更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

「じぱんぐ」の文脈(コンテキスト)のようなもの その1

お読みいただきありがとうございます

壮大な(?)オナニー漫画 「じぱんぐ」が終わりを迎えつつあります。

こんな内容だしキーワードも何も入れずパブーさんを臨時倉庫のようにして、黙々と更新だけしていました。それでも定期的に読んでくださる方がずいぶんいてくださり、不思議かつ温かい気持ちになりました。ありがとうございました。

近いうちキンドルで全頁落とせるようにしたいと思います。

4連作にするつもりだった

この「じぱんぐ」という物語は、2011~2012年の闘病中に描いたネームを元にしています。途中で某有名漫画の題名、某有名闘病漫画の題名と主人公の名前と酷似していると気がつきましたが、同じ土俵に上るような代物ではないと誰もが思うだろうから、そのままでいくことにしました。

当初は同じ病室にいた、4人の女性それぞれを主人公にした連作としようと試みたのです。この「球ちゃん」の回の次は「玉置さん」を主人公にして、その次は、子持ち主婦の二人を主人公にして…と妄想を抱いていたのですが

いかんせん、今や、闘病モードではなくなってしまい、もう当事者として感情移入して描けない現実的ではないと思っております。ご要望があれば描きたい気もしますが…。

玉置さんが登場すると、ガクっとアクセスが下がるので、彼女を主人公にしても受けないだろうな、というのも理由のひとつです。私は玉置さんが大好きで、真の主人公は彼女だろうというくらい思い入れがあるのですが、感情移入しずらいのでしょうか?勝ち組キラキラ系の主婦って。

こういう電子書籍を利用すると、消費者の好みが分かっていいなあ、と思いました。

じぱんぐが指し示すもの

通常「ジパング」=日本の別称で、 Japanの元になる言葉、Cipanguが語源とされている。16世紀に遡る。

かつてマルコポーロが日本をこう呼んだ。黄金の国として。

莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできているなど、財宝に溢れている。

マルコポーロの東方見聞録に影響を受け、ジパングという黄金の国を探して、航海に出たのはコロンブス。

俗説ですが、コロンブスはマラーノ(イベリア半島系ユダヤ人の蔑称)ではないか言われています。スペインの異端審問等の虐殺を逃れようとしたユダヤ人達。東方の黄金の国に希望と新天地を求めて出発した。

ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar começa)

行き先も知らない帰る場所のない冒険の旅。

多くの人が私も含め

ジパング=歴史や国家の「物語」

で捉えがちです。しかしこの癌闘病女性、白川珠美の「じぱんぐ」には歴史物語は一切ありません。「じぱんぐ」は彼女の記憶にある、一瞬の刹那の光景なんです。

ヤンキー珠美に歴史を説いても無駄である

珠美は基本ヤンキーなんですよ。コミュ障の上、気に入らないと暴言や暴力をふるうし。ジャージ着てるしwヤンキーは派手だとヤンキー足りうるのですが。珠美は地味なヤンキーの中年女。存在価値などまったくありません。

歴史とか国家とか思想とか彼女に理解できるわけない。しかし、彼女にあるプリンセスのような何か、高貴な何かを見た記憶。祖父が黙々と生きている輝くような後ろ姿。それがエゲつない人生を支えていた。

ただただ黄金に光る「美しいなにか」を見た。職人の祖父の作った黄金の龍の手仕事の光景が脳裏に焼き付いている。貧乏で40歳超えても段ボール10箱しか財産はない、しかし、誰よりも高貴な唯一の持ち物、それが黄金の刹那の瞬間の記憶なのです。

決して交わることがないであろう上流奥様の玉置さん=麻里江が彼女に惹かれずにいられなかったのはそこにあると思います。

黄金の手仕事。それが日本人そのものだと思います。

和菓子屋さんの手仕事が私にとっての「じぱんぐ」だった

私の支えは、和菓子屋さんの作る美味しいひとつひとつだった。菓子には壮大な理屈や社会正義などない。「弱者」を装わない。政治や思想名前など書いてない。自己憐憫や言い訳を許されない。どんなに名のある店でもまずいものを作ればそっぽを向かれる

ただただ毎日寒い朝に手を清め祈り、何千回、何毎回も作るだけだ。

美しく、人の心を安らかにする甘やかさがそこから産まれる。彼らはアーティストではない、食べるものは一瞬にして口に入ればなくなる。おいしかった幸せやったかどうか、それだけだ。それだけの仕事に職人さんはエラいこと目に見えない努力をするのだった。

そういう世界に戻りたい、あきらめない、と思っていた。それくらいのものです。

物語に意味はない

物語の帰着点や将来、10年、20年後の自分を夢見よう理想の自分とか考え出すと気が狂いますよ。闘病しているしてないを含めて、将来ビックになるとか、有名になってお金もうけバリバリ、皆そんなこと考えながら生きてるんでしょうかね?10代や20代の若い人ならともかく40代ともなるとねえ、あなた。10年前に夢みてたことが今の自分になっているかと思うとなってないでしょう、殆どの人が。(なっている人、いわゆる意識が高い!もいるでしょうがそりゃ)

10年後の自分より、明日の働いてる自分を励ますので精いっぱいのような気がする。

来年、あの細工工芸を見るために北陸とか行くんだ~カニ食べに行くんだとかの楽しみのために、なんとか一瞬一瞬を生きている。カニ食べたいと思えるだけですごいことなんじゃないかと。珠美が色々あって「生きたい」「故郷に帰りたい」という願い(希望)を持つことが出来た、それだけで奇跡じゃないかな、と。

少子化だとかグローバル化だとか先の日本の状態を考えたら、勝者になってキラキラ輝くような毎日、というのはホンの一部の限られた人のものであり、そこを到達点として目指したら疲れ果てちゃいますよ。

低レベルかもしれませんが、明日来年、きれいなものを見たい美味しいもの食べる、それだけでええやんか、と。

火の鳥とじぱんぐ

ところで、5巻の珠美がマリア像と対峙するときの「怒」という表現は、あの手塚治虫先生の「火の鳥」の「鳳凰編」の確信犯のオマージュ、本歌取りです。

手塚先生という大大偉人を引き合いに出して、恐れ多いんですが…

私は、火の鳥「鳳凰編」が大好きです。珠美が焦がれてやまなかったのは黄金の龍ですが、

「火の鳥」シリーズでは永遠の命の象徴として、炎に燃えさかる鳥が登場します。主人公の仏師、茜丸は「火の鳥」という一瞬の輝きを捉え、彫刻にしたいと夢見ます。

火の鳥の生き血を飲んで、長生きしたい(物語を引き延ばしたい)という欲望の登場人物も沢山いますが、茜丸は、

ただただ、ほんものの美しいものを見て、その手で形にしたい、

それだけなんです。

珠美と勝男の今後について

珠美も「私には向上心がない」とかほざいてますが、勝男と北陸に移住して、見るだけでいいと思ってた工芸品に感動して、人生一度きりだと、思いきってそういう仕事に就いてしまうかもしれません。

勝男も「孤児院設立」の夢、神父の立場を捨てて珠美と生きることにしましたが、色々なつてで福祉の仕事に従事して、結局夢をかなえてしまうかもしれません。そういう結末もあると思いましたが、それだと成功するために夢をかなえるために生きろ、みたいな主旨でなんだか嫌だなあ、と思いました。

望む姿に50%でも到達したら大成功じゃないですかね?夢なんて叶わずに生きるのが大半な人生ですよ。どれほどの夢や望みがあっても、奪い去るときは奪い去るのです。使命や運命などありません。

キラキラ輝く自分になるより、小金を貯めてキラキラしたものを享受して楽しく生きる

「夢」「夢」「自己実現」「自己表現」ポップスやマスコミは言い過ぎです。

そんなこと言ってばかりいるから皆追い詰められちゃうんじゃないでしょうかね。「夢をなくした大人になんてなりたくない」「きらきら輝きたいっ」って…電飾かよ。人生は子供時代(18歳まで)より大人の時間(以降)の方がずっと長いんです。キラキラ生きてたら、疲れ果てますよ。

病気にかかっても、たとえ健康でもいずれ老いて足腰が弱る。でも医学が発展していて、そうそうすぐあの世に行けません。弱いままハンデを負ったまま、他人や世間に迷惑を存分にかけながら長生きするケースの方が多いです。いずれ我が国「じぱんぐ」は半分はそういう人で占められます。そうなったら、若くない元気じゃない美しくない自分、理想の自分じゃない自分でどうやって寿命をまっとうするか。

ほんまに、10年後20年後の理想の自分とか目指してたらノイローゼになりまっせ。それよりは、美味しいカニ、食べませんか?

明日も「じぱんぐ」を書いたグチャグチャした裏話をつづりたいと思います。(そんな余力があるならあのひどい絵をなんとかすべきではあるんですがw)

じぱんぐ