更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

「シン・ゴジラ」という荒ぶる神

エヴァを知らなくても楽しめる「シン・ゴジラ」

「シン・ゴジラ」を観ました。

シン・ゴジラ音楽集

初代ゴジラへのリスペクト・原点に還りつつ、新鮮なゾクゾク感でした。

しかし、私は「エヴァンゲリオン」を一作も見たことないので、多くの人の夢中になる萌ポイントが分からないのが残念です。

唐突に紫の光がゴジラの身体から出てきて、無慈悲な独裁者のように攻撃を始めたとき、ラブホテルネオンか土曜午前に見たテレビのウルトラマンシリーズかと思った。

あの光は、エヴァ好きの人にはたまらんらしいですね。これを機会に「エヴァンゲリオン」を観てみようとも思いました。

ゴジラは都会が好きだから

惜しむらくは、東京ばかりゴジラが破壊して、田舎を襲い掛かる怪獣(昔話に出てくるような)という民俗的なシーンがなかったことです。

山奥でニョッと出てきて、地元の漁師とかが驚いて腰抜かす、というシーンです。初代ゴジラにはあったような気がするんですけど。

鎌倉経由で来襲はしてましたが。あそこは観光地であり、田舎ではありませんからねえ。

都会にしか来てくれないのね。ゴジラさんは。

お盆中は奈良県吉野の山奥の民宿で、のんべんだらりと過ごし、窓きわに張り付くヤモリはゴジラに似ているなあ、ゴジラがあの修験道の山々からニョッと姿を出したら素晴らしい光景だろうなあ、と思いました。

吉野は神仏習合の宗教観が色濃く残る土地で、今でも行者たちが厳しい山越えをして修行をします。深い山々を見ていると、ゴジラや、もののけ達が出てきても何ら不思議ではない気持ちになります。

奈良県 吉野山 世界遺産 吉野山のポストカード葉書はがき Photo by絶景.com

山奥から巨大怪獣がヌッと出てくるシーンが大好きなんですよ。東京のビル群の谷間から出てきて文明を破壊しつくすというのがゴジラ映画のスッキリ痛快ポイントなのは分かります。が、ゴジラは破壊したくて破壊する大魔神・破壊神ではなく、設定としては、放射能を食べて生きる生き物なんだから、生き物らしく山々にいてほしいなどと思いました。それだと山をのんびり動くトカゲ、ほのぼの系自然映画になってしまうので意味をなさないんでしょうが。

象徴としてはちょい露骨

「シン・ゴジラ」は東日本大震災の象徴として登場していました。

当時の政府の対応を露骨に連想させる人物設定はともかく、

平和な善良な家族連れがいっぺんに流され、下敷きになり死んでいく、というシーンが容赦なく描かれています。

まだまだ震災の記憶が大きく、観ていて胸が痛くなりました。そのあたり、PTSDが大きい人にはおすすめ出来ない映画です。

西洋的GOD(神)のゴジラ

GOD(神)ジラ という解釈なので、欧米の宗教観(一神教)のゴジラなんですね。

荒ぶる神、という単語も数回出てきましたが、本来の荒ぶる神は、一神教ではありません。

京都の中心に、荒神口という場所があります。

荒神口通 - Wikipedia

三宝荒神という吉野山の行者であった役行者が呼び寄せた地震や火災と関わりのある神。仏教と神道がごっちゃになったような神仏習合の神。それを祀っている場所が荒神口です。日本人は人間の力の及ばない海のむこうから来た「なにか」を「荒ぶる神=ゴジラ」と名付けたのです。

吉野山にあるような空気すべてが神秘性を含んでいるかのような神仏習合、役行者が山々を飛翔する力(パワー)。海も山も神が住まう場所である。ゴジラはそこから来た。古来より神々は人々に時には破滅を時には恵みをもたらすのです。その世界観には自然への畏怖、自分と草木や昆虫鳥たち一体化するような日本的汎神論的な寛容性があります。宮崎駿の「もののけ姫」的な自然と人との調和といったら分かりやすいでしょうか。

欧米の宗教観には、自然 対 人間 という対立項があります。自然により災厄がもたらされたら、人間の努力や英知で災害と闘い、それを制圧するというのが西洋人の自然観です。

対する日本人の宗教観は違います。(日本には宗教がない、という人がいますが、それは一神教でない、という意味です。)あまりにも台風や震災が多いせいでしょうか?西洋のような対立項は少ない。

日本的な汎神論(すべての世界に色々な神がやどり混在して世界を形づくる)には、災厄と共存する、荒ぶる神との融和があります。

「かしこみ」「かしこみ」と宥めて、大人しくしてもらう。そして、何かをきっかけに、ときどき、神は思い出したように暴れる。

たとえば菅原道真をみんなで苛め殺す。そしたら災厄が訪れた。みな、道真の怨霊だと、神社を作って祀って機嫌を取り、大人しくしてもらう。

そうしているうちに、道真のキャラクターが形成され(キャラ付け好き、という日本人の嗜好は昔からあります)いつしか受験の神となった、と。

日本的なラストを迎えるシンゴジラ

「シン・ゴジラ」にも、その西洋対日本の宗教観の違いが出ていました。

●欧米諸国の災厄に対する一気阿世に解決すべしという強気な姿勢

●日本的な皆で相談、良くいえば和をもって尊ぶ、悪くいえば弱腰の姿勢

の違いが出ていました。

GODジラさまに「かしこみ」「かしこみ」

なんとか穏便に帰ってもらう(どこへ?)静まって寝てもらう(死んでもらうというわけではない)のはどうしたらいいかと模索する融和姿勢、あのラストだとこの先やばいけど、まあ、これでいいだろう、という収まり方。

海の向こうから迷いこんできた生き物は海に帰ってもらうというのが島国の人の考え方ですが、帰ってくれない場合は殺すしかないけど、殺しちゃったら祟りも怖い。

ああやって祀って終わるしかない、やれやれ。

確かに日本人の神への祀り方はあれが正しい。ああしかできない。

「シン・ゴジラ」はまさに日本(ニッポン)映画なのでした。