ベランダに猫がきて子猫と一緒にかたまっていた
ベランダ掃除に使う棕櫚のほうきを倒してその上に寝ている。 一瞬何かと思った。
もやもやぼにょぼにょ動いている
ベランダのコンクリの上は寒いからなあ
佐村河内守氏のゴースト事件について
一度もかの名曲を聞いたことがないのでなんとも言いようがないんですが
障害者=善人・可哀そうな人 そして、その背後にあるドラマチックなストーリーというのが世間は大好きで、それで曲が売れたんかいな、と穿った見方をついしてしまいます。NHKも番組で何度も取り上げて、称賛していた。彼が、耳の聞こえない作曲家だったからです。
「マズローの欲求」は正しいわけではない
マズローの欲求とは 詳しくはこちら
人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低階層の欲求が充たされると、より高次の階層の欲求を欲するというもの。
まず人は「生理的欲求」→「安全欲求」→「社会的欲求」→「尊厳欲求」→「自己実現欲求」という段階をふむのだと。
病気になったら、やっぱ「生理的欲求」を確保、そして二番目の「安全欲求」を得るよう必死になるんじゃないのかい?!私もそれしか考えられへんかった。30年先生きていられるには何をしたらいいのだろう?もしあと10年しか生きれないなら何がしたいだろう?と。自分の絵やゲージツなんてどうでもいい、生きていたい家族に心配かけたくない迷惑かけたくない、この状態でお金どうしよう、元気になりたい笑いたいとしか思えなかったし、今でもそう思っています。ほとんどの人がそうなんじゃないかなあ。
しかし、それらをふっとばして「自己実現欲求」=ジブン探し、世間の称賛、人にどう思われるか?のみを強烈に望む人がいるのです。それが悪であるということではなく、ただ何故か、まずは自分が元気になることよりも、そちら(スゴイ!ステキ!って言われたい!)を目指してしまう人達がいるんですね。
「自己実現欲求」を望むがために、「弱者」の立場を利用してでも、人目を意識して大げさに振る舞ったり盗作したり小さな嘘を何度もつく。
佐村河内守氏もそういう人だったのかもしれない。
しかしこれを契機にまたCDが売れまくるような気がするので、実は狙った炎上商法なのかもしれないなあ
障害者じゃなかったかもしれないと▼ 「佐村河内守氏の耳は聴こえていた」新垣隆氏が会見 「聴覚を失った現代のベートーベン」佐村河内守 なぜテレビはダマされたのか?
病人障害者社会も一般社会と同じ
マズローの欲求で、3段階をふっとばし「自己実現欲求」に至るのは良くないような論調になってしまいました。がそういうことではなくて、創作が生きる糧となるのは間違いないです。スポーツや旅行などのレジャーが楽しめない病人にとって”創作”の表現活動はなんと嬉しく楽しいものでしょうか!
実際、私は描くことで気力が充実しているし、先日読んだクロワッサンだかの雑誌で、ライ病の人達が残した膨大な小説がある、と。そのエネルギーを読んでみたい。どこで探せばいいのか分かりませんが、彼らの物語を描いてみたいと思う。
最初は創作の楽しさだけに没頭していた。でもそれでチヤホヤされたら、創作欲よりも称賛欲求の方が強くなっちゃった。それで更に称賛を求めて人目を意識して詐称をついしてしまう、というのが問題なのでは。
普通の社会だといい人も悪い人もその中間の人もいるのが当たり前なのに、
障害や病気だと、皆が皆、善意で無垢な被害者のように祭り上げる
だからそういうゴースト事件が起きるのかなあ、と。
迷惑な話です。アトピーという外見が醜い病だったときは「汚い」「不潔」「生活習慣が悪い」「菌でもいるの?」みたいな扱いだったのが、癌や障害だと全員、無垢な悲劇の弱者になってしまう。ま人間見た目だよな。や、口が滑りました。大半の方々は無垢な被害者が大半でしょう、そういう人はちゃんと物語の主人公になれていいなあ、と羨ましく思います。自分には思い当たるふしが多すぎて(行いにも習慣にも)、いつもどっかしら故障をかかえている身体で、ダラダラガタガタ動き回りそのまま長生きするつもりです。憎まれっ子世にはばかる。善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。え?そういう意味じゃない?
嫌われ者の闘病ラブストーリー
延々と描いている漫画「じぱんぐ」は
イノセントな病者ではなく、悪人(?)嫌われ者の闘病を描こうとしたものです。
元々無垢で善人の人々は病んだり障害を持っても、病気ギフト(優しさや助け・同情や配慮)などがたんまり貰える。しかし嫌われ者はやっぱり嫌われてるから、そういうギフトはあんまりもらえないんですよ。もしくはギフトがあるのに気がつかないか。私が嫌われ者の闘病生活を送ったから実感としてそう思います。
二人の「嫌われ女子」が登場します。
珠美=女子力がない、コミュ力、協調性がない、ネガティブ、貧乏、感情に乏しい 裏表がない 万里江=女子力がありすぎ、美人で金持ち高学歴、一流・一番でないと気がすまない 他人を見下している、喜怒哀楽が強い 裏表がありすぎる
正反対の二人ですが、「女子の群れ」に嫌われる要素がある点において共通しています。
映画『最強のふたり』を観て、正反対だけど惹かれあい補い、その出会いによって変化していく二人を描きたいと思いました。
珠美は万里江から泣いたり笑ったり怒ったり共感する「感情力」を貰い 万里江は珠美から泥臭くふてぶてしく開き直る「孤独力」を貰います。
彼女たちがお互いに贈りあうギフトです。