更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

あさイチで「子供のいない人生」について言及されたらしい

伊勢旅行だって思い立ったらすぐ行ける

伊勢志摩サミットについて連日放映されている。風光明媚な海と空、美味しい食べものが写り

夫と

「あ~行きたいね」 「今度の休みいこっか。近鉄の特急(しまかぜ)の一番前をとろう」 「アワビの缶詰買って、ワイン飲もう」

とか話してた。

子供のいない人生は、子供のいる楽しさがないかわりに そういう楽しさがある。

最近はふっきれたので、そういう楽しさを甘受することにまったく抵抗がない。

子供のいない人生がNHKで議論される

あさイチのおとといのテーマは「子供のいない人生」であったそうだ。

山口智子さんの雑誌での告白が取り上げられていたそうなので、多くの人があの記事に注目したんだろう。私も相当動揺した。

不妊治療が終わったこと - 裏はぎぷー

NHK有働由美子アナウンサー「子供産みたかった」「アメリカの病院で『このまま仕事をしてたら卵巣ダメになって出産できませんよ』と言われてとんでもない間違いをしたと思った」 hamusoku.com

有働アナ「産みたかった」告白でフリー転身かと各局ざわつく news.livedoor.com

ライブドアはともかくとして、ハム速は大好きでいつも見ていたが、もうやめよう。。

「まとめ」のひどさはホントにどうしようもない。ユーザーの低層化。有働氏のような魅力、学歴も美貌も努力も誰も持っていない。みじめな そういう自分を見たくないから、匿名で目立つタレントや著名人を叩くのだ。

そのある種の人々は、高齢未婚未妊女性を叩くとスカッとするんだろう。高齢未婚男子の老後の方が孤独なのに(女性は近所付き合いとかコミュニケーションが取れる。未婚独身でも)それを客観視したくないから、高齢未婚女性を叩くのだ。

NHKもひどいな。あさイチなんて、子供のいる主婦が見る番組なんだから、子供のいない人生に肯定的な意見が集まるわけないじゃない。

子供のいない有働さんをサンドバックにするみたいな内容だ。こんな使い方すると、有働さん、ほんと、フリーになっちゃうかもね。

子供のいるAという同年代の女性

年に一度しか会わないような知り合いの(友人とは書かない)女性がいる。田舎のバツイチのシングルマザーである。最近無職になったそうだ。仮にAといおう。

バツイチの知り合いや友人なんてそれこそ、腐るほどいて、皆楽しそうに人生を謳歌している。離婚なんて何度してもいいと思う。

しかし、Aにとっては重い十字架であるらしい。

Aが楽しそうにしているのを見たことがない。最近は私も避けて、年に一年くらいしか接触や連絡を持たないようにしている。いつも男とのもめごと、借金・浮気・暴力の愚痴や相談が多いからである。鳥ガラのように痩せていて、泣きながらいかに自分が被害にあっているかを語る。どう考えても本人のせいなんだが、そう指摘できるほど親しくないのだ。

私の母親と同じく、境界例とか、発達障害的なコミュニケーションをとる人である。私は、そういう人が近寄りやすい、利用しやすい弱キャラなのだ。そこを払拭しつつあるが、、、

電話でさんざん、マウントを取ってきたので、取らせるままにしておいた。

マウント上手な人がいる

母親に対しては、自分がいくら嫌だな面倒だなと思っても何らかの形で生涯縁がある人だから、嫌なことを言われたりマウントを取ってきたら、即座に反発言い返すことにしている。(と以前記事にした)

言い返して相手が変わるか変わらないか関係なくて、自分が壊れないためである。マウントを取り返す(自分が勝者になる)ことでなく、身をかわす、という云い方が近い。あなたのマウント合戦には一切関わりませんよ宣言をするのだ。

しかし、Aのような女性は、人間関係がすべてマウントなので、365日、揉め事を抱えている。

そういう人はマウント合戦が得意である。

ものすごく強い。

力技で引き込み、相手の弱点を嗅ぎ付け、あの手この手を使う。Aは現在仕事をしていないので、時間もある。優しい声色で、これでもか、これでもか、と仕掛けてくる。太刀打ちできない。はい、もうすっかり負けてしまいました。

延々と続く、男との悪縁で鬱になった愚痴に私が飽きてきたのだ。その「飽き」に感づいたのだ。

子供を諦めるなんてダメよおおおお!

話の端で、私が「不妊治療を終えた」とついうっかり言ってしまった。

Aは飛びついた。しまったと思うがもう遅い。さっきのさっきまで悪い男のせいで鬱で体調が悪いと言っていたのに、美味しいお酒でも飲んだのか麻薬か、というくらい楽しそうな高い声を出しはじめた。声の端々にキャハハハという効果音が入りはじめた

「なんでえ~ナオちゃんの子供ならとっても可愛いと思うし、産んだらいいと思うよ!」

……「いやでも、46歳だし、もう10年近く頑張ってきたわけよ。もう無理だって分かったのよ」

「なんでえ~あきらめちゃうのお~もったいないよお」

……「や だから 諦められなくて、もう1年 もう1年で 高度治療をしつくして 終えたのよ」

「私の友達でも不妊治療してバンバン産んでるよ 恥ずかしがることないよお」

……「いやだから 治療してもダメだったんだってば」

「やるだけやってみたらいいんだよ!」

……人の話聞いてないなあ笑 ……「だからね、やるだけやってこの年になったのよ」

「ぜったい諦めちゃダメ!私の友達がかかった産科を紹介してあげようか?」

……ヤンキー御用達の… ……「や だから 関西で一番有名な不妊治療病院でやりつくしたって…」

「もったいない!もったいないよ!もっと勉強して!今の医療はすごいよ!諦めちゃだめよおお。子供はかわいいいよおおおお」

……すごいな、一人子供産んだだけで、医療者きどり ……「もちろん、欲しいから本だって百冊くらい読んで考えた結論だよ」

「こんなあたしだって、子供がいて良かったと思うよ!」

……「そうだねえ 子供はかわいいよね。」あなたの子供以外はね。と口から出そうになったが、、

「そうよ!そうよ!かわいいのよ!養子は?ねえ養子は?」

……「それも考えたんだけど、年も年だしね、いろいろ考えて話し合って結論を出したんだよ」

「諦めるの~ほんとうに諦めるの(涙声)ううう。もったいないよおもう一度考え直してええ 子供はかわいいよおおお」

……反撃を少しは試みた

……「かわいそうって言われたりそういう目で見られるのが一番つらいのよね。。」

「あ~!わかるう。私もシングルマザーでかわいそうって言われたのが一番つらかったわあ!」

……「そうね、わかってくれる?」

「そうよ!このまま子供がいない人生なんてかわいそう!絶対作ったらいいよ!」

……「…」

「欲しいんでしょ?本当は欲しいんでしょ?諦めちゃだめええ」

「きゃははは子供はかわいいよおおおおお」と悲鳴のような笑い声で電話は終わった。

発達障害気味だとは思っていたが、いわゆるサイコパスのような部分もある人だなあ、と思った。

子供はかわいい 欲しい その気持ちはもちろんある

…そりゃま欲しいけどね。

でもAだって、良い彼氏が欲しいと思いつつなかなか出会えないな、と思っている日々があるのだから。

人は誰しも欲しいものを欲しかったものを手に入れることがかなわないことがあるし、その為に、努力しつくして、諦めることだってあるのだ。

東大に入りたかった 医者に弁護士になりたかった 漫画家になりたかった 専業主婦になりたかった お金持ちになりたかった キレイになりたい 女優になりたい 大企業に入りたい

自分が欲しかったもの持つ人はいる。私が欲しかったけど持てなかった子供をAは持っている、ただそれだけのことだ。

全てがかなう人などいないし かなわなかったからって不幸になるわけではないのだ

※しかし、長年努力して、かなうことだってある。(私が絵に関する仕事を諦めてしまったが、ひょっこり縁があったように 子供を一度諦めた夫婦がリラックスしたら出来た、とか)とはいえ、どれも一生努力し続けなくてはいけない、願って求め続けなくてはならない、などという法律はない

「諦める」自由というものが人にはあるのだ

小さいころから歌手になりたいという人がいて、声がつぶれてしまい、コンビニで働いている人に「諦めちゃだめ」とか人は言わないだろう。

なのに、子供に関しては、諦める ということが許されない世の中になってしまった。(まあ、古今東西、旧約聖書の昔から不妊女性はいじめられるものだが)医療の発達で更にそれが加速している。

40代後半にもなれば、人は、ああ、と思って触れないでいてくれるだろうに。今や40過ぎても妊娠は可能だとの稀有な例をマスコミは喧伝するから。

不妊未妊の女性をサンドバックに

Aは今頃、マウントを取りまくった幸せで安眠していることだろう。きっとずっとシングルということでマウントされてきたから、誰かをマウントできて幸せだったんだろう。

私はさすがに痛い処をつかれて、眠れなかった。

ひょっとして彼女はマウントを取りたかったのではなくて、ほんとうに「私のためを思って」子供をすすめてくれたのかもしれないとの可能性も考えてしまった。なので、一瞬、ものすごい葛藤と精神格闘をやりつくして終えた不妊治療を、またもや振り出しに戻した「ほう」が良いのか、「べき」なのか?と考え込んでしまったのだ。

夫は「その人おかしいから」と云い捨てた。夫はどんなことがあっても人のことを決して悪く言わない人だが、さすがに、夫もこの10年治療で苦しんでいたんだろう。

もう夫を傷つけたくない。二人で穏やかに暮らすのだ。

…眠れない夜を過ごした明け方、どう考えてもこの年で不妊治療を再開するのはおかしい。もう10歳若かったとしても、自分が治療を終えたと決めたものを他人の意見で覆すのはおかしい。そうだ、彼女がおかしい。

あ~あれはマウント以外なかったたんだ、と気が付いた。

私は、彼女が男と別れたらいい別れなければいい、どちらも言わなかった。ただ、あなただったらどう思う?という質問には答えたが。私の返事をした内容やアドバイスや提案に何か、彼女のカンに触り、マウントを取られたと屈辱的な部分があったのだろう。

羊水が腐っていますか?ええ、腐ってますがそれが?

一睡もしない体に珈琲を流し込んで、仕事の準備をして、ふらふらしながら歩いて鳥の声が聴こえてきて

私の羊水はくさっているが、くさった人間がいてもそれがどうした と思った。

夫と伊勢に行こう。絵を描こう スポーツをして汗をかこう 気に入ったブランドの服を買うことにもチャレンジしよう 一人で沖縄に南の島にふらりと思い立ったらいこう と嬉しくなった。

私の未来の老後に彼女の子供の働いた税金が使われるかもしれないが、私が今働いている税金で彼女の子供は保育園や小学校に行ってるんだ。

今も昔もこれからも楽しく仕事をして、税金を納めるのだ。あるいは、調子が悪かったり悪くなくても働かない時期があってもいい、そんなの私の自由だ。

誰にもそれを責められたりするゆえんはないのだ。憐れんできても、その人の勝手だ。ほっとけ。死者は死に行くままにまかせろ。私は、遊びにいく。祭りに行く。祇園祭がもうすぐだ!

子供を産めなかったのは残念だし、産んでくれた人には感謝している。私は子供が大好きだ。

他人の子供も好きだ。私の友人の家族連れはAみたいな人はいない。Aがたまたまルサンチマンが多い人だっただけだ。大好きで楽しい子持ちの友人のことまで これをきっかけに嫌いにはならない。

子供がいない=不幸せ だと思いこむ人がいる

Aはそう仕向けたかったのかもしれない。Aと同じく周りに幸福な人がいなくなればAは満足なんだろう。ほんとうにAはAの子供が大好きで、その時間が好きで救われているのだろう。(それはとてもステキなことだ)なのに子供のいない私が笑っていて楽しそうな人に囲まれるのが信じられないのだろう。

世界が狭い、と一言で片づけてしまえることだが。今も そんな高齢者や年配女性、保守的な家族層は依然として多いのだ。日本には和の心を重んじるという良さがある一方で、同調圧力が強い。そんな世界の狭さを生みだす一因となる。

もちろん私は、Aとの連絡先を全てブロックした。ある理由で必要があって連絡先を今まで消せずにいたが、もうどうでもいい。Aは飢えてきたら、また他のターゲットに向かうだけのことだ。

最近、私は、やばい、自分にとって不快だと感じたら、ザクザクブロックをかけている。

今までは、この人はいい人なん「だろう」から、私は付き合う「べき」という感覚で40年やってきた。しかし、他の人、普通の人は違う。あ、なんだか合わない、不快、という「感覚」で他者を切ったり距離を取ったりしているのだ。それが普通の人なんだ。それに最近ようやく気が付いた。私は母が変な人だったので、それでも母は自分を産んでくれた人だから大切にす「べき」というスタンスが身に沁みついていた。それで「べき」的な人間関係が当然だと思いこんでいた。

不快だったら切ってもいいのだ。誰がなんといおうと。自分の感覚に従って。

切らない自由もある。Aがトラブルの多い男性と縁を切らないのも自由だ。私がトラブルと縁を切らないAに危険を感じて切るという自由もある。私は不幸話を延々と言う人が嫌いなのだ。楽しい話がしたい。

子供がいなくて不幸かもしれないが、楽しい生活を送ることは出来るのだ!

ジュウシマツと子供

うちには十姉妹の家族がいる。彼らは、いつも巣作り、卵を産むこと、子作りのことを考えている。ほんと、日々それだ。

見ていると、子供がいる、子供を作る、というのは自然のあり方で、摂理なのだと思う。

人間だって生き物だから、子供が欲しいと思うのは当然だし、子供がいないと寂しいと思うのは当然だ。

そこに疑いもない。きっと今私に子供がいたら、想像もつかない喜びや悲しみや幸せが待っていることだろう。生まれてよかった産んでよかった、生き物でよかったと思っているだろう。

正直、羨ましいし、その経験を味わってみたかったなあ~と思う。

だから、フェミニズムの自然の摂理を無視したカルト的な主張には、同意できない。

しかし、人間は生き物であるが、文化的生物である。絵を描き 作物を育て 建築物を建て 歌い詩を作る 将棋を指す

ジュウシマツの歌は、絶えず異性を求めるものだ。オスはきれいな声で毎日歌う。「好き好き好き好き~卵を産んでよ!僕の卵!」と。単純な性欲の繰り返しだ。

が人間の詩はもっと複雑だ。ボブディランのような歌詞を十姉妹は歌わない。(たぶん笑)人間は生物だけど十姉妹とは違う。

子供がいない人生をうたおう

私はこの10年は生き物らしく「子供がほしいの!」という歌を歌っていた。が、先月私は諦めたのだ。その曲に飽いたのだ。違う歌を歌いたくなったのだ。

子供を欲しがる歌を歌い続けないことに訝しく思いアドバイスしたくなる人がいる、と承知している。Aのように。「子供がほしいの!」という歌をやめるのを許さない人々。子供以外の詩が人間社会にあるとはわからない人達。

あるいは「子供ができなかったわ!つらいの!私は罪人なの!」という歌を歌うことを期待する人もいる。私も寂しい夜、たまには、そういう歌を歌うかもしれない。

だって生き物だもの(相田みつを風)

子供を産まなかった女性が歌をうたう、ということ自体が許せない人もいるだろう。老いた子供のいない女性は歌などうたうな。沈黙していろ、と。

でも人間は性欲子育てとは別の詩を歌う 歌うことができる という存在だ。それも現実で、進化のひとつだ。人間は、子産み以外の別の歌をうたうことも出来るのだ。この先、死ぬまで。

持ち歌はラブソングだけでない。