更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

映画「千年の愉楽」

亡き若松孝二監督は、無頼のカリスマ?客席には往年の闘士という感じのオッちゃんがチラホラいらっしゃいました。

千年の愉楽

20年ほど前に読んだ中上健次の小説を思い出しながら観た。当時は、宿命の悲しみが胸に迫ったものでした。今の私はオバちゃんになり擦れてしまったせいか、そういう気持ちにはならなかったな。微妙に古臭い印象を受けてしまった。

熱い血がカ~ッとなってそうなっちゃったとか、20年前なら壮絶な芸術家肌、あるいはキツネ憑きかと思われたような精神状態。昨今は心理学精神医療ブームで、そう判断されないのじゃないでしょうか。現在ならこの物語のように文学的テーマとはなりえない。その狂気は血脈のせいだとか生まれや差別のせいでそうなったとは思われないだろう。依存症だとか新型ウツだとかアッサリ病名がついてしまうのではないか。

物語に登場するナカモトの男性達は、美男子の家系。で、非業の死を皆遂げてしまう。彼らは強度な何らかの心身症ではないだろうか。

だってナカモトの血筋の人は全員若死にで、自分の産まれた日に親父は女に刺されて死んだとか、ちゃんと家庭で育てられず転々としたとか、そういう出生だけでも、ノイローゼ、心身症になる原因になろうというものだ。むしろ真っ当な精神状態でいる方が不思議である。「苦役列車」でも、父親が前科があるというだけで、自分もそうなるのではと、生活が荒れていたではないか。かくして連鎖は続き、その心の病は、高貴な神話的な領域に昇華され、血筋のせいになってしまう。(血筋のせいであったのが、現代は病気のせい、と片づけられているだけかもしれませんが)

私はこの物語を「色男メンヘラ裂伝」とでも名付けたい。…なんて言ったら、隣のむせび泣いていた無頼系のお客さんが怒り狂うだろうか。

そう名付けたいほどのある意味楽しさ溢れる映画だった。悲劇の宿命の物語でありながら、楽観的な生への謳歌が感じられる。特にセックスシーンで。前作「キャタピラー」の時もそう思った。

若松映画の性交は、男性にとってみれば、究極の退廃と刹那の表現だろう。だが女性の描写が、あっけらかんとしている。明るく楽しそうかつ健やかだ。男の精気を存分に吸い取り、そして、孕む。悲劇の男達とは対象的に逞しい生命力溢れる存在として描かれている。これは寺島しのぶさんの演技のせいかもしれませんが。

女は皆死なないし。男に浮気されて一時泣くけどすぐ元気になるし。だから、コメディを観てるかのような愉快な気持ちにもなるのでした。

心残りは、新さんは、あのシーンしかないんか!と思った。また一番好きなタツオのエピソードが割愛されていたのが残念無念。

千年の愉楽