雨映画 ストロベリーナイト
先週みた「ソハの地下水道」は暗闇映画だったのですが、この「ストロベリーナイト」はまさに雨映画。
梅雨かよ!とつっこみたくなった。そのくらい映画の全編に雨が降っているのだった。 ストロベリーナイト
八重の桜にでている、西島秀俊が観たくて行ってきた映画「ストロベリーナイト」。
しかし今回「アンつぁまあ」は霞んでいた。
もう一人の主人公、大沢たかお、の存在感がすごい。
大沢たかおの男っぷりは「滴る」どころではなく大雨ざーざー降り注ぐ。
仁先生、着物姿では分かりませんでした。足がめちゃめちゃ長いのですね。胸板も美しい!素晴らしい目の保養ありがとうございます。
主人公の女刑事、姫川 玲子(なんと安直な名前だ!)に自己を投影し、大沢たかおと西島秀俊、二人に惚れられ、身もだえする気分を存分に味わった。
そう、これは女性向けの妄想オナニー刑事映画である。
女刑事とは
女刑事ものといえば、私は乃南アサさんの「女刑事・音道貴子シリーズ」が好きで全部読んでるのです。男社会で女性が受ける理不尽さがうんうんと頷け、活躍が痛快ですが
このストロベリーナイトは何か違う。ドラマも小説も読んでないですが
普通、これはありえないだろう。あんなにキーキーわめき煩い女性が、管理職につけるわけない。
男前の上司や同僚と部下に囲まれ、イケメンのヤクザと部下に惚れられ、好き勝手しても大の男がみんな自分を信じて子犬のようについてきて
まさに姫。
女性の姫願望妄想を十分に満足させてくれる。こういうヒロインになってみたいな、と。
現代女性の望むヒロイン像
今の姫は、昔のようになよなよと依存的で美貌さえあれば皆が助けてくれる無防備な女性というのではない。やりがいのある仕事と、自尊心を満足させるポスト、自分が信じる正義感が満たされつつ、「女」を失わないことが肝心である。自立した女性として尊重されつつ「姫」としてチヤホヤされたい!この矛盾した状態。美しい蜂の群れの女王でありたい。これこそがまさに現代女性の欲望ではないか。
姫川は中古85万でなんたらという赤い鞄を買った。それもローンで。映画には終始、このカバンが映っている。いい小道具だ。高級鞄を刑事の過酷な現場に持っていくことの不自然さ。しかし、このカバンこそが彼女の戦友なのだ。この鞄を所有するプライド、気持ち、働く女性なら分かるだろう。夫や男に買ってもらうではなく自分でローンで買う分不相応ともいえる品。
この姫は竹内結子でなくてはいけない。松嶋菜々子や藤原紀香であってはならない。女性が感情移入できないからだ。
竹内結子は小柄である。そして、中途半端な美女である。いやまあ…キレイはキレイなんだけど、あれ?と思う造作の。
すんません…私に人の容姿をとやかくまったくもって言えないのですが。しかし私をはじめ全人類、女性の大半が美人というものではない。映画の女性消費者の大半は私のような若くもなく美人でもない女性である。そういう購買層、ターゲットである人々が感情移入するには、主人公は完璧な美女であってはならない。ほどよく下品で庶民的であってほしい。「この人美人ぽいけどなんだかね」という部分がなくてはいけない。
わざとらしいほどの崩したダミ声。始終いきりたったテンションでフガフガ歩いている。あの鼻からシュポシュポ常人の倍の空気量を入れて気炎を吐く姫川刑事。
なのに美しい。
だからこそ感情移入できるのだ。彼女の恋に共感することができるのだ。
カッコイイ雨の描写
テレビドラマっぽい不自然さやオチは一杯あった。検視の現場に長い髪をバサバサさせながら入ったり。ここはそんなに大げさに感情を掻きたててタンカ切るとこちゃうやろ?ってとことか。
しかし、
感情描写のキレが良い。「?」と思う画面に差し掛かると、雨がわんさかと降り注ぎ、まいいか、という気持ちにさせてくれる。私の大好きな「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」の監督さんと同じでしたか!微妙な感情の襞。それを言葉で語らせてないとこがカッコよかった。
自己保身のキャリアっぽい人にまたもや田中哲司さんなのは、どうなのよ。この人いつもDVする夫とか、ずるい不倫する人とかに当たり役みたいにされているけど。ひそかにファンだったりします。現代日本の名悪役ですね。