更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

映画『沈黙 -サイレンス-』遠藤周作原作 感想その1 萌える神父・イエスとユダのマゾヒストプレイ

たいがいの人は内容を知っている?『沈黙』

ネタバレになる内容には頻繁に触れるのですが

私と同年代前後は内容を知っている人は多いのではないか。高校か中学だかの教科書に出ていたので。

私も若いとき読んだんです。それにあたり今回、読み直してから映画を観ました。

沈黙 (新潮文庫)

感想は今と昔は違いました。昔は、

え?なんでそこで踏むかな?

と良く分からないなあ?との感想しか持たなかった。陰鬱なだけの裏切り小説だと。

選択に迷うとき神仏は沈黙する

しかし、大人(おばさん)になってから読んだ「沈黙」は違いました。心にかなりズシンとくるものでした。

それなりに私も苦悩してアラフィフを迎えたせいか。

信仰や宗教に関わりなく、私がこの映画について思ったのは

人生の”選択”について書かれたものではないかと。

『沈黙』という映画や小説の物語の大筋は、一貫して”選択”について書かれています。棄教するか殉教か。キリストの踏み絵を踏むか踏まないか。裏切るか信じるか。信仰と信条の”選択”を描いたものです。

私も私たちも、この人生で”選択”をしながらきたはずです。ゼイゼイ息切れしながら年取ってきたはずです。多かれ少なかれ。この仕事しようかあの仕事しようか 結婚しようか 子供つくろうか あそこに住もうかここに住もうか あれを諦めようか 辛いけどあそこであの人を裏切る 見捨てるしかない など。そう、ウラギルという選択も年を取ると選ばなくてはならない。

”選択”にあたり、誰も教えてくれません。神に問うても答えてはくれないのです。命がかかった二択ですら。神は黙っているんです。沈黙するんです。

自分で考えろ。選べ。と。

何度神に聴いても祈っても返事がない。そして唯一の声が微かに聞こえるのです。キリストがユダに言ったあのセリフを。

行け、おまえの為すべきことを為せ。と。

踏み絵を踏む=裏切る という選択の意味は

一生踏み絵を踏まないで生きていける人はいるのでしょうか?

一度も裏切らず嘘をつかず意識高いまま夢をかなえて死んだ。それは確かに美しいし、かっこいい。

若いときは頭の中はそんなおキレイな理想が一杯詰まっているからね。裏切るなんて選択は選択肢に入らないですよ。

自分がいかに純粋ですごくで意識が高いか!

ということを誇示して、華々しく散るか夢をかなえることしか見えないのです。

大人になると自分の夢を裏切り友達を家族や仲間と揉め縁を切るようなこともある。それでも生きていかなくてはいかないのです。

この映画の神父たち、恩師を追って、キリスト教禁制の日本にやってきたのも若い青年神父たちです。

そういう意味ではこの映画を「若い青春時代の挫折と光」についての物語だと観ることも出来るでしょう。

そう観ない人ももちろんいるでしょう。

しかし、色々な要素、側面で観れる映画だと思いました。

キリスト教の小説がなぜベストセラーになったのか

日本では現在もキリスト教徒が非常に少ないです。(というか宗教を真剣に信仰しているという人自体が日本には少ない)

この『沈黙』という小説は、江戸時代の日本の辺境のキリシタン禁制を扱った非常にマイナーな内容。それなのに何故ベストセラーとなったのか。

世界中で翻訳されノーベル賞候補にもなったのは、他国・特に先進国にキリスト教人口が多いせいです。(ノーベル賞を貰えなかったのは、キリスト教の痛いところを突いたせいもあり批判があったため)

なのになぜ、キリスト教者でない日本人にこの小説が愛されて今も読まれているのか?

映画をこのたび見たらその魅力が改めて分かりました。

色々な層や考え方の人に楽しめる(と書いたら不謹慎かもしれない内容ですが)のです。

老若男女宗教宗派関係なく、心の何等かの琴線に触れるのではないでしょうか。

キリスト教や宗教に関わっている人、かかわったことのある人 戦国時代や江戸時代が好きな人 キリスト教美術が好きな人 色々な要素がつまっている映画です。昨日観た「この世界の片隅に」もそうですが。トランプ就任にあたり、転換点を世界も日本も迎えている。その自分なりの視点を探ることもできるでしょう。

今回の、映画『沈黙 -サイレンス-』は、ほぼ原作通りのものでした。その上、キャストや演技が素晴らしい。

デートにはお勧めできませんが…。

私は映画館で観る楽しさの一つに、周りの観客の客層を見ては感想を盗み聞きしたりしたりするというのがあります。下卑てますが、オバサンだからねw

何の気なしに入ったであろう若いカップルが観たあと

「観るんじゃなかったね…」「うん…」「ポプコーン食べれなかった…」と呟いているのを聞きました。

ああ、デートに見るもんじゃないスよ。うん。

歴史の授業でフランシスコザビエルや島原の乱を当然習ったであろうから、その延長で、安土桃山時代の異国情緒を味わうつもりで入ったのでしょうか。

違う意味の異国情緒たっぷりで食欲が失せたのでしょう。私は上映中平気でオヤツ食べてましたが…。

観客層としては老若男女平均していたと思いました。公開スタート直後というのもあり満席でした。

遠藤周作は私以上の中高年が知るベストセラー作家なので年配の人は無論多かった。映画館慣れしてない人もいて(カトリック教会関係者?)と思わされる人もおられました。

イケメン大受難映画

意外に若い人が多いのがびっくりしました。それも女性が多かった。。。

浅野忠信や窪塚洋介(敬称略しますスイマセン)の人気もあるんでしょうが

主人公の神父役アンドリュー・ガーフィールドがイケメンでした。

はい、イケメン、イケメン、イケメンが多かった。

イケメンが苦悩するイケメンが裏切る。イケメンが拷問される。イケメンが半裸で拷問される。イケメンが優しい。イケメンが十字架に張りつけにされる。

▲これは違う映画ですが、美青年がハダカで張りつけになってます。まさに磔刑図wこの映画が女子の支持を得ているのはこういう訳がありましょう。

映画『沈黙 -サイレンス-』では、アンドリュー・ガーフィールド、浅野さん窪塚さん、そしてあの美しい加瀬亮様は片目を潰され、惜しげもなく惨殺されます。ああ…。もったいない…ああ労しい。

女性が萌える要素が確かにある

こうしたBL的マゾヒスト萌え要素が確かにある。

映画には大仰な男根主義のような男優が一人もいなかった。そして女性役が一人しかいない。(クリスチャン農婦役の小松菜奈さんは非常にかわいいですが、汚れ役です)

時代劇によくある男性に都合のいい「あ~れ~」的なエロやロリな女優もいない。ヒロインがいない。そういった意味で、自覚的にもそうでなくても、女性にとって非常に好ましい残酷歴史映画だといえます。

老人奉行役のイッセー尾形も”狡猾”というキャラクターではあるものの、どこまでも清潔で何か殉教者のような雰囲気のする役者さんです。

確かに拷問シーンは眼をおおいたくなりますが、残酷拷問コンテンツというのが確かにあるのです。貧困コンテンツというのがあるように。

拷問というか処刑コンテンツを楽しむマンガに「イノサン」があります。

イノサン 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

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何故キリストの張りつけがシンボルなのか

人はひどいわ、可哀想だわ、見たくないといいつつ、残虐シーンを見て何か胸をすくようなスッキリ感はないでしょうか?だからこそ、ゾンビ映画はヒットし、キリスト教には磔刑図は必要なのです。

欧州教会使用 創業100年木彫りブランド《レーピ》磔刑像(クルチフィクス)「チロリアン」タイプ E カラー キリスト像の大きさ 20cm【イタリア】

半裸で十字架に縛られる若い美青年(キリストは死期33歳)を崇めるからこそ、だからこそ、信者たちは殉教できるのです。

彼らはキリストへの愛を頼みにします。

アガペーは神から人へのものですが、エロスは確かに人間から神への愛です。

悲壮感という名のエロスを修道士たちは味わいながら信仰生活を送る。彼らは生涯独身(童貞)です。異性のナマの性を味わうかわりにキリストに全ての恋心と愛情とエロを注いで生きるのです。

映画の主人公も「あの人」とキリストを呼び、たえず彼に呼びかけ祈りその御顔を想像しながら、悲壮な日本伝道を全うしようとします。

無視、沈黙、シカトする神

しかし「あの人」=キリストは沈黙している。

シカトですな。

その人を信じてここまできたのに、いざというとき、よっしゃあ、いざその時

ツ~ン、知らへんわ、

という神。エリ エリ レマ サバクタニああ。

キリストを信じるものが殺され虐待拷問されても助けない。呼びかけない。黙っている。映画の題名はその「沈黙」をテーマにしています。

なんでやねん!
なんで神はん 知らんぷりしてんねんやあああ!!!

ユダとキリストの恋愛映画

先にこの映画にはヒロインがいないと書きましたが、正確にはヒロインはロドリコ神父(アンドリュー・ガーフィールド)です。美しい青年神父。

そして相手役は彼にまとわりつくキチジロー(窪塚演じる信徒)の追い追いかけられの物語。

神父=キリスト キチジロー=ユダ の象徴であることは明白です。

キリストとユダの愛と恋愛は、男性性の肉体愛ではなく、拷問と裏切りのマゾヒストの恋愛なのです。BL好きの人にはたまらないのでは…。

この図式は新しいものではなく、絶えず、キリストとユダの関係は問われています。

何故ユダはキリストを裏切ったのか キリストは何故彼が裏切るのを知っていたのに行くにまかせたのか

この映画もこのテーマが通底しています。

なぜユダはキリストを裏切ったのか そしてなぜ許したのか

ユダはキリストを裏切るときキスをします。キリストを捕えようとしている警視たちにこっそりと「私が接吻する人がその人である」とあらかじめ言ってあるからです。

ユダはその見返りに銀貨30枚を手にして、その後後悔して自殺します。

ユダであるところのキチジローは、何度も神父に許し(接吻)を請います。

神父はその許しの儀式を断ることが出来ません。そういう決まりなんですね。司祭は告解を求めてくるものを拒んではいけないのです。

かくして、キチジローは何度も何度も仲間を信徒を家族を、そして愛する神父を裏切り続けるのです。いいかげんにせいや、というくらいに。

キチジローの危うい摩訶不思議な、DQN性。まさに窪塚洋介のあの存在感でしか表現できないでしょう。

なんでこんな糞やろうがいるのか。遠藤周作さんは何故このキャラを生み出したのか。

キチジローは自分自身であると作者は述べていたといいます。

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

 


『沈黙-サイレンス-』予告

この映画の感想は、まとまりがつかないほど多いので明日以降も数日にわたり徒然と書いていきます。