ふがいない
麩がない
いや違う
ふがいない
ふがい‐な・い〔ふがひ‐〕【×腑▽甲×斐無い/不▽甲×斐無い】
今この言葉を使うのは、ある程度の年代のいった人だろう。この映画に登場する「僕」たちは、高校生である。”ふがいない”とは言わないだろう。たぶん、ダッセーというのではないか。
これは、ふがいない、という言葉使いをする世代の女性ためのポルノ映画である。
男性には少しも面白くないだろう。なぜなら、男性はセックスにお産の現実を持ち込まないからだ。
作る気がないならパイプカットしろ
などという台詞を聞けばオトコはあっという間に萎えてしまうだろう。
30代以上の女性。コスプレプレイをする主婦を演じる、田畑智子。助産師を演じる原田美枝子などの。10代・20代は無心にセックスに興味本位で楽しみ浸ることができる。しかし、30代以上ともなると、身体が少しずつ衰えかつ結婚や、性=生 つまり、産み育てることへの現実に直面せざるを得ない。しかし、そのリアルとウラハラに生物学的により性欲の強くなる世代、それが30代以上の女性であろう。その後、更年期に向かってゆるい曲線を描いて向かっていく。
田畑智子はすごい。
彼女は聖女であり悪女であり
絶世の美女でもあり醜女であり
サディストでありマゾヒストでもあり
被害者でもあり加害者でもあり
知性者でもあり痴呆者でもあり
母でもあり幼女でもある。
女性の性の快楽、妄想、ポルノのあり方に局所は必要ない。
ただ、その心理描写、シチュエーション、感情移入できる、自らの性を投影できる白い肌があればいい。
田畑智子の白さはそういう白さだなあ。