更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)だったのかもしれない

この一か月病的だった

いわゆるPTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)というのもだったのかもしれない。

この一か月のことです。

恐怖で身体がふるえて、誰にも会いたくない。(もともとアスペぎみで人に会う仕事というだけで相当無理をしている)布団をかぶっていたい。

道端で初老(60代前後以上)で一人で歩いている男性を見ただけで全身ガタガタする。

これってPTSDというやつなんだろうか、とようやく気がついたのは9月に入ってからです。

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オバサンでも性的恐怖があるのです

眠れない 涙が出る 人に会えない 震える 息が浅い 苦しい 同じシーンがフラッシュバックし一日中繰り返される 

私は、こんなオバサンだし、特に直接的な性被害を受けたのではないのだから、そんな症状になる“べき”ではない。距離感のおかしい老人たちの純粋あるいは不純粋の”好意”に一年間さらされ続けただけだ。それだけだ。

だから私ごときがPTSD?そんなものになる”べきではない”という気持ちでした。

ここでも私は生来身に着いた”べき”意識から抜けられませんでした。

折しも二世タレントが40代の女性に暴行を働いたという報道が毎日のように流れます。時に米国の有名アスリートの暴行事件も取り沙汰されていました。

PTSD状態になったのは、そのせいもあるでしょう。

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セカンドレイプの辛さの一端がようやく分かった

セカンドレイプ、という言葉は知っていましたが

その意味をはじめて身をもって痛感しました。

あの日、夏の終わりに、全身匂いたつような目のおかしい老人が商店街で暴れ奇声をあげ、私に矛先を向けたとき、警察は終始「あの人には悪気はないんです。それが嫌だったら辞められたらいかがですか?」と、丁寧な言葉遣いで”女が一人で商売をするのが悪い”というのを何度も暗に含んだ言い方をされたこと。

ちゃんと許可を取ってやっているんだから、ならずものに絡まれたら、警察をあてにするのが当然と思い、怪しいと感じた時点で何度か相談していたのに、結局、それは公務員の事なかれ主義の口先だけだと気がつかなかった自分が馬鹿だった。

私が絡まれているのに、商店街の誰も店内に隠れて出てこなかったこと

アーケードの責任者に菓子折を持っていき「ご迷惑をおかけしました。来月からこれないです。」と言ったとき、誰も「お疲れさま今までありがとう」と言うどころか、私の眼を一切見ない。浮浪者の老人でなく、まさに私こそが”ご迷惑”を商店街に与えたのだとばかり、汚いものを見るような対応をされたこと。しっしって感じですね。この一年間、商店街さんの信頼を得るために精一杯やってきたつもりだったのに。どうして?とショックでした。

夫からの「何事もなくて良かったじゃないか。これにこりて女性一人でアーケード営業なんてやめることだね。その人は本当に悪気がなかったのかもしれないしね!」と笑顔で対応されたこと。(実際はこの一年夫は危険なとき迎えに来てくれたりして私の身を心底案じてくれていたので、被害意識を一片すら私が持つ”べき”ではないとは思うのですが)

つまり、誰もが私が何人もの老人に絡まれストーキングされ、最後は暴力沙汰になりかねない状況になったというのに

その原因は

「女が一人で人前に出て仕事をしていたからだ」

のみの結論になったしまったこと。

私はそこにセカンドレイプを感じPTSD的な症状になってしまったのでした。

女性専用車両に男性が入ってきて恐怖で叫ぶのを「ブスのおばさんのくせに!ま~んが被害妄想!」と騒ぐネットの動画 正直、以前は私も該当女性はそんなに恐怖しなくてもいいのでは?なんて思っていました。しかし撤回します。

ほんと、こわいんですよ。

きっと叫んだ女性はよほどひどい目にあったのでしょう。

実際私も、この一か月、特に電車や公共の場所、道路で、一人で歩いている初老男性がこちらを舐めるように見てきたり、わざわざ隣にべったり寄ってきて座ってきたり、目があったりすると、恐怖で瞳孔が開き震えるのでした。

もちろん該当商店街には足を踏み入れることもできません。

やばい感じでした

一日中涙が止まらない。仕事をしながらキーボードを叩いていたりしていても涙が滝のように流れ

「私なんて生きている意味ないもうダメだ」と呼吸が浅くなります。

毎夜のように夢を見た。裸になり四つん這いになった私を大勢が取り囲み

「犬のように回ってみろ!」と笑い転げるのです。

私は現実には気焔を吐いて気が強く見せかけているのに、夢の中では「ごめんなさいごめんなさいどうかおゆるしください」と丸出しにした尻をぐるぐる回しながら泣いて人々に許しを請い、彼らは更に一層喜びに満ちた攻撃の奇声を発し私に石を投げ、足でけり上げ続けるのでした。

ひいいと魘されて布団で声を上げる私を夜中に隣りにし夫はようやく気がついたようです。

女性性は、受動的で、不利な立場に置かれ絶えず警戒感を持たなくてはならない、持っていても被害にあう性別なのだと。

10代の子供の頃から(痴漢に大なり小なり接触がはじまるのは10代からだから)自分は攻撃を被害を一方的に受ける側なのだから絶えず自衛しなくてはならない。被害を受けてもその子自身のせいだと社会は云うのだと、女はそういう性なのだ、との過酷な教育をうけます。その被害は運不運にあり犯罪者が悪いのに、責任は女性自身に着せられてしまうこと。笑っていたからあるいは笑っていなかったから服が短いから可愛いから若いからブスだからオバサンだから太っているから痩せているからタマタマ裏通りを通ったから夜だったから大学に行ったから一人で仕事をしているからお金持ちだから貧乏だから用心しなかったから用心が足りないから殴られても殴り返せないほど弱いから反対に殴り返したら殴りかえすほど生意気だからオンナは被害にあっても仕方ないのだ、と。

物理的に何かあったときのみだけでなく触られなくても性的被害で苦しむのだと。セクハラやセカンドレイプはそういう打撃になると。被害にあえば名前をプライバシーを暴かれもっとひどいめにあうよ、と。

老人ストーカーにすらこんなに苦しみ恐怖するんだから、性的暴行に会った女性たちはどんなにこれからの一生、苦しいことでしょうか。性犯罪をおかした男たちが、その過保護な親たちが「ちょっとした”失敗”なのに」と被害者じみてあちこちで述べます。しかし、女性たちがどんなにこの先悲しみと苦しみに襲われ、人を信じる力を奪われるか、彼らは少しもわかっていないのです。

先月観た「後妻業の女」という映画で、老人ストーカーになり果てた登場人物を、いかにも社会が色ボケとして扱いヒドイ弱い者虐めだね可哀想なお爺ちゃん的描写がありました。いやいやいや可哀想なのは付きまとわれた接客業の女性の方です。コワモテのボディガード的な男性を連れてきて対策していましたが、その態度が欲深な酷薄悪女のような描かれ方です。そのくらいしなくて老人ストーカーって止まないんです。高齢男性はイヤよイヤよも好きのうちと思いこみますから。コワモテを連れてきたのは女性にとっては苦肉の策なのに。このように少しでも反撃したら老人苛めという風潮なのだから女性はたまったものじゃない。老人は若い女性に振られたと(ノД`)・゜・。泣いて閉じこもり有り余る年金と財産で豪邸で暮らせばいいですが 接客業の女性なんて収入が不安定です。一人のモンスター老人に付きまとわれたら仕事に確実に支障がでます。女性も好きで老人に辛く当たるわけではない。仕事は生活がかかっているのです。ボランティアをするために仕事をしているわけではないのです。生活のためにお金のために身体を張って営業しているのです。私のように。

心療内科に行ったところで、薬を大量に出されるだけです。何より、外に出るのが怖い。味方など誰もいない。この数週間は以前より契約していた短期バイトに出るのが精いっぱい。そこは、単純PC作業の繰り返しで、私が震えて泣きながら作業しようが、特に誰も何も視ないし気が付かないのが幸いでした。

ともかくある一定の層(老人)を憎むほど辛いことはありません。あの層(団塊世代)は撲滅した方がいいと思う気持ちを持てば持つほど、その感情が全て自分に跳ね返ってきます。自家中毒のように自責を繰り返すはめになります。私は半年前、老人ホームにボランティアにも行って、温かい交流をして、老人さん高齢者が大好きだったのに、どうしてこんなことになったんだろう。

わたしはひとでなしだひとでなしだからこんなめにあうのだ

ネット占いを100回くらい(全て無料のやつですが)やって、誰か誰か私に味方をして、話を聞いて、と思いました。占いはまるでこちらの気持ちを分かるかのように、都合のいい優しい言葉をランダムにかけてくれます。私は気持ちを吐露しあって慰め合うような女友達などいないのです。というか、こんなこと打ち明けられたとしても、困るだけでしょう。

あのひとたちは何処からきたのか

喘息的な症状が激しく出て、強烈な不眠の状況で、こんな目にあったらどうしたらいいかとネットサーフィンしまくりました。

ふとしたことで、ある事実を発見しました。

商店街の歩いて数分のところに、あるスラム街があるということ。現在は貧困にある高齢者ばかりが住んでいて、廃墟に近いこと。

あ、と思いました。

浮浪者じみた格好の気がふれた感じの一人歩きの高齢者、距離感の変なジジババはそこから来たのか、と。

美しい活気のあるインバウンドな商店街の裏には、そのような老人たちの住処があること。彼らの散歩徘徊場所があのアーケードだったのです。

たちの悪い老人たちが多いはずです。

これ以上述べることは、関西のデリケートな差別問題に触れるので止めますが

警察の含んだ言い方、商店街の人々のエンガチョ的な私への忌避ともいえる最後の態度の理由が分かりました。

私はその場所がそこに、商店街の歩いてすぐの川の向こうの場所にあるとは知らなかったのです。誰も教えてくれなかった。タブーなんだ。私は地元の人間じゃないから知らなかった。皆知ってたのか。教えてくれるはずがない。あまりにも有名な場所なのだとネットの情報で今頃知ったのです。

私は意を決して、その老人たちが住んであろうという通りを歩いてみることにしました。もちろん昼間です。

PTSDで恐怖心が抜けないのに。不思議なんですが、対峙して、この眼で確かめなければいけないと感じました。

その通りは異様な静寂で、見たこともない闇がありました。すぐそこにある華やかな観光街の美しさとは雲泥の差で、日本ではないかのような場でした。特異な雰囲気がある高齢者たちがこちらを暗い目で見つめます。ヨソモノがきたぞと舐めるように。

あ、そうだ、こういう感じだった、私に毎週のように絡んできた老人たちは。

ようやく分かりました。

彼らは孤独に耐えられずに眩しい商店街を徘徊し私を憎み愛し寂しさを埋めようとしたのだ。

その通りを過ぎるとき後ろから何か異様な動きをする風呂に入っていなさそうな30代~40代くらいの男が私にジットリと距離を詰めてついてきた。焦りましたが、橋を渡り向こう側に行こうとする直前にいなくなった。彼にとって川は行ってはならない別世界への境界線なのかもしれない。

私は特定の層をレッテルを貼って憎むのを辞めようとようやく思いました。

たぶん彼らは若いときからあのようだったのだ。老いた人々がすべて、あのように気がふれ、付きまとい、絡んでくる、モンスターになるわけじゃない、

若者にろくでなしがいたりするように、高齢者にもろくでなしがいるだけなのだ。若いろくでなしがそのまま老いてああなってるだけなのだ。

”そういう人々”がたまたま近くにいただけだ、と合点したとき、少し楽になりました。老人を全て憎むべきでない、憎まなくてもいいのだ、と。

一対一で人と顔をあわすのはもう怖い

1か月、呻き続けて、時間は人を癒します。

ようやく、通りをいく独居老人とすれ違っても震えなくなりました。もう少しで立ち直れるかもしれない。

大量のインチキ占いの結果の一つに

あなたの棚卸の時期です

というのがありましたが、それだけ信じることにしました。

心にある全てを羅列して書きだし、今後いる仕事いらない仕事をひとつひとつ検討しました。物理的にもいらない物を容赦なく捨てまくることにしました。所謂「断捨離」です。

お客様を目の前にして描く「席描き」を今後は手放す決意をしました。

一対一で描くのは辛い。特に高齢者相手は。

勘ぐってしまう。どんなに穏やかそうな笑顔を浮かべていても。ほんとうはどんな下心があるのか。粘着されるかもストーキングされるかも政治勧誘マルチネットワーク宗教やスピリチュアルを売り込みをはじめられるかもブログやFBで長文コメントを連日入れない相手だと誰が分かろう?ほんとうに分からないのです。一人で来る客の誰も彼も信じられない。

場所によっては客の殆どが若い家族連れというところもあるのですが、何かのキッカケに、もしまた独居老人に付きまとわれたら?という恐怖に今は対峙できない。辛い。重すぎる相手のマイナスの気持ち寂しさの波、愛情飢餓をそのまま受け止めるほど私は強くない。

顔に向き合いリアルに老人の底無し沼のような闇の暗い眼を覗かなければならないのが怖い。

席描きをまた機会があればやることもあるかもしれない。

しかし今年の夏は特に辛く、アラフィフの身体には堪えました。アーケード営業で毎週のように熱中症になりました。引きずるように台車を動かし、それでも描ける幸せを噛みしめていたものの次の日は起き上がれず寝ていたというのがこの夏の実態です。私も彼らと同じく老いの下り坂に入ったのです。

家族連れやカップルは愛情でお互いで満たし合うことが出来るし、若い人は「似顔絵描き」というものがどういうものか認知しているので安全なんです。距離感を分かってくださっているので、こちらも安心して接客しています。年配者も夫婦や家族で来ている人は、非常に温かくオレンジ色のオーラが見えるよう。観光客も非日常を楽しみ愉快な時を過ごそうとして弾けるような明るさ。インバウンドの観光客も礼儀正しく楽しい人ばかり。巷でマナーを取り沙汰された中国人は、噂と違う。丁寧で優しい。ちょっと行列が苦手で集団でわあわあ言っている程度。何よりも彼らは気に入ったら大量に注文してくれるし、リアクションは大きいし、言語を越えて分かりあえ、友達になれる。

一番恐ろしいのは地元の一人でいる男性高齢者でした。ほぼ100パーセントがモンスターあるいは予備軍です。

当たり前です。一人で露店営業する女性に近寄る中高年高齢男性が下心なしで近寄ることはあり得ない。

40代くらいまでの若い男性の一人客は、たいてい愛する家族の顔を描いてくれと写真を持ち込むのが殆どなので危険は一切ない。年配者も夫婦連れは無論です。これ以上の暖かい上客はいません。精神的に。

しかし一人きりで近寄ってくる中高年以上の男性。彼らにはお金を出す出さない関係なく性的な期待値が高い。ただデレデレ近寄ってくるのはマシな方で、寂しさでルサンチマンをぶつけサンドバックになる対象を探している。だからほぼ全員非常に危険があるのです。

最初はお客様として丁寧に心をこめて接していましたが、この一年彼らの距離感の異常さに苦しめられて、ノイローゼでした。今年にさしかかってからは営業の日の朝は、今日一日彼らの来訪にどんな風にトラブルなく上手く機嫌よく追い返せるかとと考えあぐね吐きそうでした。この一年残念なことに彼らが絡んでこない日は一日たりともなかったのです。(強面の男性同業者さんにパートナーになってもらった日だけ絡まれなかった)このブログのこの数か月の高齢者関連の記事の多さも、どこかにそのストレスを吐かないとやっていけないという苦肉の策だった。

この夏から夏への短いような長いような一年のアーケード営業。

一人でいるの高齢者に対峙して描くことは恐ろしい、危ういことだと知りました。男女問わず。心底思いました。

なぜなら10分以上の間、対面で見つめ合うという営業は、普通の仕事ではありえません。だから普通の仕事でことさらに独居男性に怯える必要はないと思います。

露店かつ対面似顔絵描きという仕事は特殊なものです。こんな風に、たったの10分程度とはいえ顔を見て非常に温かく優しく接客会話してくれる仕事なんて他にはありません。(美容院は鏡を通して見つめ合いますが非常に間接的なものです)画家側が誠実に描くことに本気になればなるほど深く濃密な非日常な時間となります。相手に信頼され表情を和らげるために持ち上げるトークをして満面の笑顔で対応します。

劣情の対象にはなれない

寂しい高齢男性ならなおさら運命のように心が奪われるでしょう。ちょいブスなオバサンで、道で絵を描くほど貧乏なのか、と劣情を抱くでしょう。(保守的な年配男性は自分より下の立場であろうとする者に発情します)

恋愛対象にしたいちょっと年下の女性(団塊男性は30代40代をオバサンと思っていて、その世代のオバサンなら自分の良さが分かるだろう、女として価値が低いから、俺を褒め崇め奉るだろう、俺は劣等感を抱かなくてすむだろうから恋愛できる!勘違いします)劣情を抱ける女性と見つめ合う10分は、キャバクラ以上の満足感となるのです。

仕事をしていない孤独で人と話すことがない老人たち。一日で口をきく会う人間がせいぜい店頭の接客業の店員だけ。そんな彼らがそのような濃密な接客をされたら、心が奪われてしまうのは必然。物慣れしていない世間ずれした高齢者が俺は愛されていると思いこむのは当然のことなのです。

高齢者や団塊世代の対人関係の距離がおかしいことをおかしいと云い捨てるのは簡単です。迷惑な老害だと云い捨てるのは簡単です。

老後にお金がある豊な層の人はジムやカルチャーセンターで友人を作る機会があるでしょう。接客業の人にもお金を払うことで丁重に扱ってもらうことが可能です。清潔さや美しい服装とマナーを心がけるなら店頭で大事にされるでしょう。家族や孫がいたら独居であろうと電話で話を聞いてもらう機会があるでしょう。

しかし、あの通りのあの貧困層の老人たちは、そのようなお金はない。家族もいない。汚れたくたびれた服装に身を包み、恨みや悲しみをつぶやきながら歩く彼らは生活保護かアルコールの何らかのアディクションを患っているように見受けられました。そのような高齢者たちは、どんな場所でも、愛されることがない。忌むべきものとして、避けられます。

そんな彼らが

私に笑顔で話しかけられ顔を十数分分見つめられ語られ持ち上げられ話を聞いてもらい相手にされることがどれほど嬉しかったことでしょうか。通りで露店を一人で営業する女性なら自分を相手にしてくれるだろう、と。その喜びと期待は理性をなくすほどに大きかったに違いありません。それほど彼らの孤独と貧しさは深いのだとようやく分かりました。

彼らも被害者なのかもしれない。