更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

塀の中のジュリアス・シーザー

塀の中の…といえば、懲りない面々など思い出すのですが

これはイタリア映画。

刑務所。終身刑などの犯罪者達が収監されている。彼らの教育活動の一環として、舞台演劇が行われる。

あのシェイクスピア「ジュリアス・シーザー」が演目。「ブルータスおまえもかっ」とかが有名なあの芝居ですね。

この映画、なんと言ったらいいのか…。演じながら、どんどん、役になりきってしまう囚人たち。ただただ、その様だけを映した映画なんですがね。かわぐちかいじの「アクター」みたいなのとちょい似てる?なりきってその世界になってしまう。

刑務所の塀が、作業場が、広場が、古代ローマのように思えてきてしまう。

シェイクスピアとか苦手なのよね。だってセリフ長いじゃん、複雑な言いまわしとかあってワケわかんね。囚人達がそういったセリフを延々練習するわけです。聞いてて退屈になりそうだわ…と半分目を閉じかけたのに…

塀の中のジュリアス・シーザー

なんだよこれは、面白いじゃん!!

シェイクスピアのあのセリフ、古代の一人一人の信条が、心のあり方や苦悩。そういうものが生き生きと伝わってくる。なんなんだこの映画は…と、思っているうちに一気に怒涛のように終了。キャラ説明や回想がないのが物足りないような…と思ったが、それがないのが、更に良いのだ、と思いなおす。シェイクスピアの言葉の一つ一つに演じる囚人たち、彼らの過去や夢が滲み出てくる。それが痛いほど伝わってきた。メランコリーな回想などいらないのだ。

演じる、というのはすごいことなんやなあ。心を出して、出して、葛藤して、また出して、蘇らせ、盛り上がり、演じる人の人生まで変えてしまうのだ。

そいでもってシェイクスピアってすげえ~~!これが古典の力というものかあ。他の戯曲では、こうはいかなかったろう。きっとシーザーの物語は、イタリア人にとって、日本で言う織田信長とか戦国キャラみたいに親しみのあるものなのかもしれん。これを日本の刑務所に置き変えてみて?たとえば網走の一般の受刑者が、信長や秀吉になりきって憑依しちゃって舞台を演じる映画があったらめちゃ面白くない?そういう映画よ。これは。痛快なラストに胸躍る。

生きるべきか、死ぬべきか、シェイクスピア、読むべきか読まざるべきか…いつ読むの?今でしょ!!

塀の中のジュリアス・シーザー