更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

『この世界の片隅に』京都 立誠シネマプロジェクトの片隅で観た 原作こうの史代

京都立誠シネマプロジェクトとは

立誠シネマプロジェクトは、京都の木屋町通りに面した元小学校を利用したシアターです。

京都はこのように明治期に建てられた小学校が多いのです。歴史も古いです。

京都市学校歴史博物館トップページ|京都市の学校に残された歴史資料や寄贈された美術品を展示しています

統廃合で廃校になったとはいえ、その美しい建物は京都芸術センターなど色々な活動に活用されています。同様に立誠小学校の3Fに小さな映画館が作られているのです。

普段はアート芸術・テアトル系の映画の映画が上映されているようです。

立誠シネマプロジェクト|京都・木屋町通、元・立誠小学校のシアター

2016年上映映画の一位になった『この世界の片隅に』原作こうの史代

この『この世界の片隅に』は「第90回キネマ旬報ベストテン」1位になった。

キネマ旬報ベストテン、邦画1位は「この世界の片隅に」 28年ぶりアニメ作品 : J-CASTニュース

そのせいか大勢の老若男女が詰めかけて順番を待っていました。近年の映画館とは違い座席指定や食べ物販売はありません。予告編もありません。飲食が可能かどうかは知らされませんでしたが、隣の人の息遣いが分かるほどの狭いすし詰めな座席です。飴すら舐めるのは憚られました。立ち見も出ました。トイレに立つ人もいませんでした。

古い古い小学校ですから 部屋を黒いカーテンでしきっているだけです。

50人も入ればいっぱいになります。席も簡易椅子だけのしつらえです。なんだか昔の文化祭の出し物に紛れこんだような懐かしい気持ちになります。

「のん」こと能年玲奈さんでなければありえない映画

そんな中で『この世界の片隅に』は上映されました。

原作は発刊されてすぐ読んでいたので大体のストーリーは知っていたのですが

多くの評判通り

「のん」さんの声がすごいです!!

「あまちゃん」の「能年玲奈」さんのことですが。

彼女の声を聞いているだけで涙が流れます。自称「ぼ~」としているという主人公すずのキャラクター。「のん」さんの声。その深い美しい透明感が、すずさんそのものとしてシンクロします。まさしく「のん」さんでなければありえない映画です。

芸能事務所を移ったがため評判もあえてマスコミが隠しているとのうわさがあります。が、クラウドファンディング(CrowdFunding)による資金調達なのだからしょうがない。スポンサーは企業ではなく一般人達なのです。

映画のエンドロールにそのクラウド参加の人の名前が全員放映されたのが感動的でした。隅々まで心を込めて作られた映画でした。

ジブリもプロ声優を使わないことで有名でしたがいつしか話題集めのために有名俳優やジャニーズを使うようになり映画の煌めきを失っていきました。

この『この世界の片隅に』がマスコミの後押しがないのに、ここまで評判を得た。その理由にこの「のん」さんの起用、当時の光景を再現したこだわり、原作の強い魅力、いずこから来たのだろう、あのかつての時代からきた「なにか」があるに違いありません。

色んな観点で観れる戦時中”ありのまま”の映画

この映画を観たあらゆる世代が独自の観点での感想を持ったことでしょう。

同様の広島を描いたマンガ「はだしのゲン」とは違います。『この世界の片隅に』は思想色の強い反戦マンガ映画ではありません。

ただ、ただありのままの当時戦時中の広島・呉の人々、女性たちの暮らしを綴っています。

戦時中の市井の人々の当時そのままを忠実に再現したアニメなのです。

なので感想には幅があるのです。

▼この多種多様な感想には感動します!

この世界の片隅にに関連する136件のまとめ - Togetterまとめ

ある人は昔の日本人の暮らしを思い ある人は戦争とは何かと思い ある人はつつましい暮らしを思い 食べれない時代があったんだと驚愕したでしょう 主人公の「すず」さんが絵が好きな女性であることからオタク心をくすぐられ共感した人も多いことでしょう。

誰もが好きに思うように観てもいい映画なのだと思いました。

戦時中の女性の立場、あり方を考えた

私は、やはり既婚女性なので、昔の女性の生き方を思いました。

この感想はびっくりしました▼

togetter.com

そうか、顔も見ずにろくろく知らずに結婚するなんて今の若い人にはびっくりポンなことなんだ!私たちの頃にもお見合いは廃れていましたが、まだ少々あった。祖父祖母から聞いた結婚の見合いの話から、そういうのもありなんだな、と。

そういう意味では「昔は良かった」と観て思った人も多いでしょう。(現在は見合いシステムがないので少子化なんじゃないか)

私の感想は「昔は嫌だな」と。

「今で良かった」と、この映画を観てしみじみ思ったのです。

悪い女でいい。今の方が現代の方が好き。

好きな人と結婚して好きなときにコンビニスタバに行けていじめられたらパワハラと言え逃げれるし食べるにも困らず好きな仕事ができて好きな恰好ができて選挙権がある(←現実には全て思うままにはならないけど、憲法等で、これらがあるこれらを得る権利があると明言されている)

この時代のなんてありがたいことか!

なんていうこと!だから今の女性は勝手で尊大で少子化なんだ!と憤る人も多いでしょう。そう思う人は昔ながらの保守的な生活をしたらいいんですよ。それも自由よ。

それが選べる時代だというのも現代のいいところです。

他者の生き方に口を出したり、女性を均質化させないでほしい

生き方の多様を認めないで強いるから、それがヤバいんじゃないか。

例えば反対に「なんで働かないの?」なんて他者に指図するようになる、というのも全体主義です。どうも最近、そういう傾向の人も多いですね。見苦しいことです。

専業主婦ってステキだな、とこの映画を観て思う。

近所付き合いや親戚づきあいの不自由さはあるけど、手作りで縫物をしたり、少ない食材で工夫してごはんを作ったり。

今のブラック企業でサービス残業をさせられている若い人からしたら 昔の日本 すずの生活はなんて安心なのか。家族に囲まれていて温かく孤独ではない。物はないけど工夫して時間をかけて手作りをして凌ぐ日々が「丁寧に暮らしているロハス的」に思えることでしょうね。

下手に社会に利用され続け子供が産めなくなるよりは、ぜったい専業になった方がいいですよ!

専業主婦の多すぎる社会が何故おそろしいか

でも、専業主婦が圧倒的大多数かつそれを強制する社会はヤバいと思うんです。何故かというと

現実的に発言権と経済力がないから

です。当時は選挙権もなかった。主人公すずにも手に職がありお金があれば糞煩い小姑がいて助けにならない男と縁を切ることあるいは主張喧嘩もできる。

でもスズは若禿げを作り耐えることしかできない。。。

お金と職がないと、現実に女性は自分の意見や考えを公に言えないんですよ…。

その状況が、戦時中なのではないかと思いました。

自分一人ならなんとか好きに言えるんでしょうが、子供がいたら守るために婚家や夫に逆らってまで自分の意見など言えないでしょう。同調圧力的で女性が弱者であることを強いている社会は危険です。

当時の日本の女性たちも「ほんとうは戦争が嫌だった」て述べます。心で思っていて、公言したらいじめられる憲兵が来る(実際来た描写がありましたね)と思っていたから言わなかった。北●鮮と同じか。

回りのせいだと。みんなのせいだと。みんな同じこと思ってただけじゃないですか。思ってるだけで発信しないのは何もしなかったってことですよ。でも”本当は”思ってたから無実なんだって無垢なんだって。それはちょっと甘えすぎなんじゃないか違うんじゃないか。

ナチスドイツは日本と同じくらい当時、女性の保守的傾向が強かった。兵士たちの良き妻・母であることが美徳とされた戦時下では、密告が非常に多かった。その密告者はほとんどが専業主婦たちだったと書籍を読んだことがあります。

ヒトラーの娘たち――ホロコーストに加担したドイツ女性

戦時下のドイツの密告者たちのほとんどは専業主婦の女性たちだった。彼女たちは表面は国家の母と褒めたたえられながら不満がたまっていた。有職の同性への嫉妬にかられ、彼女たちを無実の罪で密告して収容所に送り込んだという。

良妻賢母主婦に望んでなったのではない、それを強いた全体主義社会はそのような鬱屈を産みます。

普通の善良な生活=無垢な一方的な被害者 の図式でいいのか

この異常な世界の片隅で普通でおってくれ すず

と映画で男は主人公に言いました。

そうして彼女の天使性、無知無欲な質素な「普通の」生活態度を褒めたたえます。まさしく優しい穏やかな女性の姿こそが男たちの癒しで故郷のように美化されます。

が、そんなもん戦時下のナチスの女性たちだってそうだったですわ。

ヤマトをはじめ戦艦は沈み男たちは大勢死んでしまう。

女性たちの受け身のあり方こそが陳腐な悪にも通じるのではないかと少しモヤッとしました。

色々な感想を抱いて考えることができる映画である

私は映画でそんなオバサン臭い感想を抱いたのですが、

隣のカップルはラブストーリーとして胸をキュンキュンさせていたようです。

なにしろ婚家の夫がかっこいい。銃弾から主人公を守り顔を寄せる。エロいシーンも何度もあります。それも映画の楽しみです。ぜひ見に行きたまえ。

客席右隣のおばあさんは、戦時中の食事について思い出話をしていました。

ニュートラルさが映画をより深く美しいものにする

この映画『この世界の片隅に』は、何かの思想を強く訴えかけない。当時の市井の人々の「ありのまま」の描写が魅力なのです。そのありのままのニュートラルさに反発を覚えた層もいたようですが…。

映画やフィクションで反戦思想を押し出すべきではない理由 - Togetterまとめ

そのニュートラルさこそがこの映画のキモであります。多種多様な感想を持ち、それぞれの考えを持ちえるキャンバスであることこそ、アートの役割です。

左右平和反戦好戦何かの思想に誘導したらそれはカルトです。アートではありません。教祖の作る装置に他なりません。「はだしのゲン」を推したのは日教組です。

監督もその原作の温かい公平の表現の再現を狙っている。そしてあえて原作にあったクライマックスの思想的傾向の強い台詞を控えめに表現した。

左寄りの人々は原作の思想的エピソードが随分削られたと憤っています。が、実際観たところ、すずの無念さ広島の人々のやりきれなさ、怒り辛さは十分表現されているのではないか。

うちはずっとぼーとしていて少しも考えなかった分からなかった

と最後に泣きますが、それが十分に激しすぎる悲痛な叫びです。

原作ありをアニメ映画にするとき何かを削りコンテへ起こし直さなくてはいけませんが、そのセンスも問われます。この映画の削り方はベストです。

これは日本人のための日本の映画なんです。

民衆の陳腐な悪と善

報道管制の中にある民衆が、状況をろくに知るわけでもなかった。うすうすは敗戦を感づいていただろう。

他国への贖罪を考える余裕などない。もともと知らない。

その無知さをも実は糾弾していると私は思いました。ハンナ・アレントの「全体主義の起原」の「陳腐な悪」。それを無欲無垢な民衆は等しく持っている。

ぼ~としていて天使のようなすずさんも持っているのです。

日本人はみんなぼ~としていたのです。いるのです。今も昔も。

小さいとき団塊世代の親に「どうして戦争があったのか」と聞くと「あの時代はひどかったのよ皆んな軍部に騙されていたのよ」と知った風なことを言うのでモヤっとした思い出がよみがえりました。何被害者みたいなこと言ってるんだろう、そんなに私たちの先祖はバカ騙されやすいのかと。

映画のワンシーン、二人も息子を戦争に取られた。その渦中の人に向かい「ばんざい」「おめでとう!」と日の丸を掲げる隣人たち。みんな善人、普通の日本の良心的な人々です。心の中では気の毒に自分の家じゃなくてよかったああ嫌だと思っているのに。これこそがちんぽな「陳腐な悪」ではないか。

中途半端な捻じれた戦後日本の被害者意識

ユダヤは本気でその問題に戦後向かいました。収容所で看守に比べ大多数の被収容者だったユダヤ人たち。多数だったのに何故抵抗せずおめおめと大人しくガス室に向かったのか。そのような現実的な内部批判を繰り返しました。ジェノサイドの生き残りの人にその議論を振るのだから残酷そのものです。しかしそのデリケートな問題から目をそらさなかった。日本なら差別問題になるとそっとしておくところです。

日本はユダヤとは違いやはり徹底的被害者じゃないんだと思う。島国で戦後はアメリカに守られているからです。日本は何となくもやもやで済んでるじゃないですか。皆いっしょ。皆頑張った。皆悪くない、皆辛かったね、と。この被害者にも加害者にもなりきれない戦後のねじれ。甘え。水に流してモヤモヤにして忘れようとする感じ。

広島の平和記念公園の

安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから

というセリフからも分かるように。どっちなんだ。何が言いたいのだ、この文言はと思う人は多いはずです。そのままなんですね。今も。

ユダヤ民族・イスラエルに戦後迷いがないのは、圧倒的被害者の歴史があるからです。二度と虐殺されたくない何がなんでも国を滅ぼされたくないと現実的な強気な方向転換をしたのです。哀れな無垢な被屠殺側の牛馬には二度となるまいと。被害者の善良な弱者であるよりも全世界から糾弾されても強者でいる方がいいと選択したのです。それは正しい姿勢です。慰安婦で難癖つけてくる隣国にも同様の理由があると思います。彼らも被害者だからです。慰安婦がほんとにあったのか本当は何人だったのかなんてどうでもいいわけです。若い世代には神話みたいなものでしょう。神話は国家をまとめる物語です。彼らの一度でも引くとまた蹂躙されるかもという激烈な恐怖心は島国の日本人には想像を超えています。だから彼らは神話にすがるのです。これからはそうはいかないと思う。こっちの戦後のモヤモヤウヤムヤに付けこんで好き勝手なこと言ってきますよ。日本にだってこれから壁は必要です。

受け身でぼ~っとしているのは…善?悪?

言われてるまま結婚して、受け身で、嫌なことは回りを気にして嫌だといわず、いつか誰かが何とかしてくれるのをジッ待つのが当時の日本人で、今も日本人です。

今も日本人の一番好きなポルノグラフィは素晴らしい異性に見初められ強引に(自分は望まないのに)ヤラれることです。

だから私は映画の小姑さんに一番好感を持ちました。唯一の悪役であると同時に唯一の能動的な存在だからです。自分の感情をちゃんと他者に見せるからです。

だからといって叫べば言い訳ではない。「アベゆるすまじ」ドラ鳴らしデモがいいかというとあれは全くの醜悪にしか思えない。デモの何人かと個人的に話したことがありますが、彼らには一律誰かの言うことを聞いていればいいというカルト的思考を感じました。深く考えた自分の思想・考えなんてないですよ。ただ「みんな」で「一緒」に騒ぎたいだけの贅沢な働かない暇な高齢者達との印象を受けました。団塊は文字通り集団で騒ぎを起こすことしかできないのか。私は左でも右でも集団の力を借りた同じお題目を唱えてまわるのが大嫌いなアスペです。また高齢者ヘイトですいません。

映画で日々の生活の地道で抵抗するとか主人公が言ってましたが、いやそれもちゃうし、とも思った。そういう普段から自分の意見を持たないことが「陳腐な悪」なんじゃないの?

PTAや町内会もそうだし、もうずっとセンター試験の日付が1月15日であること。全国的に大雪で電車は止まる。どう考えても天気が荒れる季節なのに、どうして変えないの?!子供たちの一生を左右する大事な日が寒さの極みの日だなんて。そういうマゾ精神やめようよ、もう。入学を9月にするという改変すら未だ誰も出来ないし文句つけない。今朝の天気予報みて、受験生がかわいそうだ!なんて憤ってしまいました。

ネットで発信する人が増えてるから今後はきっと変わると思うんですが…。

多種多様な意見を持ちやすい映画

『この世界の片隅に』は、戦中と戦争への在り方を問い、考えさせられる映画でした。今までは戦争はひどいね的で終わる映画が多かったけどこれは違う。

考え方は多種あっていいんだと。

ニュートラルで色々な要素がいっぱい詰まっている映画です。何度も観たくなります。

今までの戦中映画がリベラルか保守に極端に偏っていて変だったんです。

これはオンナ側の戦争映画ですが、近日中にオトコ映画の「海賊と呼ばれた男」も観るしかない。

こうした新しい戦争映画を通して若い人が左右党派関係なく自由な意見を率直に言い議論がなされていくといいなと思いました。

とにかくこの数十年、議論がしずらかった戦争についてタブーだったのが息苦しかったじゃないですか。

広島・呉のすばらしさ

そして、この映画の素晴らしいな、と思ったのは広島への愛、呉市の描写です。

絵が好きな主人公が描くのは広島の海、町、そして愛する夫の寝顔。ウサギがはねるような波、かつての商店の賑やかさ人の笑顔。

監督は映画化にあたり、当時の広島の呉をそのまま再現しようと取材を重ねたといいます。

「この世界の片隅」という言葉は、優しいすずさんのいる家族のいる広島への愛おしさそのものです。

故郷=望郷こそが人々の生きる支え、強さです。

私は映画を観てそうした「地縁」がとても羨ましく思いました。

京都に住んでいるのですが3年以内にどこかに移動するでしょう。頭のどこかにいつも地に足がついていないもどかしい気持ちがあります。早く落ち着きたいけど仕方ありません。夫婦どちらの親も地方から出てきていて、心底、土地の者ではないから戻ってもいまいち愛着が湧かない。そういう人は多いのではないでしょうか。親も地方人、子は、さらに進学で他所に出てきてそのまま、とか。

昔から住んでいて、あの人もこの人も、あの海岸・山・道・神社あの店知っていて、懐かしい、という感情ほど贅沢なものはないのだと思いました。(だから地縁を捨てない地方住まいのヤンキーさんは勝ち組なんじゃないかと。)

だからこそ、その故郷を地縁が無くなる、壊されてしまう悔しさ悲しさはいかばかりか。

故郷があることの幸せ・希望。

その贅沢さがこの映画には満ちています。


映画『この世界の片隅に』予告編


おはよう日本「この世界の片隅に」特集

原作の描きこみがすごい この映画の完成度はこの原作の細密さと広島への愛があるからこそだと震撼します。▼

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

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