更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

映画『沈黙 -サイレンス-』遠藤周作原作 感想その3 キリシタン踏み絵をふんだり蹴ったり

ちょっと踏み絵をふむだけよ…

ネタバレ覚悟で読んでね。映画『沈黙 -サイレンス-』遠藤周作原作 感想3です。

イケメン青年神父 ロドリコはあの手この手で改宗棄教を迫られます。厳しくされたり優しくされたり、かつての上司に会わせて話をさせたり、同僚を目の前で死なせたり。

一番落とし穴的にかつ耳に響くのは、浅野忠信演じる通辞(=通訳のこと)の説得でしょうか。

ちょっと踏んだふりするだけやねん 心を込めてしなくていいねん 形式だけだからさあ ねえ、ちょっとだけよ~ちょっとだけ~

と実に優しく、諭すように微笑みながら語りかけます。老人にハンコを押させる豊田商事か。

通辞はきっと本当は残虐拷問なんて見たくない。

ガルペ神父が死んだときの通辞の嫌っぷり。

先日書いたように、彼も仕事です。キリシタンはあっさり棄教してくれたらいいと思っている。俺の仕事も減るし、拷問なんて見たくないし、関わりたくない。残虐シーンがなければ今晩眠れるのにな。神父、踏んでよ、お願いだから、踏んで!ったらという感じです。

切支丹をいじめる幕府・奉行側も人間です。色々な感情が渦巻いているのでしょう。浅野さんはその気持ちを実に上手く演じておられます。

踏みゃいいやんか。なぜ踏まぬ。切支丹もバテレンも。

切支丹(キリシタン)迫害のシンボルである「踏み絵」とは何か

たかが銅板です。

キリスト教は偶像崇拝ではないはずです。神は各自の心にいるはずなんだから、踏んだところで大したことない。なんで踏まないのか私も不思議でした。

折しも、こんなニュースが出ていました。

headlines.yahoo.co.jp

いやあ、すごいですね。今でも踏み絵、残ってるんですね。

「踏み絵」ってどうしてできたんでしょうか?本場のキリスト教国にはあるんでしょうか?

踏み絵 - Wikipedia

踏み絵の文化面白いですね。グーグルの画像検索でも色々なものがあります。

踏み絵 - Google 検索

いらすとや」さん、踏み絵まであるww

踏み絵文化は日本だけのものなんです。なんと沢野忠庵(登場人物の一人フェレイラ神父)が考えたという説もあるそうな。(何してるんでしょうね。この背教神父は…)

踏まなかったら映画のように拷問死させられる。だから、死にたくないから、だんだん時代が進むと共に信者も嘘が上手くなり踏んだふりが横行した。

キチジローが増産されたんですな。

そうしていつしか表面上は仏教徒、ただし心の中でムラで隠れて信仰し続ける「隠れキリシタン」が誕生。長崎でそのまま江戸時代から幕末まで潜伏した。すごいドラマチックですね。隠れキリシタンについて調べてみたくなりました。

いつしか踏み絵の儀式は形骸化し、長崎では幕末まで正月の踏み絵祭りみたいになっていたというから、驚きです。結局、井上筑後守の言うとおり、日本はありとあらゆるものを根腐れ骨抜き形骸化させる摩訶不思議な土地柄なんですね。踏み絵まで正月の行事にしてしまうとは…w

カトリック・キリスト教におけるグッズの役割とは

踏み絵がはじまった理由に、物に執着・物に命がやどると考える神道的汎神論かつ仏教的偶像崇拝な文化土壌が拍車をかけたのではないか。

この映画『沈黙 -サイレンス-』でも、長崎の民衆たちが、十字架や聖画をねだる。そうして物に執着して喜ぶさまをロドリコ神父たちは疑問に思っています。パライソについての考え方にも。神父が分解して分け与えるロザリオの粒を人々ありがたく推しいただくさまを見て、そういうのは問題だと。

こうしたもの(ロザリオとか)を日本の信徒が崇敬するのは悪いことではありませんが、しかしなにか変な不安が起こってきます。彼等はなにかを間違っているのではないでしょうか。

本来の教えとは違う、十字架をやたら拝したりするのは本来のカソリックの信仰の姿と離れているのです。そのあたり、日本人と西洋人は何か根本的に違うのではないかと神父は気が付きはじめるんです。

私も詳しくないので分からないんですが、宗教にはあらゆる文化、典礼グッズがある。キリスト教は偶像を否定していて、イスラムはそこはもっと厳しくて、人間を絵に描いたりするだけでアカンらしい。

ロザリオ・十字架・マリア像やキリストの磔刑図は、シンボルである。それを仏像のように拝する目的はないのです。あくまでも典礼のための道具であるだけなのに…。

とはいえカソリックは、結構グッズがありますよね。京都の河原町教会でも、美しいロザリオやマリア像が売られている。キラキラして美しい工芸品が多く、信者でなくても、持っていたくなります。

いくら偶像ではないといっても、ずっと持っていたら讃えたくなるし、お守りとして握りしめるし、ましてや踏んだりなんて出来ませんよね。

マリア像30H【ルルドのマリア像】

あまりにも伽藍や教会や司祭の役割などが形骸化、儀式化して、それに反発して出来たのがプロテスタントです。本来の聖書は神と人間の一対一の関係であると。さらには教会もいらぬと、内村鑑三の無教会主義というのもありますね。

司祭がいないと成り立たないのがカソリックです。

お守りを糾弾するキリスト教原理主義

そういや、思い出したのですが、昔、ちょろっと近所の教会に数回行ったことがあったんです。

外国人が大勢いて雰囲気が強烈でした(韓国系キリスト教はカルト性が強く問題になっているところがあるそうです)。ちょっと礼拝出ただけなのに、洗礼受けろとかセクハラっぽい実にしつこい付きまといをされて煩かった。

加えて、こりゃあかんわ。キリスト教は絶対性にあわへんわ、と思った出来事があった。(聖書は好きですが)

ある日本人の新人の婦人が日本のお守りを持っていたんですね。それを隠し持っているぞ!この罪びとが!とその外国人が大勢の前でその女性を弾劾しはじめたんです。近所の教会だからと行ったみただけで、そんな恐ろしいところとは思わなかった。あとで調べたら超!原理主義の教会だったんです。ああクワバラ。速攻逃げて行かなくなりました。

何故日本人はお守りや数珠、典礼グッズをありがたがるか

まあ、お守りくらい持つじゃないですか。日本人の習性として。パワーストーンとかすぐ信じちゃうし。特に、宗教とかスピオタクでなくても、オシャレやおまじない程度で持つじゃないですか。特に女子は…。

で、映画の貧農たちも、お守りのようにキリスト教グッズ(神父のロザリオとか)を欲しがったわけなんです。

日本人には仏教から来た偶像崇拝的な気持ちと、太陽や自然を崇拝するような汎神論的な思考が両方ある。それが実に複雑に入り混じって「沼」と称する国民性を作っているのではないか。

プロテスタントのこうした極端な原理主義はともかく、カソリックも偶像崇拝的なのではないでしょうか。フィリピンやブラジルなどもカソリックですよね。マリアが大好きで。土着的なお祭り化している。そこはやはり日本と似ているんですね。その土地の田舎風土とキリスト教がミックスしちゃうの。

キリスト教も偶像グッズがある

 ロシア生協正教のイコンっていうのもほんとまさに偶像的役割ですよね。

イコン - Wikipedia

正教会においてイコンとは、単なる聖堂の装飾や奉神礼の道具ではなく、正教徒が祈り、口付けする、聖なるものである

私たちは、キリスト教のイエス像ってこういうのを思いますが▼

デンマークの西洋アンティック/道を解くキリスト絵画レプリカ大

こういうのはルネサンス以後のものなんです。人間らしいですね。しかし、ルネサンス以前は違ってました。

キリストがこっちジッと見てるのがルネサンス以前のキリスト教絵画です。

聖書を読めない文盲の民衆を教育するために絵は描かれた。ダヴィンチやミケランジェロが芸術を目的に描いたイエスマリアの絵とは全くことなります。まさしく偶像的な役割のものです。こういう目つき、画風だったんだと。絵を見て信仰を正されたり、神の神秘を感じていたんです。

踏み絵が何度も登場してそのたびに人々の運命が狂いだす映画

だから、民衆、理性や哲学や神学を分からない民衆は、物や絵にすがるしかない。仏教的偶像崇拝の土壌もあった長崎の農奴たち。彼らが典礼物にすがり神父のくれるものにありがたがり、かつ踏み絵を踏むこと=棄教 となったのは当然至極。

実際、ただの絵が描かれた板にすぎないんだから

踏んだからパライソに行けない訳でもないだろう。思い切って踏んでも信仰が見破られたりもする。映画のように拷問死させられたりもする。

踏み絵は日本のキリスト教が産んだ独自の文化(?)なのでした。

江戸時代当時のイエズス会の神父たちがどの程度、聖画について偶像的役割を感じていたのかは分かりません。

原作小説「沈黙 」では

かつて雲仙の迫害でガブリエル師は日本人から踏絵をつきつけられた時、「それを踏むよりはこの足を切った方がました」と言われた

とあります。神父も踏み絵を踏むことが非常に抵抗を感じていることが分かります。

この映画『沈黙 -サイレンス-』で「踏み絵」は信仰を試すため出てきます。何度も何度も。そのたびにある者は死に、ある者は裏切って踏み、泣き崩れて絶望します。

映画の題名は「踏み絵」でもいいかもしれません。

踏もうが踏むまいが、神は何も言わない。黙っている。これが最大のテーマなのです。

映画は何度も何度もこの踏み絵を踏むかどうかで皆逡巡します。何度も踏んでしまったくせにキチジローも激しく苦しむのです。

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すぐわかる キリスト教絵画の見かた

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沈黙

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