「ノンママ」とは?
子供なし人生を選択(せざるを得ない)状況から数か月
子供がいない作れなかった今後作らない自分の心を静めるために色々な本を読んでいます。
東洋経済の記事や山口智子さんの発信を受けてか
子供のいない(作らない作れない)人々が相当数日本国に存在することが知られるようになりました。その状況はつまり、人数が多いので発言権が増した=子供なし市場があるということです。
▼それに目をつけてか、こういう本やテレビドラマが…。
「ノンママ」なんすか?それ。
つまり子供のいない女性のことですか?
そんな言葉で私を呼ばないでください
私は見もしない読みもしない本やドラマについて批判をしたくないんですが。絶対この本もドラマも読まない見ないぞと決めました。
「ノンママ」という単語、誰が考えたのか…
キモいです。
「ノンママ」。なんですか、そのお下品な言葉は。
子供のいない人生で一番良かったと思うのは「~ママ」って呼ばれないことだ、と常々思っています。(そのくらいの利点は誇らせてください)
なのになんで「ノンママ」なんて「ママ」って呼ばれなくちゃいけないのよ。
ピンクの象はいないって10回くらい言ってごらんよ、そしたら頭の中がピンクの象でいっぱいになるから。
リンスインシャンプーがリンスがいらないシャンプーなのかリンスが入っているシャンプーなのかどっちでもいいけど
リンスのないヘアケアだってあるのよ。石鹸で頭を洗う人もいるし、酢でリンスする人もいるし、湯シャンの人もいるし!それぞれでしょうが。
ヘアケア=リンスありきっていうのはナンセンス!
なんでそんな変な単語「ノンママ」で一括りにするんだ。
他者と違うのが当たり前の社会であってほしい
私は「ノンママ」として一括りにされたいわけじゃないよ!
人と違う部分があっても生きやすい世の中だといいな、と思っているだけです。
子供のいないあなた子供のいるあなたもそう思いませんか?
一括りにターゲティングされノンママ向け商品を楽しんで消費したいわけじゃないよ。
人と違う足りないところが多少あっても胸を張って人生を全うしたい。
それだけだよ。。。
「ノンママ」って
じゃあ、香山さん、結婚してないあなたのことを「ノンメリッド」あるいは「ノンハズバンド族」って呼びますよ?どうですか?嬉しいですか。
年収は300万くらいあるのが望ましい世の中だとする。するとニートや専業主婦、定収入非正規雇用の人々を
アンダー300ピーポーって呼ぶわけですよね?
そういうこと言ってるんですよ。そういうことです。
子供梨の女なら自尊心が低いからどんな変な名前で呼んでも文句言わないと思ってるでしょ?ひょっとして「ノンママ」称号は、子供なしの人のためにではなく普通のママのため?ママたちに自分より下の身分がいると安心させたり溜飲を下げるために付けるわけですか?
結局「ノンママ」って単語は、子供がいて結婚している女性が基本、という考え方が基本にあり、その視点で付けられた用語です。そういうのがデフォルトだって声高に悪意なく言われるからハラスメントなんじゃないですか。
”ノンママ”などという名誉ママ称号なんて与えていらんわ!
私は、自分が子供がいないってことを平気で言いますよ。大したことじゃないから。だからその時、相手の眼が配慮にくもっても無視します。無視したら相手も安心します。あ~この人大して気にしてないんだ、子供の話題しても大丈夫だな、と。実際、子供のいる人の子供の話は面白いじゃないですか。「あ~不妊さまだ可哀想~っ」て思って配慮しすぎてビクビクするのはその人の問題や感じ方で、私の問題じゃない。
ただの「子無し」「独身」でいいじゃない。くくらないで。レッテルを張らないで。
なんか石女って言われてるのと同じような気がします。
オサレ用語にしたら暇でお金持ってる子無しが市場にやってくるとマスコミは思ってます?
当事者は市場が欲しいわけじゃない”ちょっと”理解が欲しいだけ
「ノンママ」市場をオサレにマーケット化。
げんなりします。私は大嫌いです。やめてほしいです。
当事者は市場が欲しいわけじゃない。子供がいないなんて”ちょっと”した違いだよって理解が欲しいだけだと思う。だから「ノンママ」なんて呼ばないでよ。くくらないでよ。連帯を強要しないで。みんなそれぞれ”違う”んだよ。
なんだよ「白書」って…。
案の定、ドラマはこけそうです。
子供がいない女性の共感と視聴率を得、子無し市場を膨らませコンテンツにお金を払わそうという意図が見え見えです。
キラキラ50歳…。。。。
どこかのファッション女性誌のように盛り上げたら子供のいないオンナが癒されるとでも?「美魔女」や「●●世代」と一緒にしないで。名付け一括りにしたら、安心して大喜びでお金を吐くとでも?
ノンママという生き方?
香山リカ氏は何を書いたのか分かりませんが、すいません、読んだらいいと思うけど、なんかやだ。
この人の本、過去何冊が読みました。でも題名売りが多くて、結局フェミと左の喧伝なんだもん。レビューを見たら更に読む気がうせました。
フェミニスト左翼の理屈は全然心に響かないのよ。
ラストはどの本も反原発とフェミ権利!権利!に走るじゃない。そういう政治話は聞きたくない。「ノンママ」とかあなたが言うな、と。そんなに子供のない女性のオピニオンリーダーになりたいですか?市場を素早く独占したいですか?
「~という女はダメですか?」って弱い日本女子が大好きな言いまわしだと思う。幼稚園児みたい。誰かに自分がいいか悪いか問いかけてる。不安不安で人の眼ばかり気にして(小町的?)「いいんですよ!」って言ってもらいたい依頼心。それを受け止めてるだけじゃないか。
「~ですか?」って人や社会に問う癖があると、どんどん弱弱しくなると思いますが。どうでしょう。自分で決めて自分で立つしかないでしょ?と言いたいわ。
ダメかどうかなんて自分で決めること
私、この問い、この10年ずっと自問自答してきた。「子供のいない私が存在してもいいの?」と。
考えて泣いて考えて泣いて、その結論
罪かどうか?ダメかどうか?なんて他人に聞いちゃいけない。
自分が決めること。
他者の批判や目を恐れてる自分が変わること。それしかない。だってあと10年くらいは絶対いなくなりませんよ。「子供がいないのはけしからん、罪!」っていう人たち。少数派になっていくかもしれないけど。そういう人に会うたびに泣くんですか。私罪人って落ち込むんですか。
他者に倫理観や判断をゆだねるから弱くなる涙が出る。
自分でいいか悪いか決めるしかない。自分のことだから。
別に子供がいないのは悪だと思って一生を終えてもいいじゃないですか。罪悪感をかかえて社会福祉に従事するという生き方もありだと思うのです。
例えば流産されて子無しを選択した方は一生、そのお子様のことを忘れられないですよ。子供のいない人生もありだと「ノンママでえす」なんてオサレになんて生きられないと思うのよ。
あるいは罪悪感なく、堂々とサバサバ淡々と生きていくのも自由です。山口智子さんなんてそういう感じですよね。(本当は言わないだけで色々な葛藤や自問自答もあったかもしれません)
罪悪感とサバサバ感、両方を行ったりきたりしながら過ごすのもいいのでは?人生長いのだから考えなんてあれこれ変えるもんでしょう。(実際私なんて日々時々その感情が交互にきます)
だってさ、人間は生物なんだからパートナーがいれば子供が年頃になれば出来るのは当然です。それをああだこうだ理屈で片づけるほうが不自然です。
実際、欲しかった私がようやく結婚できたのは35歳だし、生活習慣や病気のせいで出来なかったのは努力不足だったという点はあります。その早く結婚しない自分が悪かった、ヘマをしたっていうのは変えようがないじゃないですか。それをことさら罪悪感を持ちすぎるのは良くないよってなだけで。
交通法で言えば、信号無視したから結果けがすることがあった。ああ信号見てれば良かった、その程度の罪悪感や悲しみは一生持つけど、「おまえはトラック運転で人を100人くらいはねた罪だ!土下座しろっ!」とレッテル貼りをする人がいたらメチャメチャ拳を握り喧嘩しますよってことです。
二択の白黒倫理感は分かりやすいけど現実はそうじゃない
0か100か。「いいですか?」「悪いですか?」なんて二択の問いは現実的じゃない。生きづらい。白黒じゃなくて、世の中は殆どグレーで出来ている。
子供のいる人だってあ~この子の育て方間違えちゃった、悪いことしたなあ、と思うこと当然あるわけじゃないですか。取返しのつかない失敗をしたことなんて皆多かれ少なかれあります。でもしょうがないじゃないですか。一生懸命やってそうしかできなかった、そうせざるを得ない環境だった時代だったということがある。
ほんとそれぞれです。
子供がいる人が勝ち組、いない人が負け組、ではないし、その逆もないわけです。
変なネーミングのレッテル貼は、社会を分断します。
そう、子供のいない人生、それだけ
酒井順子さんの「子の無い人生」は淡々としていて良かったです。
私は自分が既婚で独身の酒井さんとは立場が違うから、多少は共感できない部分はもちろんありました。
しかし淡々とした「私」を主語にした酒井さんの文章は謙虚で慰められました。
立場の違う人の話を読んで、ここは共感する、ここはしない、それでいいんです。本ってそういうもの、他者の意見ってそういうもんですよね。
同じ子無しでもそれぞれの問題で、作らなかったのか、作れなかったのか、理由も状況も全く違う。お互いの誰かの話を聞いて、ちょっとヒントを得て、自分で租借して少しずつ時間をかけて、解決するしかない。そう、
時間をかける。
私は子供のいない葛藤って心の始末って時間がかかるものだと思う。そして、時間がかかっても解決しないかもしれない。けど、それを抱えながらでも、とりあえずはそこそこ元気に楽しくも老いていける。
酒井さんの逡巡が丁寧につづられていたエッセイでした。
ゆっくりとご自身の葛藤も不安や迷いも正直に書かれていて「ありのまま」の子無しの独身女性の心がありました。
酒井さんは「負け犬」の本も書いてるけど(いつしか草食男子と同じく用語が違った意味で使われていますが)、ご自分のことを書いているから面白いし、共感できます。
フェミの「それは女性の自由なの!権利なの!」きーきーって頭でっかちなのは、違うと思うんですね。
「権利!」じゃなくて、それぞれの人生は「私」という主語で語ってほしいです。
子供がいる人も一括りで「ママ」ってされたくないでしょうが。ママも一人一人「私」なんですよ。
子無しをなめるな
「ノンママ」なんてどこかの女性誌みたいな用語が流行ったら、子無しの人が認知されるどころか
やっぱり女はバカだ、馬鹿なうえ、子供がいないなんて社会のクズだ、という印象を与えかねないんじゃないでしょうか。
それほど「ノンママ」という単語はセンスが悪いと思うんです。
もうちょっと違う言い方はないでしょうか。「子梨」って2ちゃんスラングですが、私、嫌いじゃないんです。梨って果物だからカワ(・∀・)イイ!!じゃないですか。
読みもしない本、見もしないドラマを批判してすいません。それほど子無し様の心はデリケートなんだな、キリキリしてるんだな、と自分でも嫌になります。ほんとにヤヤコシイ葛藤があるんですね。
とりあえず「ノンママ」なんて言葉が今後社会に浸透しても、私をそれで呼ばないで欲しいわ、と切に願います。