更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

終戦のエンペラー

仕事がギュウギュウだったので、映画に行けてなかった。ついでに天候があまりにひどく(関西連日38度以上)引きこもって絵ばかり描いていました。

気が付いたら8月も半ばである。この時期の映画なら、終戦ものだろう。

終戦のエンペラー

感動的だが目新しくもなかった。若い人には新しい情報かもしれないけど、

観に来ていたのは、年配者ばかり。その年配者も90代とおぼしき、杖をついていた人もいた。若い時リアルタイムで終戦を迎えたのかもしれない。

その子供達の団塊の世代は、同時公開中の「少年H」を観ているのかもしれない。

▼ 昔、ラッキーイケダじゃない、イッセー尾形さんが出ていた昭和天皇の映画「太陽」にも桃井かおりさんは出ていたなあ。

「あ、そう」って言うあの昭和天皇のセリフが良いのよ。

終戦後、日本にマッカーサーをはじめとするGHQ、占領軍が乗りこんでいく。昭和天皇がどんだけ、すごい独裁者かと思ってみたら、戦争嫌いの心の優しいおじいさんだった。おまけに品性が良く、自分の命に変えても国民の命を救ってくれと言う。共産主義の台頭を嫌うマッカーサー。昭和天皇を裁判にかけたくない。天皇の人柄がそういうマッカーサーの思惑に合致した。

よって天皇の戦争責任は問うべきではない。そういうオチ。

▼日本の一番長い日

を観たら終戦の玉音放送の経緯が良くわかる。

昭和天皇を主人公に映画を作るのはリスクがいる。

「終戦のエンペラー」にしろ「太陽」にしろ、外国映画。

やっぱ日本人にとって天皇制は宗教だから、日本人が作るとややこしい問題が出てくる。まだまだタブーの世界。

一方外国人にとってはこの制度が摩訶不思議で仕方ない。だから映画にするのだな。

学生時代に、北朝鮮籍の同級生が「昭和天皇」をテーマにしたアート作品を制作していた。「それはアカン」と教授がよってたかって中止させてた。何がアカンのか私にもさっぱりわからん。その絵を展示して、だれかが怒り狂ってペンキを投げたとしても、それもポリティカルアートの一環と評価されてしかるべきだ。

みんなヤヤこしいことは嫌なのよ。

教授も暴力事件なんて起きて責任問題になったらたまらん、と思ったんだろうね。学生が在学中に作るアートは遊びでしかないけど、教員には生活がかかってるから。

日本人以外の外国人にとっては、戦争のトップは、独裁者であり、有罪だ。

彼を中心に人々が殉死したのだから彼こそが責任者だ。しかし、実態は、優しい無害な人格者。むしろ、幽閉され国政に利用されて暗殺の危険に何度も晒されている系譜の末裔でしかない。

エンペラーじゃなくて、「てんのう」なのよ。そこのところ、説明しずらいなあ。

その説明しずらいニュアンスを、この「終戦のエンペラー」はうまいこと表現していた。

言葉でははっきり説明しにくい、日本におけるエンペラーの存在感、「信奉」という日本語の意味合いが少しずつ浮き彫りになる。日本人にとっての君主像は西洋や他国のそれとは違うのだ、ということを丁寧に描き出している。ステキな映画だった。

主人公のラブストーリーシーンが多いのは、天皇と戦争描写をこれ以上増やせない?あの最後だけ姿を見せる昭和天皇の神秘性を増すためでしょうか。この映画の監督もヤヤこしいことは嫌なのかなあ。デリケートな描写を避けたのに、人々の心理描写が上手くて、自然な感じでした。

唯一焼け野原のシーンがわかってないと思った。東京大空襲などで焼けた場所が、雨が降っていたりして寒々しいのよ。ブルーグレイで。

違う、違う。それはヨーロッパや西洋の終戦イメージだって。

日本は夏なのよ、夏。終戦といえば、夏。

この暑い夏に、終戦映画を見に行く、私や年寄りの日本人の心情を映画監督は理解していない。

西洋人の終戦の原風景はナチス終了=雪解けの春であり、我々日本人にとっては灼熱の、日差しが冷酷に降り注ぐ真夏なのよ。今年のような。

8月15日を迎え甲子園球児もサイレンの響きを聞きながら黙とう。戦争体験がない私の脳内にも、「しのびがたきをしのび…」という声が流れる。この灼熱以上の暑さを受けた広島の被爆者の気持ちはどんなだったろうか、などと思いをやる日本人は少なくないのだ。

最近何かととりざたされる「はだしのゲン」ですが。あの漫画が私の世代の子供時代の戦争の原点なのかな。だから夏のイメージなのかもしれん。