更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

ともだちがほしい

調べてみたら自助グループや会は沢山ある。行ってみようと考えている。

友人が欲しいのだ

思い起こせば長年の色々な付き合いで、ああ、この人の傍にいたらなんだか安心するなあ、リラックスするなあ、という人は、まさに真正のそういう人達だった。

なんで安心したんだろうか?

そういう人は裏表がないからだ。深いこだわり自分の世界を必ず持っていて、閉じている場合があり、会話でもさほど相手を理解しようとしない。理解することもされることも放棄している。自分を顧みてもそうだ。その能力がないのだ。

その距離感が心地良いのだった。

理解することされること=絆 は距離感が近すぎて窒息しそうになる。

私は自分が見下げることが出来るからそういう変なポツンタイプ(失礼!)に惹かれるのだろうか、私の心は醜いなあ、相手に失礼だよな、嫌だろうな、と考え「この人と親しくなりたい」と思いつつ「迷惑をかけてはいけない」と辞めていたのだ。

ようするに自分より下で可哀想と思い込んでいたが、自分の方がより変で、強烈なポツンタイプであったのだ。シンパシーを感じて当然であった。

私の恐怖するところの女子グループ「ふふふふふふねえ奥様一緒よね!私達同じグループね!味方よね!わかるわかるわかるわあ~共感!共感!ラインのアドレスいんすたぐらむ」と大勢で群れて目まぐるしく変わる喫茶店や居酒屋でのとりとめのない会話、陰で悪口言ったりしているそのニュアンス(それはそれで女子仲間が円滑にいくための暗黙のルールとして必要である)が一切わからない。

いつの間にか頼めば断らないお人よしとして利用されていたり、うっかり共感の相槌を忘れ嫌われていたり(女性の会話の「わかる!わかる!」と「ふうん…」の違い。ラブかダイくらいの強烈な差がある)服装や行動のおかしさをネタに大勢に欠点をいじられるか、会話に入れず無視され、例えばその女子仲間の一人とうっかり二人きりになったとたん、スマホを目の前で延々といじられたり「ちょっとトイレ」と消えられていたりトホホエピソードは枚挙にいとまがない。

ブログでは強気で書いているが(そういう愚痴を書きまくる場所としてブログを利用している)実際は私はウサギのようにプルプルと気を遣っているのだ。

「そういえば、息子さん高校良いとこ受かられたのですね」「彼氏さんとはいかがですか」など彼女たちのしゃべりたくてたまらないだろう内容についてヒアリングに徹する(会話は聞く側に回るのが感じの良い人ですというどこかのマニュアル本を真に受けて)んですが、「は?あんたに何が分かるの?」と冷笑されることが多かった。

考えてみたら女なれしていないキモオタが「ご趣味はなんですか?」と一生懸命に発言しているそのものだったのだ。それも平板な声色で。

それも男性ならともかく私は女性である。子供もいない。子持ちが大勢いる同世代の女性群には異分子同然である。さぞかし不気味がられていたのだろう。

年をとると演技のコツ(演技を私は身に着けて生きてきた)が分かり、こういうときは「わかる!」と絶えず言えばいい、など分かってきたが全然分からないものを「分かる!」との連続の演技は疲れすぎる。一切ないコミュニケーション力で演技により適応するのは苦痛で、終わったあと1週間寝込むくらい疲れる。

しかし自分の演技力は仕事には強いとは自覚している。例えば接客営業仕事をすると別人のように明るく接し、ホスピタリティがあると評判になったり 売上が上位になったり 人気者になれたりする。

演 技 に徹しているのだ。

なので、仕事や近所付き合いでどうしても必要だと思う場面のみの参加にしている。みんなリラックスするためにやっている女子会ランチ飲み会が私には苦行そのものなのだ。

でも、です。こんな自分でも人と会いたい友達が欲しいと渇望する。複雑な心境ですが。

演技をしなければ嫌われるし、こんな一切の演技オンリーの付き合いは楽しくない。するどい人には演技だとバレバレでその変さをネタとして「いじ」られたこともある。演技に徹しなければ年に1~2回程度の飲み会にも参加できない。堂々巡りである。

当該者と宣言されて良かった。何故私が演技をしなければ他人と交流できないか分かったためである。演技をさほどしなくても(同士でも礼儀は必要ですが)付き合える相手を求めて頑張ってみようと思う。この年でいまさらだけど。失敗するだろうけど。

昨日読んだアスピーガールの本は、ティーン向けだが、諦めてはいけない。人の中に入っていって味方や理解者や友人を見つけることを諦めてはいけない、と書いてあった。勇気づけられた。

自分が発達障害だとはっきり一度意識つつつ、頑張ってみようと思う。

そのさい

相手と距離を縮めすぎないようにする

というのが大事だ。

弱者同志の共依存を避けるため、相手の問題には踏み込みすぎてはいけないし、相手に自分の問題に踏み込ませすぎてもいけない。

記憶にあるに明らかにADHDの女性が昔、こちらの仕事や状況に嫉妬して、境界例のようにしつこく絡みついてきた記憶がある。(実母は同様タイプのADHDである)

また私が弱者ポツンぎみのその人にこうすれば解決するのに的な余計なおせっかいをやいたこともある。(たぶんその人には暴力に近いだろう、申し訳なかった)

発達障害は生育が複雑になりがちで二次障害、そういったボーダー(境界例人格障害)や精神障害を併発しやすい。騙されやすいゆえに極端なカルト思想や新興宗教マルチにはまる人もいるだろう。私自身も若いとき右翼思想と鬱疾患を持っていた。

現在、親戚の突発的な不幸が起こったため、夫とともに抑うつ状態にある。一時的なものであるとの医者の判断だが

そういった問題や不幸を誰かに「分かってもらおう」として愚痴りすぎたり相談したらダメだと思う。相手も自分も「巻き込まれない」距離感がないと、同じ該当者同士(該当者だからこそ)での悲劇的な結果になるだろう。

だから10分千円というお金を取るカウンセラーがいるし、自分で良きパートナーとして調べて割り切って利用する。ただ啓発セミナー系やスピや洗脳支配して騙そうとする自称プロがいるので、資格があり医療機関と提携してる人が望ましい。

そしてブログは必要だ。思い起こしてみたら私は「ぎみ」かもということも記事にして吐き出すことができ延々書いているからこそ、こうして診断がついても右往左往を免れてる(混乱はしている)

手帳は申請しない。もっと困難な人や子供たちにその支援は譲りたい。日常生活も仕事もとりあえずなんとかなっているからである。

日々がとても辛い日もあるし、楽しい日もある。それは定型発達者も同様だろう。