更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

不妊治療が終わったこと

実は不妊治療していた

長い間(とはいっても本格的に突入したのはここ2年程度)の不妊治療に区切りをつけたのは今年の2月のことだ。

もう46歳である。とっくに何度も本気で諦めていたが、区切りというのがなかった。今回、本当に区切られてしまった。更年期症状がひどくなったので、それを抑えるためにピルの服用をはじめたのである。

もしかして、出来てるかも、という希望が一切なくなった。生理を止める薬なので。

子供のいない人生を選んだ女優

おりしも、ちょうどその時、ある女性雑誌で、ある50過ぎの美人女優が、子供のいない人生を選んだ、と告白し、賛否両論だった。

その記事を読んでその肯定派否定派両方の意見を読んでたら、泣きたいような笑いたいようななんともいえない感慨を持った。

救われたとホッとしたと同時に羨ましく思った。私はそんな風にわりきれなかった。

しっくりこないが、諦めた

生理が来るたびに、身体の月の不調が訪れるたびに、子供が欲しい、欲しい、とやはり思っては一喜一憂した。夫といつまで続くのだろうと思えるほどの毎月反省会を行い、お互い傷ついた。なのに、しないではいられなかった。

しかし、結果的に出来なかった。

最後は、かなりお金をかけた。いろんな注射したり色々した。色々したくなかったが、色々したら、やりきったと思えるとネットに出ていたからだ。

しかし、私には高額医療をしたら、やりきったとは思えない。単に年が45歳超えたら、さすがに御終いだな、と区切りがついただけである。不妊治療のもろもろより、更年期の症状が出てきたのだから。

40歳くらいから、毎年毎年、じわじわと諦めては諦められずの繰り返しで、ようやく、コップの底に水が残っていない一滴もない、と明瞭に分かっただけだ。

気を紛らわしていた

この一年、一人会社を作ったり、似顔絵で独立して、各地の大会や勉強会に行ったり、運転免許をとったりしていたのは、過酷な不妊治療のストレスを忘れたかったというのがある。

何か違うものに夢中になり、熱中し自分を駆り立てていかなくては、気持ちが収まらなかったのである。

もちろん、治療でお金がかかりすぎたので、馬車馬のように働かなくてはいけない、というのが大前提だ。

…と、書いたら、本気の本気で仕事している人に失礼だろうな、とは思うのですが。

それほど、辛いことだと辛い事だったと思っている。

癌治療もひとくぎりついた

5年前の癌治療は、不思議と悲壮感のないマラソンのように、いつの間にか走り抜けてしまった。メチャメチャ大変だったけど初期で発見されたので、突発的な事故のようなものだった。

5年たった。発覚は、東北の震災の年だった。自分の病より、災難にあった人の方が辛かったはずだ。今、ようやく再発にさほど怯えなくてもすむステージに入った。先月検査を終えて、ようやく胸をなでおろした。母親は電話口で泣いた。

とはいえ、きつい薬を使ったりしたので、後遺症が今もある。手が動かなかったり、記憶がおかしかったり。寒い夜に術後がズキズキするたびに不安にかられる。もっと大変な状況の治療友達が大勢いたので、不安になるのはどうかと思うが、なるものはしょうがない。

しかし、こんな不安は、癌経験者ならずとも同年代は、皆持っているはずだ。それが私にとっては身体のことというだけだ。アラフィフは、そういう人生の終盤の紅葉のような悲しみがあって、それもまた味わい深い。

同年代の落ちた夜はキツイと思う。それは、病気なのか、仕事のストレスか、借金か引きこもりの息子の将来なのか、夫の浮気なのか、姑の圧力かママ友との確執なのかは、人それぞれだ。そういうお年頃なのだ。漫画の「たそがれたかこ」なんて、そういう同世代の女性の葛藤がたんまり描かれていて、涙なしには読めない。細やかな心理描写は、同世代のあなた、おすすめです。

がん治療にはノウハウや先人がいる。闘病の走り抜き方は、各種の胡散臭い胡散臭くないもの含め、本やブログや手記は大量に出ている。乳がんのタイプがホルモン依存でなかったことで、再発率については全然考えず、すぐ妊娠ができるからラッキーとまで思っていた。

不妊治療のあきらめ方はまだ誰も声高に言わない

しかし、不妊治療の諦め方の本は見つからなかった。プロトタイプ、モデルケースはどこにもなかった。書店にはこうしたら出来るかも、というありとあらゆる健康法の本があり、ネットにも諦めたらダメ!今は治療をするのが当たり前!治療できないのは願いが足りないから!という論調がはびこっている。

諦めなきゃいけないのに、諦め方は誰も開示していない。諦めたモデルケースがいない。

だから、その女優の告白記事は、世間を騒がせた。子供の持てない持たない主義の人には、その堂々とした立ち姿が清々しく思え、一方で子供がいて当然と思う人の心をもモヤモヤ騒がせたのだった。

フェミ系の本は頭でっかちで、子供がいるいないは女性が選択できる「べき」論で、価値観の押し付けみたいだった。その手の本は読めば読むほど傷ついた。

頭で子供がいないのもありと知ってても、身体がそう言わないんだってばさ~と。

そんなとき、見つけた▼この漫画の夫婦が一番、しっくりきた。

とてもしみいる本だった。等身大で正直に、旦那さんの視点から描かれているのがまたよかった。ある程度の客観性がある。

治療の主体女性が描くと、感情の強い悲劇性が出てしまいそうな気がする。私だって、不妊治療中にはブログ記事や漫画に出来なかったのは、絶対に、悲劇のヒロイン、不妊さまになっちゃうだろうな、と思ったから。私の感情は野放図だから。そうならない人はいっぱいいるだろう。

この漫画は良かったが、ラストがそう明るいものでない。結局前に進める進めないのか分からないラスト。そんなものかもしれない。

後悔だらけ失望だらけも人生もまたよし

私はずっとずっと後悔していくのかもしれない。それもいいな、と思った。いる子供と戦場のような時間を過ごすのもいいが、いたかもしれない子供を思って淡々と生きていくのも悪くない。

子供のいる友人達が一人になりたいのに、なれないと愚痴る脇で、ありあまる一人の時間を使ってこうしてブログを書き、絵を描きしている自分に後ろめたさを感じていた。

しかし、当の子供のいる当事者ママたちは、私のことなど、見向きもする暇もないほど、子供とともに、前に向かってがむしゃらに進んでいる。そのエネルギーは世の中を変えるだろう。新しい時代が来ているのだ。正直、羨ましくて仕方がない。

私は病が通りすぎたら50歳に近くなってしまっていた。夫も50の半ばで身体の不調が出てきていた。それぞれの親の介護も現実的に目前にせまっている。養子をとるにはもう遅すぎた。私たちは、私たちの老後を考えなくてはならない。

世の中には、育児漫画が溢れ、ネットのタイムラインにも溢れている。それは面白いものもあるし、単なる子供自慢のようなものもある。

漫画が描きたくなった。

きっと私たち夫婦のような者は多いに違いない。というか、同世代は爆発的に多いだろう。女性が仕事か出産かの二択を選ばざるを得なかったのが、私の世代、最後の世代である。色々ありながら、結局結婚しなかったり子供を持たなった人はとても多いだろう。皆、同じ時代を同じように老後を迎えるのだ。

そういう人達の気持ちに寄り添う物語があってもいいのではないか、と思った。

子育て漫画が輝く太陽のような明るさだとしたら、斜陽の夕焼けが紅葉にかかるようなしみじみとした優しい物語もどこかにあるような気がしたのである。

子供たちの似顔絵を描くことで私は元気になった

今は、保育園論争も含め、育児と仕事を両立するライフスタイルが当然だと言える。

若くて、子育てや仕事を両立させる、輝いた世代がやってくる。彼らに私たちの老後のツケを負わせないように、しっかりギリギリまで仕事をしたいものだ。もちろん、税金は、次の子育て世代に使っていただきたい。

不妊の悲しみを忘れるためにやっていた仕事。結果的にそれに助けられた。陳腐なありきたりの言い方だが断言したい。私は、

お客様の笑顔に救われたのである。

描かれる人々・家族の笑顔。誕生喜び。沢山の子供たち。あまりにもステキすぎて、描いていると嬉しくてたまらなかった。かわいい、元気、ステキ!癖になる!もっと描きたい!

最初、子供、特に赤ん坊や幼児が、似顔絵業界のある現場(イオンなどショッピングモール)の主要の顧客だと知ったとき、正直動揺した。不妊治療に通いながら、子連れで訪れる女性を見るたびに心が引き裂かれそうな気持ちだったから。子連れの家族を見て辛くならないかな~と。

しかし、杞憂だった。まったくそんなことはなかった。仕事なんだから、そんなヨワヨワしい思考が入り込む余地や時間は微塵もなかった。私を見て泣く幼児をあやしたり、笑わせたり。絵を描くという作業、子供たちの笑顔を写しとろうとして、今ここに、没頭する自分。子供の生命力に圧倒され、必死に描いて喜ばせて、お金もらっての繰り返し。

絵を見て喜んでくれる親子さん。ときには障害児さんの親子にもあった。亡くした子供の顔を描いてくれという仕事もあった。

いろんな家族の話を聞いた。ママたちの喜びや悲しみと幸せに出会った。ひとつの命を育てていくという家族の闘いは、一見普通で、どこにでもあるが、どのママにとってもパパにとっても、とても大変な負けられない決して落とせない死にもの狂いの試合なのだと気が付いた。

私も、この子供がいる社会の構成員の一人である

私の過酷だ過酷だと思っている不妊治療に負けないくらい、子育て中の人々の物語は、過酷で、なのに輝いていて、かつ力強いものだと知った。

私は私の物語を生きるとともに

彼ら彼女らの応援団になればいい、それでいいんだと思った。

いずれ収入を養護施設などに定期的に寄付したいという夢があるが、今のところ独立したばかりで収入が不安定でなされていない。しかし、その夢がようやく意味があるものに思えた。必ず成し遂げようと思った。

パパママ達とその子供たちの顔を描いていたら、悲しみがなくなった。だってやっぱ信じられないくらいエネルギーがあって可愛いのだ!子供たちは。

いまや私は子供のいる現場が大大好きになってしまった。

私たちは、子供がいるいないにも関わらず、同じ世界にいる仲間なのだと思った。

そういえば、今日は母の日だった。