更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

映画「その夜の侍」

「あだ討ち」とは主君を、家族を殺された、うらみつらみを自ら晴らす、私刑、復讐する権利というか、日本独自の風習(?)である。敵(かたき)打ちともいう。忠臣蔵の赤穂浪士をはじめ、行うものは、あっぱれと賞賛された。

この映画は、現代版「あだ討ち」である。

あだ討ちには、復讐するほうもされるほうも、激しい心の葛藤がある。だからこそ、歌舞伎や時代劇の題材になってきた。

軽トラにひき逃げされた妻 残された被害者の夫の役は堺雅人

軽トラに乗っていた ひき逃げ犯 男は山田孝之

▽例によってネタばれあり。

その夜の侍

思い出すのは、心理学などの本でよく出てくる例で、ハインツのジレンマという話である。

端的に言うと、妻が病気になった。薬屋は薬を持っているが、売ってくれない。高額な値段がつけられて、買えない夫。思いつめて、彼は薬屋に押し入った。彼の行動は許されるか?どう思う?

正解はない。しかし、この物語をどう見るかを倫理観の発達の基準とする、というものである。

こうした大変な問題にあたった場合、いかなる選択をし、そして、判断するか。私はこの話を聞いて疑問に思った。そこに「思考停止」はない、許されないのだな、と。

例として、夫は泥棒に入ったからダメだとか、いや、薬屋が悪いんだからいいんだ、とか、WINWINの関係を模索するなどの回答があった。しかし、そこに、夫が精神的に追い詰められ、その選択から逃げる、やむを得ず行動を停止する、という事例はなかった。心理テストのようなものだから、そういうノラリクラリな答えは想起してないのね。実際、人の心はそう単純に出来てないんじゃないの?人間はよほどでない限り(よほどの事があっても)そうそう犯罪を犯したり出来ないよ。この設問には、その大前提が抜けている。

ハインツはよく盗みに入れたよな、と思う。これが、薬屋を殺さなければ妻が助からない、としたらどうだろう。

この映画の物語はまさにそれである。映画を観る者は、それぞれの判断基準で、夫の行動、犯人の心を考えるだろう。

殺された妻の魂を救うには

おまえを殺して、俺は死ぬ

しかない。つまり、主人公のあだ討ちがテーマである。江戸時代はよかった。これが原理化されていたのだから。ちゃんとOKとされていた。悩むことはない。やれば喝采だ。現在それを行うには、幾多のハードルがある。当然のことながら今は仇討ちは犯罪行為である。結局、果し合い、決闘、つまるところ殺人なんだから。ヤワな現代人は、喧嘩すら慣れてない。でも大事な人がやられたら、半狂乱になる。復讐したい。

なにより高いハードルは良心、心の痛みである。人の命を奪うこと奪われることの辛さ、その非日常さ。

ひき逃げより5年後、山田孝之の役は交通事故犯罪者として実刑を既に終えている。堺雅人は被害者の夫役。復讐をくわだてる。

堺雅人演じる夫は、町工場の社長である。プリンが大好きな、ヒョロヒョロとした優しい人。それがひき逃げにより突如妻を失った。何度も妻の残した留守電の声を聞いては、妻の下着を抱きしめる。いきなり、温かい「日常」を奪われた。殺された。彼は汚部屋で、毎日毎日考える。ひき逃げ犯を殺すことだけを。しかし、実行に移すことがなかなか出来ない。この苦しさはどうすれば逃れられるのか。実際、復讐なんて、できっこない。でもしたい。

山田孝之演じる轢き逃げ犯。「ウシジマくん」では、人殺しも厭わない闇金業者役であった。この映画でも残虐なチンピラである。しかし、この映画では、彼は5年前にひき逃げをしてしまった過去に苦しんでいる。「自分は人を殺した(ひき逃げ)のだから」と豪語しながら実際に殺人を故意に犯すことが決してできない。復讐の手紙に追い詰められ怯えている。

二人を取り巻く周りの人が素晴らしく良い。

ひき逃げ犯と被害者の夫。彼らの5年間は苦渋であった。あきらかに、異常な精神状態になっているこの二人。しかし、友人たち、同僚、回りの人も心痛めて生きてきたのだ。その気持ちを抑えつつ温かい日常を取り戻させよう幸せになってもらいたいと思ってそれぞれが静かに動いている、見守っている。そのさり気なさ、あり方がすごい。復讐しようとする堺雅人をあからさまに止めたりしない。

被害者の兄である新井浩文が素晴らしい存在感である。

平凡というのは、全力で築き上げるものなんですよ

という台詞が重い。

どこかで聞いたが、人間というのは、本来、暗きに、鬱に流れる生き物なんだそうだ。あえて、その流れに逆らい全力で築き上げないと、あっという間に落ちる。平々凡々人は穏やかに微笑む「大勢の中の一人」として生きるために、どれだけ陰で泣き日々の積み重ねをしているか。村上春樹のサリン事件の小説で、被害者達が事件のあと、渾身の力で職務や日常、一市民としての平凡の美徳へ帰ろうとする姿勢(実際は後遺症などで元の生活にはなかなか戻れない)。一方加害者側ともいえる元信者達は、責任を回避し自分を特別視することを辞めることが出来ない。平凡な生活に彼らは魅力を感じない。被害者側も加害者側もそれぞれの事情で、痛みを抱えることになる。

結局、被害者の夫を救うのは「平凡」の力、人の温かさ、であった。

たわいもない話をしたいんです そう…昨日みたテレビのこととか

重厚な物語の中に、頻出する「平凡」の仕掛けがクスっと笑えて良い。”魚民”とか”ラーメン”とか、”セブンイレブン”とか。

堺雅人は役作りのために、身体を緩めたのだろうか?すさんだ心を体現している皮膚感がすごい。来月「大奥」を観に行くのですが、今度は世紀の美男になるんだよね。役者ってすごいなあ。

その夜の侍