更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

津村記久子さんの小説が大好きだ

仕事やなんやかんやに行き詰まり 日経ウーマンのサイトの深澤真紀さんと津村記久子さんの対談に救われる気がした

ので

お二人の共著対談を買ってみた紀伊國屋書店「ダメをみがく ”女子”の呪いを解く方法」がこれまたいい感じの本だ。その中に、津村記久子さんの小説について書かれていた。なので読んでみるかね、とまず読んだのが『婚礼、葬礼、その他』である。

異様に面白くて書店で目についたら次々買ってしまい

カソウスキの行方」で泣き、で、今、芥川賞受賞作の「ポトスライムの舟」にかかっている。

どれもこれも、ああ、この人は(大阪出身のせいか?)私の気持ちをわかってるわかってくれている 何でこんなに私のことがわかるんだすごい などと思っていたが

内田樹さんの『邪悪なものの鎮め方』に村上春樹さんについての論があって

すぐれた作家というのは無数の読者から「どうして私のことを書くんですか?」という訝しげな問い(場合によっては「モデル疑惑」による告発)を向けられることがある。どうして私だけしか知らない私のことを他人のあなたが知っているんですか?というふうに世界各国の読者たちから言われるようになったら、作家も「世界レベル」である。どうしてそういうことになるのか。村上春樹は世界中の人々に共通する原型的な経験を描いているからだろうか?そうかもしれない。でも、それだけではない。おそらく読者は物語を読んだあとに、物語のフィルターを通して個人的記憶を再構築して、「既視感」を自前で作り上げているのである。

とあった。つまり、私は津村記久子さんの小説を通して、自分の働いてきた時間女子としての立ち位置の記憶を再構築して、感動して、記憶のすり替えを行っているのだ。

津村さんは”私のような人”と”同じ”で、その気持ち”分かる”のではなく、単にスゴイ作家なのだった。仕事や対人スキルも優れていて、対談を読むと、私など及びもつかない優れた社会人であることがよく分かる。

よく、私的な雰囲気の小説のレビューに、この物語は作者自身のことを吐き出しているだけなのだ、などとあるが、それは間違いであると思う。

ダメダメ系の人間のことを豊かなかつ抑えた表現で描ける技術があるということは、相当に頭がよく、客観性があるということ、高い技術があるということだ。まるで自分のことを書いてくれているかのように、本棚で親友のように傍にいてくれる物語を書ける人が”作家”と呼ばれるのだ。