更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

やっかいなユーザーと顧客を避けるために価格を上げていく方がいい理由

タチの悪い人は安物買い

昨日 記録した 絡んでくる老人は

www.hagipu.com

 

買い物をしない もしくは 最低価格のものを購入して居座る

と書きました。

なので、ひとつの対策案として、

価格をあげる(もしくは安価商品を撤去する)ということを検討していました。

昨日の営業を従来の価格でやってみて考えてみようと思っていました。すぐやればよかったんですが、そこは売上がどうなるか不安だった。

試しに、昨日営業を従来の価格でやってみた。その視点で、営業場所を注意深く見て過ごしました。そして確信しました。

すぐにでも価格を高くする、安価商品を取り払うべきである、と。

外国人の多い販売場所

ストーカーおじさんや老人は必ず激安商品を狙ってやってきて、彼らとのやりとりで身の危険まで感じているのに、どうしてすぐやらなかったというと

売上を懸念したせいです。

現在の営業場所は、京都の中でも非常にインバウンドな雰囲気なところです。そこで賑やかな「場」を作っていくには、ある程度安価でないといけなかった。場合によっては他店でやらない「値引き」をお客様との会話の中で、やっていく(中華圏の人には、そうした丁々発止的なコミュニケーションが好まれる)ことが必要だったのです。

(言うほど、安価ではないのですが)価格設定を私個人の采配で行うという路上的なノリが、他店とは違うおおらかさを出していたのです。

確かに、海外客に対しては、その方式はおおいに盛り上がるのですが、国内の(一部の)地元客に対しては、よからぬことが時々起こっていました。

日本は「値引き」を下品とする社会であるし(なので、値引きが当然とされるメルカリはDQNさんの巣窟となる)京都は特にモノづくりに敬意を払う土地だし、特にちゃんとした地元の人は定価を払うことはもちろんお釣りを受け取らないということすらあります。しかし、あくまで「ちゃんとした」地元の人です。

「ちゃんとした」地元客が行く店はすでに存在し、住み分けが出来てしまう。あまりにフランクで気安い店舗は「ちゃんとしていない」地元客の受け皿になってしまうのです。

夫婦で仲良くしている人は危なくない

団塊世代や高齢者の悪口めいたものをを随分書いている私ですが、ご夫妻で現れる方々にはまったくそうは思えません。どれほどの高齢者でも、ご夫婦で話しかけてくださる方々は、違う人種じゃないかというほど違う。

まさに神、福の神ではないか、というくらい、明るく幸せそうで、お支払いもちゃんとしている。ちゃんと年をとったらこうなれる、ちゃんと年を取れるんだ、と思えるお客様も沢山いらっしゃいます。(”ちゃんと”という単語が多いですね。チャンチャン焼きかってくらいw)

あまりにもひどい独居老人に絡まれつづけているので、、、つい忘れてしまいがちですが。

仲良きことは美しきかな。年をとるのが悪いんじゃない。年をとってもステキな人は沢山沢山いるんです。こうなりたいな、こんな人になりたいなっていう年配者の方を見ると、希望が湧いてきます。

問題の高齢者たちの原因に、老いて一人でいるという状況がむしばむのか、あるいは、もともと性格的に病んでいるから一人でいるのか分かりませんが。国は、彼らをもっとギリギリまで働かせる働ける状況にした方がいいと思う。暇って人を病ませますよ。老いて性格的に不満が多い人が年金だけもらって一人で暮らしている。寂しくて町をうろついて接客業の女性にストーキングや絡みをするという状況。本人にも対象者にもそういう状況は良くないと思います。

頭のいい人や人格者はね、暇があっても、有効に使えるの。趣味とかボランティアとか友達を作って一人でも有意義にすごせるの。でもそうじゃない人は、町を寂しがってうろつくしかないの。そうして少しでも優しくしてくれる人にしがみついてしまう。私もそうなっちゃいそうだから、ギリギリまで仕事するわ。

販売接客業にはつきものと諦める

とはいえ、どんな価格であろうが、商売をしていたら、変な人は必ず現れると諦めなくてはいけない。

その対応が販売接客業のスキルのひとつとはなります。

価格が安ければ変な人、高ければ良い人がくる、という定義は間違いです。高級百貨店のベンチで一日中たむろする買い物をしないユーザー(睡眠をとる浮浪者、店員にクレームを付ける年配者たち)の姿を見ると価格設定だけで、客層を変えられないと分かります。だからこそ、あまりに高級すぎるブランド店には、ボディガード的な男性が必ず立っています。

販売接客業では、お客(あるいは、寄ってくるユーザー)は選べない。特に、女性には危険が多い。性的な個人的接触(おさわりという意味だけではありません。精神的な癒しという性を販売員に)求めて時間を奪いに彼らはやってきます。

しかし防衛は必ずしなくてはならない

ま~んは被害妄想自意識過剰と言われようが、何かあったら、ま~ん自身の責任に社会は容赦なくしてきます。だから過剰なくらい防衛策を練る方がいいのです。

変な人は必ず現れるとあきらめなくてはいけない

けど、その人らにやりたい放題させていたら店はつぶれます。販売者もストレスと恐怖でつぶされます。

しかし彼らをあからさまに差別し、追い返したりしたら逆恨みされたり、クレームをつけられたりします。(そういう人は被害妄想も強いので)

だから皆苦労している。コンビニの店員さんが、客に怯えてノイローゼになったということも見聞きします。(深夜はひどく絡んでくる)

タクシーの運転手さんにも同様の苦労があるようです。どんな客でも断ってはいけない、というルールが業界にはある。近くを頼む客を断るのはどうかと思いますが、車内を汚しそうな人・明らかに反社会的な人々過剰な値引きを言うゴネる人を避けるために、あらゆる工夫をこらしていると云います。

避けるためには目を合わさない

変な人達、危険ユーザーを避けることはできます。何かあったときに通報する場所を確保する、相談できる相手を見つける、など。

昨日は、目のおかしい服装がヤバいオジサン男性高齢者がやっぱりウロウロしていましたが、(夏が近くなるとそのような人が非常に非常に多くなります)

そのような人にも以前は、一律口癖で「いらっしゃいませ~」と云ってましたが

今回からは一切やめるどころか、目も合わせないということをやってみました。

(差別と言わないでほしいです。あ、差別かw 私個人は、仕事でなければ、変な人と会話するのもさほど厭わないたちなんですが。私自身がプライベートではまさに、変な社会常識のなさそうな人、なので)

やってみて良かったです。寄ってこなかった。

一切甘い顔(定型の接客すらしない)をしないことで、彼らは圧倒的に近寄ってきません。

安心したと同時にびっくりしました。

普通、接客販売の店の人の「いらっしゃいませ」や笑顔は、作りものの見せかけのみであると、多くの人は理解しています。コンビニのあの娘がいかに可愛く笑いかけてくれても、自分を好きだとは普通思わないじゃないですか。

しかし、その手のオジサン男性高齢者たちには、その作りものの笑顔ですら引き寄せられ執着してしまう。それほど、彼らの心は寂しく病んでいるんだな、と痛感しました。哀れに思いますが、私はボランティアじゃないのですよ。

安物を狙ってきた若者たち

しかし、恐ろしいことが起きました!

「この絵安いやんけ~」といいながら、唐揚げをほおばる、金髪の少年が店に座りこんだのです。胡坐をかいています。

一気にムードがおかしくなりました。

場末のゲーセンのような雰囲気になってきました。少年たちは未成年なのに、タバコや酒をたしなむことを武勇伝のように自慢しはじめます。刺青・大麻やマリワナについて何処からか聞きかじった知識を披露しはじめました。それがカッコいいと思っている。そう、彼らが生まれつきそんな事を知っているわけがないから、それがカッコいいと思っている人に囲まれて生活しているんだな、そういう地元なんだな、と分かります。非常に危険を感じました。

(最近、近所のコンビニが営業停止になりました。未成年に酒とタバコを売った咎を受けてです。明らかに、少年たちに脅され騙されて売ったのですが、社会は経営者に制裁を加えた。ご家族で深夜も勤務して頑張ってきた経営者夫妻。一部のDQN少年たちのせいで善良なオトナが借金を背負い困窮させられる。もちろん少年たちはお咎めなし。未成年の名のもとに好き放題をしています。日本はどうなっちゃったんでしょうかね。)

悪い子ではないと思うんですが、こんな子が私のいる今ここでタバコを吸いだしたり喧嘩したりして何かことを起こして、私が警察や営業責任者に目をつけられたら…。私の今後の営業もあぶない。非常に礼儀や治安に厳しい営業場所なのです。

少年たちの家族や地元の人間がどういう人なのか伺いしれます。ヤバい、と思いましたが、居座りはじめ、商品の値引きを言い出します。ああいう子に舐められるような値段設定にした自分が悪い。

オッサンが少年に引き寄せられた

すると更に恐ろしいことに、その日一日、散々目を合わせないようにしていた、頭のおかしそうなオジサンの一人が少年に引き寄せられるようにやってきました。

少年たちとオッサンはまるで旧知の親友のようにニコニコ話をはじめます。

少年にこっそり「あんたら知り合いなの?」と聞くと

「ぜんぜん!俺ら知らない人とも友達にすぐなれるねん」と。

いや、そんなこと、ここでやってもらったら困ります。夏のナンパヤンキー海岸ででもやってください。同類が同類を呼ぶのか。少年の地元のオトナにこの手のオッサンが多いのだろうか。普通こういう人は危険だとまともな子供は知っています。少年たちの日常にいるオトナがこういう人達なんでしょう。

目の変なオッサンは、受け入れられたと思い、少年と同じように店内に座り込みにかかります。

ZQNゾンビおっさん

云っちゃ悪いですが、オッサンは、アイアムアヒーローに出てくるZQNそのものみたいの言動をしています。髭もじゃで頭がてかっています。風呂に入ってない感じ。こういう奴に寄ってこられないために工夫していたのに、このバ●子供のせいで…。

「あうあうアンタ俺と会ったことあるよね会ったよね」

と私に寄ってきます。無視しても無視してもアウアウ言います。口から不思議な汁を垂らしています。

ほんとに夏が近づくと、そういう人が増えてくる。

「ねえねえアンタなんでええ怒っているのおおなんでえええええ俺を見ろよおおおお」

と私に息を吹きかけてくる。少年たちはそれを見てガハハ笑います。

警察呼ぼうかな…。と思いましたが

「今はあんたらの絵は描けない。一時間後に予約とるけど、このオッサン連れてきたらあんたらの仕事は受けない。」と静に申し上げました。

「俺らや客やぞ 俺らの仕事を先にやれ」的なことを少年たちは云いはじめましたが(どうしてこういう子供はこういうセリフを言うのでしょうか。たぶんその家族がそういうことばかり、他所で言っているのを覚えてくるのでしょう)

その変なオッサンとタバコ吸ってくる、と出ていきました。(そのあと、警察に補導されかけたらしい)お話するととても優しく、気のいい子たちで、友達思い。しかし、私は仕事をしているので、営業妨害されたくない。あんな礼儀知らずの子供には二度と来てほしくないですね。今度こそ容赦なく警察呼びますよ。

若者の格差

その後、大学生がお客様に来られました。彼らと同じ金髪でしたが、服装なんて関係ありません。口調が明瞭で論理がある、ほんとに普通の”ちゃんと”した若者です。あの少年の直後だったので、天と地の差、すごい人格者に思えます。偏差値とかで考えたくないんですが。知能と品性は比例します。

私は、若い人が大好きだし、大学生や高校生だと安い価格を更に安くしてしまうことが多いです。(それがいけないのかw)

しかし、最近は格差が拡大しているのでしょうか?

どこの未来の研究者かノーベル賞かというような利発で輝いた利他的な若者と、

俺ら客やぞ、と居座り騒ぎ営業妨害する子

さんざん値引きを言い振り込み方法すら知らない延滞が当然と思っている子。

京都は大学や専門学校が多いですからね、、。多種多様、色々な若者がいるんでしょうか。みんな同じような年代です。少年は16歳だったか。親の顔が見たいと良く言いますが、そんな子の親の顔なんて見たり知り合ったりしたら、ろくなことにはなりません。

ほんと知能と品性は本当に比例します。レッテル張りは良くないですが、接客業をしている限り、レッテルを貼って防御するしかないです。

客とクライアントは選ばなくてはならない 選べない立場だからこそ

価格が安いと、ほんと、ロクな人がこない。夏が近づくと、変な人が多くなる。

来週から値上げを敢行します。

客を選べる立場ではないという自分であることも承知してます。が、駆け出しだからこそ、客やクライアントを選ばないと大変なことになるな、と思っています。

こちらをオンナ一人で営業していると舐めてかかってくるDQNや老人ストーカー、クレクレ星人、ブラッククライアント。今までのように、彼らに誠実に対応したり、お客様として大事にしていたら、骨の髄までしゃぶられる。

奴らは貧乏神。塩を撒いて出て行ってもらうしかありません。

それが独立一年目の実感です。

貧乏神と縁を切り、良質な温かいお客様を増やしていきたい。それは自営業・フリークリエイターが誰しも思うことでしょう。私がそういう現状にまだ遠いのは自己責任の部分も大きいことでしょう。接客営業スキル・防衛術を磨く、営業場所を工夫していく(変えることも考えていく)そして、一番大事なことは、それらと同時に絵の技術を向上させていく。良いものを作り、奴らの手の届かないような場所に行くこと。悔しいけど、それしか方法がないです。

貧困問題とアート

ブロゴスでなるほどと思う記事を発見しました。私はインテリとはほど遠いですが、貧困問題について一時期興味を持っていたので、つい、寄ってくる彼らを甘やかしていた状況もあったのです。

blogos.com

ちょっといい一文です。

ここでいう貧困層の人々は、時にはいきいきと嘘をつき、自然なふるまいで人間関係を行なった結果トラブルを起こす。それがその人そのものであり、それが「生/la vie」というものだ。

だからこそ支援者は、心理学や精神医学や社会福祉や経済学以上に、音楽や映画や詩や小説やヒップホップや写真や落書きや鼻歌などの「アート」に日々接する必要がある。アートとは「単独性」の別名だからだ。

ある種の層に絶望も憤慨もしつつも、アートに橋渡しの役割があるのかもしれない。とも思う。

レッテルでなく、個と個のぶつかりあい、「単独性」が発現されるかもしれない。感動と実存がアートを通して培われるなら。本当のコミュニケーションがなされるのかもしれない。

それでも一瞬だけ絵を通してまともな話をしたかもしれないのだ

確かにこんな会話をしたように思う。

「おばさんの絵すげえすげえ そんなのどうしたら描けるんや」

…「好きならすぐ上手くなるよ」

「俺なんて無理だよ」

…「誰だって最初は下手くそだよ。厳しけど、絵はいいよ。幸せな人ばっかり来るよ。学歴も関係ないよ。相手が感動してくれるかしてくれないかそれだけだからね。」

「そうかな 俺でも絵描きになれるかな」

…「好きならなれるよ 美術大学なんて出てなくても描いたらいいんだよ。今日から、今すぐにでも!」

「じゃあ、手始めに仲間の顔描いてみるよ!」

…「やってごらんよ!」

アートには不思議な力があり、相互理解に繋がるかもしれない。まるで違う世界にある、交流が不可能な層と層の間に糸のような細い希望の光が閃光のように走る一瞬だけ、私たちは心が通じたのかもしれない。

なんて…

とか思ってしまう私はまだ甘いのかもしれませんが。

あくまでもそんなものは奇跡

あの手のマイノリティに(大人子供問わず)つい同情して肩入れして、今まで何回利用され、恐ろしい目にあったか。関西の一部にはああいう(心の)病んだ子供とオトナがヒッジョ~に多いです。

だからこそ、デリケートな差別問題で、いつももめているわけなんですが。

二度とくるな、と一応思ってます。可哀想ですが、私はボランティアではない。彼らの暗雲たちこめる将来を変え、夢と希望をかなえるのは、彼ら自身と彼らの家族、回りの人の役目です。あるいは専門家・ケースワーカーさんたちですね。

思い返すに、昨日は平日だったから、少年は学校サボってタバコ吸ってたんだな。奴らが今度来たら即交番に通報しよう。それが一番です。

表面上優しくしても彼らのためにはならない。というか、私が大迷惑だ。昨日は実に迷惑千万だった。許さないぞ。ああいう輩は、同情を買い、優しい誰かにすがりつき、個別性を自ら放棄して、色々な人にタカって甘えて暮らしていくんでしょう。老人ストーカーたちと同じだ。彼らの若いときがそうだっただけなのでしょうね。

千人のうちの一人しか変われないだろう

私にはあの層の子供たちに何もしてやれることはないし、きっと誰もできない。千人か万人かのうちの一人が、このままじゃいけないと立ち上がり、学問を究めたりして、状況と決別しそのスラムを脱しない限りは。橋下さんなんてそういう人なんだろうな、と思います。

そういうボランティアに血道をあげている人も知ってますが、逆差別ではないか、との状況も見聞きする。援助をし甘えを許してばかりだと、永遠にそのままではないかと思う。

彼らの言う”俺らでもかなえられる”「ビックな夢」などチ●コのカス、チリ芥に等しい。10代も終わりに近づいた今この段階で地道に学問をしなかった手を動かして技術を身に着けようとしなかった、その結果それなりの学校や職場にいないという歴然たる事実があるのだから。

口だけの人々だからそこにそうしているのだ

だってこの一年、そういう人々に絵を描いたら見せてくださいね。とお世辞を言ったが、持ってきた人はいなかったんですね。

失敗するのが嫌、努力するのが嫌。美味しい話はないかな。でも誰かアタシの才能を見出してチヤホヤしてお金をたっぷりくれないかな、おばさん、俺らにそうしてよ、とヌケヌケとぬかす。そういう性質を親から受け継いでいる。学校の先生は本当に大変です。

たぶん、彼らは彼らの親と同様、アディクションで溺れながらビックな夢を見てそのまま老いるのだろう。そして酒などのやりすぎで身体を壊し脳が委縮して、町を寂しさで徘徊するのだろう。あのオッサンのように。

一方”ちゃんと”やっている若者は静かに黙って勉強して手を動かして地道に生きているのだ。その子の親たちも、厳しさと優しさを与えながら必死に働いて送金学費を出している姿が分かる。そういう子の味方をしたい絵を描きたいと強く思う。