更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

痛みを分かち合うということ

人に「あなたは原発推進派ですか?反対派ですか?」と聞かれ、とまどいました。なぜ戸惑ったのかというと、その二択しかないの?と思ったのです。正直に「関西に影響のある”もんじゅ”は止めてほしい、他はよく知らん、と思ってます」と言うと「わあ、反対派ですね、よかった!」と返されました。…だから、その二つの枠どっちかに入れるのはやめてほしい。

人は、平常心を失うと、0か1かの二極論に傾きやすいように思います。そして、それを他にも要求しがちです。世の中のほとんどは白黒ではなく、間のグレーゾーンで解決されることが多いのではないでしょうか。「国は嘘をつくから”まったく”信用できない」「”0”じゃなかったら排除する!」「リスクがもし”わずかでも”あったらどうするんですか!」と、一切被災地のものを受け入れられない、と極端に走る声がありました。(※怪しげな海外の専門家の説はもっと信用できないと思うんですがね…)その極論の声におもねった結果が先月の送り火騒動。後味の悪い結末でした。

一切のヨソの「穢れ」を京都に入れたくない、という二極論の最たるものもある一方で、「”この数値”なら、燃やしても全然かまへんし、大歓迎」というすなわちグレーの意見も多くあったように思いました。


■細野大臣の言う「分かち合い」の真意がよくわからない

この「分かち合う」という感情論的な大臣の言は誤解をまねきそう。被災地のものを他県に入れるか入れないか、という二極論を誘導しかねません。人は自分が大事なんだから、二択しかないなら、入れたくないに決まっているじゃないですか。しかし現実的にはグレーで解決するしかない。これこれ、この条件で「分かち合う」ということが可能かもしれない。全部同じ痛みを受け入れるか、まったく拒否するか、どちらかしか選べないのは、変。純粋の善意でなくてもいいじゃないの?このくらいの補助金つきでなら、この数値なら、うちの市町村で受け入れてもいい、という声もあるかもしれない。沖縄の基地の移転問題と似てますね。結局はなんらかの形で「わかち合う」ということは必須なんですが。グレーの着地点はどこでしょうか。

グレーで考えるということは「数値」と「お金」を考慮するということです。数値で議論できる世論になってほしい。メークインなどの農作物だって(万が一放射能があるとしても)「これは●ベクレル」と書いてあったら「うちは子どもがいるから用心して買わないでおこう」あるいは「うちは年寄りばかりだし、この数値なら私は気にしないから買おう 安くていいわ」とか言える。実際、買い物時に、成分表やら農薬有無で、買い物する人はいるわけだし。

冷静に放射能に向かうには、もっと議論や時間が必要でしょう。しかし子どもさんがいる家庭では、その議論している間もし何かあったら、と心配するのは当然のことです。

ああ、どっち付かずの結論ですねえ。…とりあえず「もんじゅ」は止めてほしい。それしか分からない。アホでごめん。



細野大臣 最終処分場は県外で
http://www.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6055362251.html


細野大臣「汚染物の最終処分場は福島県外で」「痛みを日本全土で分かち合うことが国としての配慮」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1661184.html


「絶対安全」の空気と戦う。
http://kens_asia.blogspot.com/2011/09/blog-post.html


▽まわりの人と気まずくならないために…
香山リカ:実の姉妹が「被災地支援の海産物」で大もめ ――原発事故「ストレス三重苦」が生む「洗脳寸前ジャパン」
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110825/281790/?ST=rebuild