社会に浸透しつつある過渡期である
だけなんではないか?実際は、全部かなえている人は一部だけで、仕事も結婚も子育ても両立するのは大変なんだから。思想は自由だけど現実には不自由なのが日本の現実です。
本当に全てを手にしている人は血のにじむような努力をしている。一般人はそこまでやれって難しいですよ。
私たちの親世代の団塊の女性は男女平等の思想の啓蒙だけ受けて、それを現実には一切知りません。だから概念と思想だけ娘たちに吹き込んできました。女性だって勉強して資格を取ればいいのよ。美人でいなさい、女性はキレイじゃないと差別されるわ。でもその口紅は赤すぎるわ。誘っていると思われるわよ。痴漢にあうわよ。料理もやりなさい、家事も万全に。男は胃袋を掴むのよ。肉ジャガがいいわよ。そしてステキな旦那様と結婚して子供も産んでね。孫は3人は欲しいわ。そうすればあなたは幸せになれるわ!ついでに私たち親の下の世話もお願いね!と。
いや無理です。
それはアウラ(架空)の世界だと、現代の娘たちは知ってます。だから専業主婦になりたいんですよ。
男は変われるのか
女性があれもこれもと言われて岐路に立たされまく選択し育ってきたのと反比例に、男の変化は実に緩やかです。あの武器この武器身に着けて強くなった女性を前に草食化してのんびりしています。
いざ結婚したら気が回らない、良く分からない?ママに全部やってきてもらったから。家事子育ては女性の仕事だよね?と。仕事は君がしたいからしてるんでしょ?全部するの当然でしょ?え?俺は優しいよ。言われたら手伝うんだから。言われなかったら分からないよ。少子化?女性が我儘になったからでしょ?
結婚したら子供の世話に加えてそういう亭主の世話も余儀なくされ、その非協力も変えてもらう必要があります。しかし大人になってしまった男性なんて変わりません。かくて悲惨で不毛な喧嘩を繰り返す必要があります。
もう話し合いしまくるしかない
漫画には、夫が妻に「話し合おう」というセリフがありますが、それが一つの山場になります。
「話し合う」
これが出来たら解決まで一直線です。
物語は、このキーワードが成立したとき、一気に希望の未来が開けてきます。そのページではほんま涙がこぼれグッと手を握りしめ声を挙げそうになりました。
そこから物語は急展開します。いがみ合う女性たちは相互理解、許し合いの糸口を少しずつ見つけていきます。
家事を手伝うどころか、この話す、という行為自体を苦手なのが男性です。その「話し合い」の俎上に載せるだけでも、ものすごい強烈な努力がいります。だから女は辛い、男は辛いんですね。
もう「この人には話しても分からない」と放棄する方がいかにラクか。しかし、それをしたら家庭内離婚まっしぐらです。妻の心にはマグマが沸々とたまり、熟年離婚を夢見るしかなくなります。
それを何千回と繰り返して家族になるしかありません。子供のいない私たち夫婦ですら数えきれない話し合いをしてきました。ある時は話し合いというより掴みあいでw亭主は良く付き合ってくれた。感謝しかありません。
今の娘さんたちはもっとシビア
この先は、共働きでも協力的な男性が増えてくるでしょうが…。親の教育に違いがありすぎて、過渡期ですよね。
プロかっていうくらい家事育児してくれる男性がいる一方で、保守的な人や、強いオラオラ系もいるし。専業主”夫”さんもチラホラとネット上に登場してきました。意外に多いのですね。
女性と同じで、色々な男性がいるのです。どれがいいかというわけではなく。
でも、働きたい女性にとっては家事上手、気配り上手な部分が少々欲しいですよね。「逃げ恥」のドラマはそういうこれからの男女間の生き方の過渡期にも触れているから人気なんだと思います。
主婦業とは?結婚とは?家族とは?仕事とは?
今声を挙げている女性が未来を変えていくのでしょう。が、今、現実に仕事に家事に子育てにと闘いつつある人には堪らないでしょう。今がラクになるために仕事なんて辞めてしまった方がいいとも思うかもしれません。
だから今の娘さんが高収入男性と結婚して専業主婦を目指す、というのもしょうがないです。
未来の女性の岐路を開くとかどうでもいいです。この不景気日本で自分が押しつぶされないためには専業を目指すしかないと分かってるんですね。
トランプを支持した女性たちも現実を分かっているんです。
賢くなくていいスゴイと言われなくていい。幸せになりたい。
それの何が悪いというのでしょうか?クッキーをゆったり焼いて笑顔で夫と子供に食べさせたいんです。へとへとの仕事から帰って家族の散らかった服をかたし、座る間もなく料理の段取りを考えて、、、なんてしたくないですよ。
でも、クッキーだけ焼く生活もこれはこれで空しくて、泉が恋しくなるんでしょう。
今は過渡期だから、あ~でもないこ~でもないって言ってて、どの人もこの人も頑張ってる、みんなそれぞれ!ていう結末でもいいんですが
女性は一枚岩だから協力しあおう理解しあおうって無理があると思います。歴然と立場は「違い」ます。これからますます「違って」きます。
外国人の人が日本に増えてきたら、人種や言語、宗教すらも違ってきて、主婦同士の小さな差異なんてじきに誤差程度になってくるのでは。
キャンバスに全ての色は使えない
私たち女性はあれもこれも欲しいと思ってしまう。
仕事も、家庭も、男性も、美貌も、お金も、子供も、そして孤独でさえも宝石のように欲しくなります。
一枚のキャンバスと絵の具を前に、赤い色を塗ろう、青い色を塗ろうか、と。
まだ描いていない描いている最中が青春時代です。若さです。
でもじきに、
キャンバスには限りがあり、全ての色で覆い尽くすなど無理
だと気付くのです。
全色使えるのは相当に無理がありますよ。
絵を描いていると分かるようになるんですが、7色の色で鮮やかに虹のようにカラフルに描かれたものって少しダサいんですよね。かわいいし華やかなんですが、何か「粋」に欠ける。全色使って素晴らしく描いたとしても、相当なセンスと技術が要ります。絵は数色で納めるのが良いです。
デザイン的には最高3色程度が一番いいと思います。
スターバックスはグリーンと濃いウォールナット系の家具で統一されてますよね。他の色はありません。色を絞る=他を捨てる デザインや絵画の完成度は「捨てる」という行為が不可欠です。
これがスタバにファストフードのようなカラフルなヴィヴィッドが多彩にあったり、スイーツなパステルカラーなどが混在していたら、コーヒーにあの価格は付けられません。
私はモノトーンが好きです。身の回り・服はすべてモノトーンにして、手ぬぐいやスカーフでカラフルな色を差してアクセントを入れます。それが身軽でいいと思っております。センスのない私にはそれが一番合っています。
あれもこれも足りないけど、まいっか。C'est la vieだな、寂しいなと思っているくらいが絵としては完成形ですよ。寂しさ、不足は余白ですよ。余白のない絵画ほど息が詰まるもの、俳味がないものはありません。