更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

少しだけ天気が良くなった

ようやく少し晴れた

ふたりで京都の御池通りを歩いて 寒々とした空気

わずかにさす光を亀のようにあびて

「あの時いらい初めての晴れだ」

「そうだねえ」

「あの人 よりによってこんな寒い季節に亡くなるんだから」

「冬はねえ セロトニンが生成されないからねえ」

とぼんやり会話した。

ほんとに久しぶりの晴れであった。

テレビは芸能人の不倫と不祥事と国技の政治。まったく役にたたない映像しか流さないのでみてないかわりに、Twitterだけで流れてくる「世間さま」の情報だけだ。偏った脳が偏りまくっているのだった。夫はTwitterしないので偏りどころか閉塞している。

二つの炎上が同じような感じ

発達障碍者は結婚するな子供つくるな

そして

おかあさんはおかあさんだから滅私奉公しろ

が炎上して盛り上がってるんだよ なんて話題を いまの伴侶に微塵も出せない。

この二つが違っているように見えてしかし同根が全く同じであること 私達の問題そのものであるを話し合えるような余地はない。気力も体力もない。泣きすぎて。眠れなさすぎて。

今回の事件で、うっかり眠るためだけに心療内科に顔を出したところ、二人が真正なアスペルガ―症候群だと判明する。これまた うっかりしたことだ。

悲劇は発達障害だったから?

本来なら喪失感からくるショックだけで済むものが

お互いの親族親兄弟姉妹の性格と特性、祖父祖母について細かく思い出すことになり、ああ、やはりあれもこれもそうであった。現在もそうである。かの人も深刻なそうであったことは間違いない。

何度も職についたが人間関係でダメになったこと。母親の情緒が分からないアスペルガー要素のある父親、多動的で孤独な母親。その母親が息子と密着して閉塞したこと。他に人間関係を作れなかったこと。依存物質に頼りがちな脳であったこと。

地獄を見たければアルコール依存者の家族を見るがいい

とは良く読む一文だ。しかし、実態は多くの人が想起するような 酒ビンを持って暴れている家庭、というイメージでは全くない。滅私奉公ポルノ(アタシさえアタシさえ尽くしていたら我慢したら全て上手くいくのなぜならアタシ愛しているからアタシお母さんだから。アタシ女だから)というイネブラーの愛情あふれる静謐な隠れ家だ。その家庭に住む人々の酸素を奪う息苦しさ。悲しみだけが覆う「愛情一杯」まみれの場所。一見、三丁目の夕日のような昭和的な幸福感で時間が止まっている。それがアディクションの培養液たる空気である。その中に発達障碍者が沢山いて、お互いに傷つけあっている。

滅私奉公を礼賛してたらこうなるよって世界の中心で叫びたい。けど、礼賛している人は聴かないんだろうな~。だってあれポルノだから。ポルノを好きな人の性癖は変えられないよ。

そういう人々が増えて問題化して今は救済してくれる公的な場所や医療や情報が沢山あるのに、昭和人は気が付かない。見たくない。そのままにしておくしかない。

とりあえず生きていかないとなあ

しかし、私達はまだ墓場まで何十年と時間がある。いきていかなければ。

これをきっかけにありとあらゆる隠れたものが露出噴出した。いままで自ら見ないようにしていたことがすべて爆発し、自家中毒を起こしていて、それは良い契機であり、いつかは対面しなくてはいけないことだとは薄々気が付いていたが、

何もこんな寒くて薄暗い今の季節でなくていいだろに、と天が恨めしい。

ようやく子供のいない二人の気持ちにケリを付けることができたのがこの数年なのだ。立て続けにこりゃないよな、と苦笑いする。

あの炎上で「人権」という言葉が何度も両方の問題に飛び交うが、「じんけん」とはなんと空しい響きなんだろう。人権とは「ふつう」の人だけの権利なんだよ。

なぜうんだんだなぜうまれてきたんだ

どうして自分たちの親は自分たちを産んだんだろう、その親の親はどうして産んだんだろう、彼等が産みさえしなければ、いま私達はこんな冬の日こんなひどい思いをしなくてもすんだのかもしれない。口に出さないけど思う。

だからあの「発達障害者は子供作るな」元tweetに「ひどいわ!」とも思うけど「それもそうだよなあ」なんて感じる自分がいてゾッともする。

それほどこの年になるまでこんなにしんどかったこんなにしんどくなる運命なのになぜその血に気が付かないで産んだんだ と悲鳴がこの1か月はあった。

おまえの心がけが悪いせいでおまえの努力と滅私奉公の精神がないせいで そんなおまえがいるせいで私達は不幸だ こんなはずじゃなかった と親に責めたてられて

でも今や気が付く。老いたら親、おまえの脳も私とそっくり同じ。これぞ遺伝子じゃないか。

晴れたら解決するのかな

晴れの日はネガティブな感情が薄れる。

遺族とはそんなもんかもしれない。と諦めて楽観的になる。

こうした後悔と恨みと希望を繰り返すのだろうと。

テンプレどうりの苦しみを繰り返す。書物や人の話によると、復活まで数年かかるらしい。なんてこった。コツコツ積み上げてきた不器用なりの日常が、一人の衝動的な依存症のオッサンにより破壊されるとは。やはり憎らしくてしょうがない。くそう。

晴れの日は

「矛盾を愛そう」

とも思う。いつでも晴れではないことを許したい、許さなければ。と。

許しと哀悼の気持ちと憎しみが入れ替わる。矛盾している。

矛盾を愛そうとしたユダヤ人たち

今回が特別なことではなく、ある種の人々、障害者の血脈を絶てという文脈は定期的に出てきて、それはナチス的だと揶揄される。

ユダヤ人の歴史からしたら、実は虐殺はナチスにはじまったことではない。延々と定期的に虐殺は起こっている。

彼らの作る高い壁には批判があるが、歴史と経験の結果なのだ。ナチスだからあの思想が生まれたわけではない。時代が行き詰ると奴らは必ず簡単にこちらを抹消しにかかると学んだ結果である。

ユダヤ教はトーラー(出エジプト)からがその始まりである。そう、虐殺からの葛藤が彼等の出発点なのだ。

アダムとイブとのリンゴの話はキリスト教の世界である。そこが違う。

ユダヤ人たちは自分たちが奴隷の場所からいかに出て、自分たちを殺戮する手から逃れて「約束の地」に行くことを絶えず討論している。収容所でも討論していたし、約束の地を獲得した(シオニズム)かに見える未だそうである。討論には終わりがなく、答えがいくつあっても良いとする。

ひとつだけが真理ではない。

矛盾を愛そう、というのがユダヤの教えのひとつである。

私は是でもあり否でもある

私の存在も矛盾の産物であり、是であり否でもある。

何故子供ができなかったのか、そしてなぜ発達障害の末裔の家族として夫婦となりここにいるのか、ここにあっていいのか そして誰を見送り そしてどうやって一人で逝くのか

という問いを繰り返し、答えを何種類も出しては入れ替わるだろう。その自己討論はやむことがないだろう。

そんなことを考えずに楽しめばいいのよ、という人もいる。そう思える日もあるかもしれないが、問いを捨てるかどうかは私の勝手である。

私は一生、問いを持ち続ける。

ユダヤ人さえいなければ、あいつらさえいなければ、あの血脈を絶てという声と何千年と向き合ってきた彼等の思想には学ぶところがある。

なぜ神はユダヤ人をエジプトから脱出させようとしたのか

あの口ベタで朴訥(アスペ)なモーセを選んだのか

自由になろうと思わなければ、あんなに殺されなかった 惨殺やいじめに合わなかった

ここまで苦しめる神は本当に人を愛しているのか。なのに人はなぜ神を求めるのか。

ものすごい「矛盾」である。

そもそも生まれなければこんな地獄のような悲しみに合わなかった 今もあるパレスチナ問題に葛藤することもない。

神はなぜ苦しめると分かって我々を作ったんだ?

その矛盾を愛するがいい。

空気を読めない人を排除したら時代は止まる

その苦しみ悲しみと引き換えにボブディランやマーラーやバーンシュタイン アインシュタインを人類は獲得したのである。

空気の読めない発達障害者の差別と息苦しさと引き換えに日本人は数多くの芸術を得て、明治維新を得たのだ。(定型ヤンキーたちの好むヒーロー坂本龍馬はADHDの最たるものだし大村益次郎はアスペ以外の何物でもない)

これからも我々は抹殺と断種を望まれ、反面、存在を喜ばれ次の時代のために必要とされるだろう。

それは天才であれ、ということではない。IQなんてどうでもよい。今は特に空気を読まない人々が必要なのだ。これからは空気を読んでいたら自滅するだけだ。

変なヤツは死ね子供作るな などいう奴は、自分だけはずっと安寧、自分の子供に手厚く介護してもらえると本気で信じてるんだろうか?

これから年寄が日本の1/3になるんだ。もう従来の価値観では日本はお終いだよ。金持ちは日本からどんどん逃げ出すしね。発達障害者どころじゃなく、どっから見てもポンコツで老いて脳が疲弊した人間が街中にあふれかえり、同士で助けあうしかないんだよ。

今までの「同じ私たち」だけで「皆一緒」でやっていけないよ。。。

これからも空気を読まないで生きてやる。

相模原障害者殺傷事件 ―優生思想とヘイトクライム―

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