映画『不惑のアダージョ』を観た。
主人公は四十歳の修道女。神に遣える彼女は更年期障害に悩んでいた。
場面の随所に白百合が映し出される。キリスト教美術において、暗喩は重要である。
百合は純潔、聖母マリアの象徴だ。

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物語は、秋のイチョウ、紅葉の風景の中に紡ぎだされる。観るうちに、舞い散る紅葉が女性の更年期という転換期を表すものであると気が付く。
主人公はシスター?主婦やOLにしたほうが感情移入できるのではないか?と最初は思っていた。が、じわじわと流れる温かい涙を抑えきれなかった。美しいオルガンの音。
シスターは、世俗の仕事や人間関係、子育て、結婚生活などの労苦がない、気楽な職業だなあ、と先入観を抱いていた。(失礼!)それがどうして、大変なサービス業である。
平安を「与える」役目があるもんだから、いつも微笑んで、怒ったりできない。イライラしても人の話を聞いたり、優しくしたり。独自のあの格好のせいで、道を歩いていても目立つ。付きまといっぽいこともされる。病院一つ行くのも躊躇する。人生すべてを神に捧げて24時間制約を受けて生活しているようなものだ。
修道女も私達と同じく、働き、人間関係や、体調の不良を悩み、老いへの転換期を迎える女性なのだった。
不器用な少女のような心の揺れ。
あからさまな表現を避けているのに、しみじみとした感動。押さえたちょっとした表情や、指先の動き。
決して暗くなく、ユーモラスで痛快でもある。
「人生の秋も悪くない」と元気が出る。
ちょいネタバレ?印象的な台詞が。初潮を迎え戸惑う少女にシスターが述べる。うろ覚えなので、少々ニュアンスが違うかもしれない。
お母さんになるために私達はチケットをもらう。そのチケットの枚数も使用期限も人によって違っている。私は、それを使わないで神様にお返ししたのだ。