思い出すに栗鼠(りす)は「つまり…ということですね」「それはいつのことですか」「どんな気持ちがしましたか」という程度しか発言していない。私がひたすらしゃべってるんですね。
栗鼠との間には、うす〜い膜のようなものがある。距離感。心を見透かすかのようなアドバイスや、共感性があるかといえば、この栗鼠には、まったくなかった。ならば突き放して裁くかといえば、それもなかった。ひたすら他人として関係ない第三者として私の話を20分引き出し続けていたのです。カウンセラーが皆こうかどうかはわからないです。こういうのが正しいのかもわからん。
これが親兄弟や友人、夫、恋人だったらどうだった?ガンである私に対して感情を交えずに聞くことができる?一緒に涙してしまうに違いない。そうして抱きしめて欲しいときもある。夫がこの栗鼠のような聞き方をしたら、とても寂しい気持ちになっただろうな。その反面、笑顔でいなくっちゃ、と前向きでいることを自分に強いてしまうときもある。
でも栗鼠は他人で、仕事としてしてる。笑顔がクワッと作られた瞬間、思わず接客・営業の仕事経験を思い出したなあw
■阿川佐和子さんの「聞く力」
阿川佐和子さんは、テレビタックルの司会者としておなじみですが、インタビュアーとして優れた方だと知られています。インタビューした相手の人が「実際しゃべってみて、思ってもみないこと、自分はこういうことを望んでいたのだ、考えていたのだ、ということを発見した、ありがとう!」ということを言ったと。阿川さんは、意図してインタビューしていたわけではないので、不思議だった、と。
つまり、それは聞く力、技術であるということ?しゃべることによって、認知する?今自分が何をしたいのか、何を選びたいのか、どういう考え方の癖があるのか、どういう価値観で治療をすすめていきたいのか?

- 作者: 阿川佐和子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2012/01/20
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家族にも散々聞いてもらったのに、まだあるか、話したいことが、愚痴が、自分、と思いつつ、延々話す。20分で終らせる、というのも大事なんだろうな。週一度これが1カ月続きました。あるとき、ふっと抜ける感じがきて、2週に1回になってきた。3週に1回とか徐々に減っていって終るんだろうな。
で、抗がん剤追加どうするかまだ決まってませんwいずれ決めるけど、どう選んでも後悔するかもしれないし、しないかもしれない。皆そうなんだろうな。究極にはガン患者であることであるかどうか関係なく、人は大なり小なり、この選択のリスクを日々背負っているんだと少しだけわかった。とりあえず、落ちつけてよかった。また落ち着かなくなるかもしれない。栗鼠は動じないのでプロだと思いました。