更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

梅と雪と3年目と

昨日は変な天気だった

昨日は所用で京都に行ってたのですが、雪やアラレは降るわ、なのに空は晴れ渡り花粉が飛び交い、変な一日でした。

京都御苑の白梅、今が見ごろですよ

そういえば、今日は3年めである。まるで昨日のことのようにまざまざと思い起こされます。他の人に聞いても、同様だったようで、この3年の記憶や、あの日の具体的な出来ごとを聞いても、鮮明であることとそうでないことの境界があいまいな上に、映像のように何度も夢にあらわれ、不思議な時間軸になっています。関西に住む当事者でない人々にもそうなのだから、きっと多くの人に共通するものだと思います。

語れること語れないこと

京都御池にある「京都国際マンガミュージアム」で

▼この『凍りの掌』(おざわゆき)小池書院 を見つけて、読みふけっていました。

ここ十年漫画を読んで久しく泣いたことはないのですが、泣けてどうしようもない。

著者のお父様のシベリア抑留の経験を漫画化されていたものです。

淡々とした抑えた表現ですが、それがなんとも愛があり、胸を打つ。

敗戦後に多くの日本兵がシベリアで強制労働させられた。なんと19歳のときに!多くの仲間が亡くなり、絶望や洗脳を体験させられる。その戦争体験は長い間語られることがなかった。娘さんが漫画化するにあたり、少しずつ聞くことによって、お父様は重い口を開いたのでした。

私の姑さんは、幼いとき、東京大空襲を生き延びた経験があり、それは未だに語られることはなく、その光景を見たせいなのか、3年前の震災時、関東にいて「お皿が全部割れてしまった~全然たいしたことなかった」と笑っていた、その胆力に驚いたものでした。戦争体験者の方々の困難にへこたれない姿勢には学ぶことが多いです。

何か起こって、すぐ語られること、語られずに終わることがある。声高に言いやすい事は、語りやすい。語られないことは、その壮絶さゆえに、けっして、経験者に口を開かせない。それを無理して開かせてはいけないし、これからポツリポツリと語られていく部分もあるだろうし、けっして語られないこともあるのだなあ、と思いました。

『凍りの掌』(おざわゆき)小池書院