更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

スピリッツ ついに、まさる、死す?

いつ逝くのか、マサル

毎週毎週ひっぱるのだ。ウシジマくん、マサルの最後。

たぶん、私のようなマサル大好きショタは多いと思われるの。なので、今、不自然に生かす術を作者と編集者は、大幅に軌道修正して考え中なのだと思うのだ。

どちらにしてもマサルは死ぬ。

日本中に数多いる、ろくな親から生まれなかったロクでもない子供たち。彼らが勤勉努力もせず、空虚なビックになる夢を叶えようと、無駄あがきを思いつきのまま繰り返したあげく、その親とそっくりな生きざま、のたれ死にをする。本能のままに同じ生まれの雌を愛し、金と車を欲しがり、取り合い争い、アディクションに溺れ、殺し合う。その辺のどこにでもいる格差の最底辺にいる人間、大勢のあいつの中の無名の一人のように逝ってしまうのだ、マサルは。

さようならマサル。できたら死なないでほしいけど。

スピリットがある雑誌だったスピリッツ

私は30代後半から最近までスピリッツをはじめ漫画雑誌を買うことをやめてしまった。オリジナル、スピリッツ、YOU、マーガレット。スピリッツは西原理恵子がママ社会に居住を移しその舞台を失ったと同時に、リアル感を失ってしまったと思っていました。

いつの間にかイマドキのマンガ界を占めている「漫画だけしか描いてこなかった漫画しか知らない”アーティスト”」の世界。それに私にはお金を出すには値しないと思っていて、まあ私が現実的なオバサンになっということだけど。

ほとんど立ち読みや喫茶店読みでつまみぐいに移り、かつコミックスは古いものばかり読んでいた。しかし、昨今の

ウシジマくんの盛り上がりと、

生活保護の漫画「健康で文化的な最低限度の生活」が連載再開しだして、

また買いだしたのです。

ただ先週は憲法など付録につけはじめ、変な風にスピリッツを発揮してますがwあの表紙を見たとき、天空の城のムスカのように「目が~」「目が~」と叫びたかった。迷走しすぎにもほどがあります。

とはいえ、スピリッツはスピリットを取り戻そうともがいているように見えます。

リアルに自分の足で立とうとする力を奮起させる

それこそが魂=”スピリッツ”という雑誌だと思ってました。ジャンプの「少年」力とはまた違う「青年」誌だと。

しかし、ジャンプ・マガジン・サンデー少年が大人への脱皮を果たせず大勢成長してしまった。その受け皿に青年誌はなりえなかった。結果、スピリッツはどこかしら中二病的なドリームとグラビアアイドルで占められざるを得なかった。それがこの10年のような気がします。

力を失いつつある漫画コンテンツはゲームやWEBに取って変わられつつあります。

今や少年たちは現実的に生き抜かなければいけない、新たな格差と貧困の現実に向き合いはじめた。善良な少年漫画の絆と友情の「夢」はかなわない。かなえたければ自分の殻をやぶれ。それには勇気と力がいる。ママも友達も先生も与えてなんてくれないよ、と。魔法や超能力なんてどこにもないよ。摩擦も孤独も嵐のように押し寄せるだろう。それでも進め、と。

漫画の世界もまたもや変わりつつあります。

圧倒的現実感の生活保護漫画

「健康で文化的な最低限度の生活」も主人公は佳境を迎えています。

生活保護者、何も悪くない無垢なただの被害者。なのに貧困に陥ってしまう”私””あの人”への痛烈な批判、そして愛情が漫画に込められています。作者の奮闘のネームが素晴らしいです。

そう、今やすでに「何も悪いことをしていない可哀想なワタシ」であるだけでは幸せになれない、いや、生き抜くことすらできないのです。

受け身文化の日本社会。協調性や優しさがその受け身文化で育まれたので、悪いことではありません。しかし、今や受け身でただ「待って」いるだけでは生存することすら危うい。

何もしなければ、そのままです。何かすれば波が立ちます。波を立てるから船は動くのです。皆の言うとおりに皆と同じにしてきたのに、誰も私を船に乗せてくれないの、と泣いていてもはじまりません。小舟で出発するのです。筏しかなければ沈みながら行くのです。木切れしかなければそれに捕まって足を動かすのです。とにかく波を立てるのです。そうしないと沈むだけです。

今ほど、めくらめっぽうでも、もがき、一人で出ていって闘うこと、能動的な転換を図られている時代はないでしょう。

男女問わず。

この10年「変革」「改革」と、どの政党も吠えていましたが、まったく変わりませんでした。大勢の日本人が受け身の「変わらない」ことを本音では求めているからです。1/4の人口を占める、かつての元若者で火炎瓶を投げていた高齢者は、受け身で年金と医療をたっぷり貰うお幸せな守りの老後、若者を踏みつけてでも変わらないことを願い、結局は「改革」の邪魔をします。

しかし変わろうとしている若者たち。変わらなければ殺されてしまいかねない若者たち。

いつまでも受け身で甘えが抜けず親子そろって生活保護を受けるような貧困家庭を前に、若きケースワーカー「えみる」も変革を迫られます。

老人は脳が硬化して変わることなど出来ない。変わらない老人は棄ておくしかない。死人たち自らで自らを葬らせよ。若者は外へ出てカラを破れ、闘え。

アフロ田中が大人への苦闘を登ろうとしている

アフロ田中も連載最初から読んでいます。笑いながら。

しかし、今、リアル社会で現在の田中のような状況であったら、これぞ底辺まさにツミです。最大の危機。これも目が離せません。

アフロ田中は、やみくもに役所に押しかけ質問し夢をかなえようとします。役所の人々は彼を笑います。読者である我々も笑います。

しかし、田中は今、正念場です。子供から大人になる転換期です。

手に汗にぎり、田中を応援してます。(しかし、大人になってしまったら連載が終わってしまうような気もするんで、複雑な気分です)

生き抜け、わかもの

若者が一人で現実を知り、なんとかかんとか立って進んでいく、というスピリッツがこの雑誌の力だと思います。

先日見た、セミの誕生。彼らのほとんどは、蛹をやぶり、羽化する途中で死んでしまいます。長い眠りから覚めた瞬間に、攻撃や生存危機にさらされ死んでいくのです。

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本来は人間も多くは死んでいた。昔は少子化じゃなかったって言うけど、沢山産まないと、沢山死ぬからしょうがなかったんですよ。戦後くらいまで、50歳くらいで死んでたんですよ。みんな今みたいに長生きしなかったんです。

すぐやられてしまうかもしれない、それでも、天へ、天へ向かって大人になるべく、激しい生存への危機を潜り抜けて羽化して飛び立つのです。

ウシジマくんは全般的に劣情的な悪趣味なヤンキー漫画ですが、根底に流れるのは

孤独に立て。もがきながら。

という若者への応援だと思っております。

マサル頑張れ。生き抜け、と。こんな若者いじめの日本でもマサルが愛する人を見つけて二人で幸せになってほしい。空虚な願いだと知りながらそう祈り続けるしかないのです。