死神じゃないんだから〜もう。と思いながら、店を出ました。
美容院のおにいちゃん、よほど動揺したのか、10回くらい櫛やハサミを落としながら、頑張って切ってくれました。ブログとかで、親切な美容師さんの話を読んでいたから、大丈夫だと思ってたんですね。人の少なそうな美容院を選んだのが、かえっていけなかったのかもしれない。人が少ない=はやってない、つまり、接客か何かにイマイチな面がある、ということだろうから。
あ〜、でも、美容室に罪はない。まあ、普通、びっくりするわな。明るい顔で、「私癌ですよ〜」とか言われても。最近、癌のことばかり、考えていたから、普通の感覚が失われているんだな。いかん、いかん。”癌患者様”の気分でいたらいけないよね。
抜けてしまうから、適当でいい、といったのに、とても上手にしてくださいました。
■知らない「死」への恐怖心
人というのは、”美醜”に対して、差別意識が働くのだと思っていましたが、そうではないのかもしれない。むしろ、目に見えない”死”のイメージに、あからさまに境界線を引いた眼差しをぶつけてくる。議論の渦中にある放射能風評被害においても、そういった構造があるような気がします。
知らないから、びっくりする。
このおばちゃんに癌にかかった友人や家族がいたなら、あるいは、世間話で、一度でも聞いていたなら、こうした態度はとらなかったように思う。癌=死ぬ病、と思い込んでるんですね。私だって、癌患者なんて、死んだ父以外に接したことがないのだから。知らなかったら、ああ、この人死ぬ人なんだ、と単純に思っちゃうかもしれない。病気になってはじめて、そうそう死なない、明るいし、元気で、直って長生きしている人も大勢いる、とわかってきたんだから。