更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

WEB漫画|町内会と私021|団塊美魔女 純子さまの悲しみ その2

ルーズヴェルトゲームに見るあいかわらずの女たち

半沢直樹の後任のドラマの「ルーズヴェルト・ゲーム」を毎週見ているのですが

毎回毎回(三菱?)青島工業という会社がつぶれかける。そして、野球の試合にたとえた根性論、人々の勇気や信念などで、起死回生の戦いがくりひろげられる。

半沢の二匹目のドジョウを狙っているせいか、いや、さらに増長されているのか

分かりやすい顔と表情(顔芸がすごい。途中でドラマに参入しても、誰が、敵か味方かはっきりわかる)

「日本のモノづくり」へかける技術者(プロジェクトXっぽい)、

諦めなければ夢はかなうんだ!といった香ばしいストーリー展開なのです。

が、勧善懲悪時代劇のような感動があり、毎週見ています。

先週の放映で、夜を徹して、研究開発をする技術者たちに、かわいい若い女子社員が、おにぎりを差し入れるシーンがある。

あたしたちにはこれくらいしか出来ないから…

と。クネクネ笑顔を作り…。

う~ん、男たちの戦い、がテーマなんですからしょうがないっていったらしょうがないですが

いかにもすぎて、もうちょっと何とかならんのか。技術開発の部門には、今や女性もいるだろうに、一人も研究室には女は登場しない。やたら気働きの効く(高級スイーツを取り寄せたり、お茶を出すときに、出しゃばりすぎず経営に口をはさむ)壇れい扮する美貌の女性秘書とか…

半沢のときは、これまたいかにも、企業戦士を支える、現代の良妻賢母の上戸彩が登場して、男性視聴者のハートをわしづかみ

今度は、企業内にいる妻、奥様役割をこれまたプロトタイプ表現してみせる。

男だらけの「ルーズヴェルト・ゲーム」に潜んでいた驚異の女子力。“3つの紅一点”に注目せよ

う~ん。「女子力」ときたか。女子って都合のいい言葉だよね。「女らしさ、陰の気働き」という保守的な意味を「女子」という軽めの流行語で言いきっちゃうんだ。女性を褒めてくれてどうもありがとう!ありがとう!

団塊の青春時代に見るオニギリ差し入れ女性

深澤真紀さんの「日本の女は、100年たっても面白い。」(KKベストセラーズ)に

日本でウーマンリブが広がった大きなきっかけは1960年代の全共闘運動だった。男子学生はデモに行くのに、女子学生は「おにぎり」を作らされることに反発したことからリブに接近した人も多いという。ちなみに1980年代に早大生だった私は、早慶戦観戦に当たって「男子は球場の席取り、女子はお弁当作り」といわれ、「けっ全共闘かよ」とすっかりイヤになって、行かなくなってしまったものだ。

とある。ウーマンリブ!若い人でこの言葉を知っている人がいるのだろうか?

深澤さんの学生時代は、1980年代だろうから、60年代の全共闘から、20年以上にわたり、知識人たちのいる大学の!若者である学生たちの男女観がまったく変わっていないということだ。

おにぎり!手作りおにぎりがそんなに偉いのかよ!素手で握ったら雑菌入るぞ!コンビニで買ってこい!

なんて…。確かに女性とオバチャンが作る手作りおにぎりは美味しい。お茶くみもなくなった今の企業では、

この手作りオニギリがおじ様達、お父様たちの夢のような奇跡のアイテム

であろうことは確かです。ルーズヴェルトゲームの制作はいかにも、おじさんなのである。これからもオジサマドラマを生ぬるく楽しんで観ようと思った次第です。

専業主婦をせざるを得なかった人々

現在の20代の女性と、60代の女性だけが、専業主婦指向が強いとの調査が出ている。

専業主婦とは、戦後、団塊の世代以降にはじめて登場した人々である。「昔ながらの女性は家にいて…」とのたまう保守おじさんおばさんの言うことは間違いである。新種族なのだ、専業主婦は。

団塊世代は“男女分業意識”が非常に強い世代でもある。専業主婦比率を見ると、日本は団 塊世代が家庭をもった 1970 ~ 1980 年頃が一番高かった(図表 8)。これは、それ以前と違って 男性が高い所得を稼げるようになったので、女性が働かなくてもよくなったためである。また、 『M 字カーブ1 』をみても、日本で 25 ~ 34 歳の凹みが深かったのは 1970 年~ 1980 年であった。 こうしたことからも、団塊世代が専業主婦文化を広めたといえよう。

団塊世代と日本経済−活力ある高齢社会への展望 団塊世代の女性 - ハイライフ研究所

江戸時代、明治大正時代は、農家や自営業など、職住が一体となり、女性が家事役割と共に、家業の仕事を担っていた。

戦後の高度成長期以降なのだ。ハウスワイフ専門職(職?といっていいのか?)を行う専業主婦という人種が誕生したのは。

加えて、団塊女性こそはじめて、恋愛による結婚を専らにしたのである。

つまり、好きあって結婚する、という今では当たり前の図式が60年代まで存在しなかった。それ以前は、親の決めた相手だとか、この仕事を代々しているからあそこに嫁ぐとか、女性も男性も職業や階級階層、ライフスタイルは変えようがなかった。

自分が「選択する自由」による責任が生じてくる

しかし、恋愛結婚は、自分で相手選んで、その相手により、人生が決まるのである。本来ならその土地で農業者と結婚するはずだった田舎娘、団塊の女子大生が、そのまま銀行員と恋愛結婚するという未来が可能になったのだ。しかし、その男がDVだとか、銀行が破たんするとか、婚家があわないとかのリスクもある。しかし、自分で選んだことだから文句はいえない。不幸になるかならないかは博打である。団塊以降の女性に、そのばくち、クジをひくという自由と責任が与えられたのだ。

自由だ平等だって学生時代に騒いでいたけど、これが自由なの? あたし結局、家に閉じこもって子育てと家事ばかりしてるけど…? 自分で選んだ結婚だから好きな相手だから、これで、いいのよね?いいのよね?と。

この時代から「自己責任の幸福の形」がはじまっている。

女子戦国時代が団塊世代からはじまったのだ。今まで、受け身で誰かの言うことを聞いていればよかったのに!女性が、選挙権を持ち、学校に行き、自分で結婚相手を選んで…そこまではいい。そんな楽しい自由はない。しかし、自由には責任が伴う。責任を負う…受け身だった歴史の長い人々が、そんなサバイバルいきなり出来るわけないやん。

かくして、自我と権利意識が増大し知性を持ち、しかし実質の結婚生活は、男次第の従属的な位置づけに入らざるを得ないという、なんとも捻じれた世代が誕生する。それでも豊かな時代なんだから、良かったじゃん、お母さんたち、と言いたい。家庭しか知らない、男は主人しか知らない、というのは幸福なこと。話を聞かない亭主がいる?「食う寝る風呂」だけ言う男?そんなのいいじゃん、韓流ジャニーズ追っかけスイーツ食べて宝塚行けば。孫もいるからさびしくない。苦労して子育てしてよかった!そして…今や年金もしっかりもらえるんだからね。

今の若い女性の専業主婦指向は切迫感がある

現代の20代女性は違う。彼女たちの専業主婦指向割合は強く、60代女性と大差ないのだが、そのベクトルは全然違っている。能動的でかつ切迫感のあるものだ。肉食系とか言われているが、あの団塊世代から50年、女子の戦闘能力は上昇かつ無頼化した。生き抜くために泥まみれになりながら逆転勝利の専業主婦を目指すのだ。

団塊女性の受身的な優しさや女性らしさがまるで天使のようだ。現代の若い女性の現実は厳しく、サバイバル能力が研ぎ澄まされていく。

男子に対しても非人間的な状況の就活市場。

就職しても社会がコレだ。男も食っていけない時代だ。正社員になるも地獄。派遣も地獄。

ならば、有利なうちに婚活市場に参入しよう、と。若さと美貌に人生を決める最大のチャンスがそこにある。その勝率は就活より低いものの(彼女らの望む年収800万円以上の男性は約3.5%に過ぎない)それに賭けて必死になって何故悪いのか!?と。一発逆転だ。

そういうの、もうしゃあないやん。

平成26年にして、放映されるドラマにして、この女性観。戦後からほとんど変わらない、女性の役割…かわいさ、若さ、かいがいしさ、気働き、サポート的な役割…。社会で女性がちやほやされるの僅かな期間。一生懸命勉強して就職しても、若さが失われたら、辞めなくてはいけない。こんな職場では子供を産みながら専門職などとうていできようがない。青島工業で働きながら子供を産んだら、家族的経営の温かい人情と温情!で、工場等でパートで働かせていただくことは可能だろうが。

これじゃ、今の女子学生が、就職するのはバカらしいと思うだろう。専業主婦思考に至るのは当然のことだ。

やってられねえよ!

もうね、若いときに美貌を磨いて、稼ぐ旦那の妻となり、子供を産んで、安心して暮らしたい、となるに決まってるよ。

今も昔も、仕事のプロの女性は必要ないのか。だからこそ、稀代の詐欺師(?)として小保方女子がさんざん叩かれ、かつ擁護されたのだ。彼女のSTAP細胞がもしあって、ノーベル賞を取ったなら、ニッポンの仕事観女性観を一気にくつがえしてしまうからである。まさに魔女を狩るように、人々が群がるのだ。

老齢の、眉間に皺がきざまれた、女性技術者がいて、しぶとく粘り強く、研究する。そういうキャラがドラマに登場する時代はこないのか。

せいぜい、ドクターXで、米倉涼子がフリーで暴れるという展開。それしか、いまや仕事女子の胸をすくシーンがないのだろうか。

老齢の女性の技術者というのが、実のところ、想像がつかない。更年期以降の女性は精神的に不安定すぎて、私の記憶にある、老齢の”専門家”である大学教授の女性は、いつもヒステリーの塊だった。モンスターそのもの。ひどいパワハラで学生たちは次々と精神が壊れていった。そのとき、つくづく、おばあさんが専門職につくのって大変なんだな、と思ったのだった。

老いたスペシャリストの女性の理想形というのはいるのだろうか?医療系にいはるような気がする。女医さんとか、看護師さんとか。村木厚子さんなんて、素敵だよね。でも公務員だからかな、余裕がありそうなのは。これからそういう素敵な年配の働く女性が増えるかもしれない、しないかもしれない。

今の若い娘さんが働くことを断念して、専業主婦になりたいという思考に至ったのは、そういったロールモデルが少ない、ということがある。子育て出産に犠牲を払い企業にいじめられ老いては更年期の辛さも押して働き続けた先輩女性たち見ていたら、やってられない!となるのは必然である。

一夫多妻制にしちゃえ

今の娘さん方が専業主婦になりたいと望むなら、一夫多妻制にしたらええやんとも思うのだ。

少子化をくいとめるには、経済に余裕のある金持ち男が若い女性を何人もかこって子供をバンバン産ませて、この時代を乗り切る。経済が不安定なときは一夫多妻制を許可。子供が増えて、また豊かに社会が安定してきたら、一夫一妻制に戻る、というのはどうだ。

フェミや西欧諸国は時代の逆行だ!と怒るだろうけど。でも、日本はアジアだし、インドやイスラムアフリカは一夫多妻あるし、意外に浸透するんじゃないかな、と思うの。平安時代だって一夫多妻だよ。その中で清少納言や紫式部の文学は登場したのだ。一夫多妻にしたから日本文化が衰退するということはあるまい。うん、いい考えだ。

わずかなセレブ男性を取り合っているうちに、今の若い20代の肉体があっという間に30代になっちゃうんだよ。もったいないじゃない。

貧乏な男と結婚して多産で自分も働いて子育てスロとおじさま達は言うでしょうが、そんなの無理無理。近所の猫ですら、身体が大きくて精が強力で餌取りの上手いオスに群がるんだよ。女性があの男性がいいって願う嗜好は変えられないよ。そのあからさまさがどんなに下品でも。男性が若くて子供を産みそうな可愛い女性を好むのと同じようにね。

一夫多妻を選んだ人は、包容力のある男性のもと、安心してばんばん子供を産む。そして産まない選択をした女性は、しっかり勉強して技術者研究者医療者となるのだ!

女性は同じ女性が「違う」ことを許せない

それなら、女性の中での(産む人)(産まない人)の役割分担がなされ、産まないで仕事している人に「産め産め」と言い立てて仕事の邪魔できなくなるし、産んで専業主婦してる人に「仕事スロ!」「社会のニート」と追い詰める現状は打破できるのではないか。…なんて無理か。

互いを攻撃するのは専ら女性たちだ。違う立場の女性を批判することで自分を守っているのが現実である。

女性の最大の悲劇に「女性は一律であらねばならない」という呪いがある。

あの人のようになれない自分にコンプレックスを持ったことのない女性はいるのだろうか。あるいは、知人のあの人が他の女性と同調しないことに、いらだちを覚えたことのない女性は?それが女の心に浸みついた「呪い」なのである。

男性も女性が一律であることを願っている。ドラマに見るようなプロトタイプの良妻賢母を。

人はそれぞれ違い、違う世界の住民がいて、その人たちとは一生涯関わりない、関係がないと割り切れないのだ。人はすべての長所(仕事も子供も家庭も)を一手に出来ない。なのに、あの人みたいに子供がほしい、あの人みたいに仕事でみとめられたい、でも出来ない、持ってるのはズルしたせいよ、運がいいだけよ、き~!となってしまう。

同じ女性の中でも区別(差別ではない)があり、一枚岩にはなれない、住む世界が違うとわりきればラクなのに。

あなたと私は違う、だからほっとくし、興味ない

と自分の人生だけを楽しめばいいのになあ。

闘病時の連帯の悲劇

もうひとつの呪、「女性は連帯せねばいけない」というのもある。

連帯できない=悪と考えるから悲劇が起こる。ある種の年配女性…PTAや町内会に熱心な主婦、彼女らはそういった思考回路を持っている。だから他人のライフスタイルや人生に余計な批判や口出しをしてしまうのだ。

違うんだから、そうそう連帯なんかできやしないよ。したいことがあれば、一人でやるから、別にいいよ。

数年前、闘病した時期のこと、嫌なことが多すぎて思い出したくないですが、同病年配女性の「連帯の強要」がまじキツかった。10人に1人くらいの割合でそういう女性がキテレツメールを寄こした。もうねノリがもろママ友PTAか町内会かって。

年代が違っても部位が違ってもライフススタイルが違っても、

同じ病気だから同じ女性だから気持ちわかる!わかるよね!共感するわ!共感してよね!

というのが苦痛だった。わかんないっつうの、自分のことで精いっぱいで自分とは違う世界の住民の他人のことなんて興味ないっつうの。自分と違う他者のことを「わかる」or「わかってほしい」なんて傲慢だよ。私は打ち明け話をして楽しいわけちゃうねん。

ホテルでスイーツ食べて連帯したいのはその人の勝手。私は違うねん。しんどいときは一人で閉じこもって寝ころびながらウマいもん食って映画を観ていたいたちやねん。

女子同士が「もやっ」としないための空気を読んで会話をする高度な技術は私にはない。5人以上の女子会に参加したら気を遣いすぎて、汗だくになり、帰ったとたんドッと疲れて寝込むねん。闘病してなくてもそうやねん!

おせっかいを避けているな、と、だんだん感づいてきたオバちゃんはついに逆上して「ひどいひどい私をかまってくれないなんて」「思いやりのないあなたはいつか痛い目にあうわよ!」「あなたみたいなのが子供を産んだらPTAで村八分、ママ友にぜったいにハブされるから!その時に思い知れ!」(?産む予定はないですが?)と言い、

うるさいので無視してたら「あなたのためを思って言うけど、あの文章が不快だよ」「あなたの治療法が間違ってる!」「病気なのにあんなものを食べて!」と口出してくる。「あなたを思って」というのが必ず枕詞につくのだ。すごい。こういう人たちのことを「おせっかいストーカーおば(あ)ちゃん」と私は内心呼んでいた。他人や他人のコンテンツに吸血鬼みたいに張り付いておせっかいをやいて、自分の寂しさや不安を解消しようとしているのだ。

かまってほしい人にかまってもらえなかった女性のルサンチマンは強い。ましてや薬や治療の不安で、メンタルが不安定になっているんだな。性格が悪くてそうなってるわけじゃなくて、病気のせいだったりするので、そんな可哀そうな人に反撃をするわけにもいかない。それが嫌でブログを引っ越したのだ。ある同病アラフィフ主婦、闘病中の私に、グロ画像を「あなたが楽しめると思って!抗がん剤ってつらいの?わかんな~いギャハハハハ」と送ってきた。今頃、体が元気になって、心も元に戻り、「あのときの私は何だったのかしら?」と我にかえってはるかもしれへん。そうなってることを願う。

すいません。そうでない人たち、自分は自分、自律して楽しみたい。という人たちがほとんどである。そういう方たちの思いやりは嬉しく、時々、メールのやりとりをしてほっこりしている。ありがとう。大事なあなたのことを書いてるんじゃないです。(そういう人ほど、こういう文章を読んで自分のことかも?と思い反省なさってしまうのだった。)変な人は10人に一人くらいなのですが、その破壊力はものすごい。

連帯したら、一人じゃないって思えて、元気になる人もいるだろう。それはわかる。団塊世代のうちの母親なんてそういうタチだから。「ほっとかれること」「一人にしておく」ことが相手の幸せだとは想像もつかない。天変地異が起きても理解できないだろうな。私にとっては「あたしたち一緒だね!」と「連帯の強要」は悲劇なのだ。

「みんなのために頑張れ」「みんなのために連帯しよう」という人、その”みんな”に私は入ってません。だって”ために”と言いながらその利益を甘受した覚えがないんだもの。最低限の公共の義務は果たすべきだと思うけどね。

PTAや町内会に熱心な人は、連帯を楽しめる人だ。それも才能だと思う。嫌味じゃなくて。そういう能力があれば、このニッポン女性社会をスムーズに泳いでいけるだろう。