更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

『女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子の実態』瀧波 ユカリ 犬山 紙子

いまどきの女子の心のゆくえ

去年まで自分より随分若い(20以上下)の人たちと働く機会がありました。大学を出たてくらいの人たちです。そのとき、今の若い人たちは、自分たちよりも、頭が良く、かつ礼儀正しいことに驚きました。

中でも、とても仲間意識が強く、まわりと上手くやる、いわゆる空気を読むことに長けていることです。加えてとてもデリケートなのではないかと。私たちの若いころはバブルで売り手市場だったせいもあり傍若無人なふるまいをしていたのような気がする。彼ら、今の若い人は、服装も地味でお金のことも良く考え(就活で苦労して不景気な時代しか知らないから)まじめで優しく回りに気配りをするのです。

プライドばかり高くスキルの低いのに自信過剰な私たちバブル世代は爪のアカでも煎じて飲むべきだと思いました。

しかし、まじめな反面、考え込んで落ち込みやすい人が多いような気がしました。あの人にこんなことをいわれた、あるいはして、嫌われていないだろうか、傷ついていないだろうか、と。よく考え込んでおられるようです。

女性同士の気の遣い方もはんぱでなく、そういう姿を見ていて、私たち以上の気苦労を抱え込んでいるような雰囲気もありました。

はやっている若い子の歌の歌詞に「ひとりじゃないよ」「いつも一緒」「明日がある」といったフレーズが多いことも気になります。

はやり歌は、その時代にないもの、失われたもの、人々が欲しいけど得られないものを歌います。

これらの歌詞は、今の若者が、「明日」を信じられず「ひとり」であり、友達といても、いつも「孤独」を感じている実態があるのではないかと思いました。

学校内でカーストがあり、仲間と携帯やラインでいつも繋がっていて、絶えず、連絡し”ぼっち”にならないよう、ハブられないように、絶えず気を使っている人間関係。即座に反応しあうことを要求するSNS。これが「孤独」でなくてなんなのでしょう?

けっこうみんな悩んでいるらしい

ひきつづき、女子の対人関係の悩み、女子ならではの生きづらさを癒す本の紹介です。

先週の深澤真紀さんは、突き抜けた知性と脱力感で、トラブルに対して、まっいっか!と思えるものです。

が、今日明日と紹介する2冊は、もう少し具体的に女子関係の実態の現実を見据えて、その対処法を述べています。

いずれも本屋に平積みされ、大きな面積をとっていました。

そう、女性の人間関係のお悩み本はとても売れているのです。

女子の群の中でうまくいかない悩みなんて抱えているのは、私くらいだと思っていた。しかし、こういう本が売れているのは、あのママさん、あのOLさん、あの女子学生さん、みんな連れだってランチをして、トイレにいって、PTAやって、仲良さそう。なのに、根底では、女子対人関係に深悩んでいるということかあ。

なあんだ~そんなもんか

『女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子の実態』瀧波 ユカリ 犬山 紙子

女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子の実態 (単行本)

この本の作者は、漫画家さんです。お二人とも1980年、81年の生まれ。私より10ほどお若い。

内容に、ちょっとびっくりしました。

この「マウンティング」という実態は、正直、こわいです。読みながら心臓がバクバクドキドキします。

普通の、一般女性が今も昔もこんなことばかり考えているなら、出来るかぎり、女子付き合いは更に避けたいものだ、と思ってしまった。この本の作者たちは10年若い女子だからこそ、こういった会話の行き違いを一層意識しているのではないかと。今の30代は空気を読む=「技術」として考えてきた最初の世代だと思う。

この本の、何より、すごいのはこの用語「マウンティング」を命名したということでしょう。

私はもう「女子関係」は無理です

私は中学生あたりから、もう自分には女子関係は無理だ、絵を描いてるんだし、変人のポジションに入って、女性の人間関係グループから別枠な人にならせてもらおう、と思って過ごしてきました。だから、あまり女性の細やかな会話に参加してきていません。自分の友人となる人は、どのマンガがすきか、どのアニメがすごいかばかりを話せる人です。洋服やオシャレ、彼氏の話をするような女友達は避けてきました。ややこしそうな気がしていたからです。

なんだ、オタクか。子供っぽい、と言われることが多いのですが。

おしゃれやダイエットのことばかりに興味がある人は、自分がいかに好かれているか嫌われてないかということに興味のベクトルが向いています。

しかし、アニメや鉄道、漫画が好き、という人は、自分が何を好きか、について話すのです。そういう人の方が大人だと思っています。

前者はある意味自己愛が強く、ファミレスなどで間がもたなくなり話題がなくなれば悪口や愚痴、噂に会話の内容がシフトしてきて、気まずい思いをします。しかし後者の人との会話は、延々と好きな本や映画の話になり、とても気持ちいいのです。

マウンティングとは

マウンティング

つまり、猿の序列をあらわす馬乗り行為のことです。女性たちの牽制やいじわるを「マウンティング」と名付けた。すごい命名です。さすが、「臨死!!江古田ちゃん」の作者です。

名前をつける、ネーミングは、とてもエポックメーキングな行為です。

みうらじゅんが地方のキャラクターに「ゆるキャラ」と名付けたことで、業界が変化したように。幕末の浪人のヤンキーを「志士」と名付けたら国を転覆させてしまったように。

「マウンティング」は歴史に残ることでしょう。

女子の笑顔の会話の底に潜むなんとなくもやもやするような意地悪と悪意の応酬。それを「マウンティング」との呼び名がつく歴史がこの本からはじまるのだ!!

あれもこれもマウンティングだった

昔からあった「それ」に名前がついてしまったせいで、心のもやもやが晴れてきました。

なんとなく頭が痛い、疲れやすいと病院に行って「それは●●病」です。と言われ、薬をもらって帰るとき、ホッとしませんか?病気が治ったわけでもないのに。つまり、名前がつくことで、意識する=対処する、治療する、という行為がはじまっている。

もう解決したも同然です。あれも「マウンティング」だった、これも「マウンティング」だったのです。そう思うと心が割り切れ、気が楽になるのです。

たとえば、私の母親はとても「マウンティング」をする人だとわかった。年をとってモウロクしたらしてこないかというと、やっぱりしてくるww 生理が上がっても女はマウンティングを止めたりしない。そういうもんじゃない。これは女の遺産、世代の呪い、癖ですね。だって母の母親、祖母が母親にマウンティングをしかけているのを何度も見ました。90歳の老婆が60歳の娘に意地悪言うんですよ?母親がマウンティスト(と本では名づけている!)になるのは、自然な流れです。

20代のとき口紅つけて、髪型を今どきのオシャレにして、でかけようとしたら「みっともない似合わない」と笑顔で玄関口で言ったり、ボーイフレンドと電話していたら、聞き耳をたて「不倫をしているのか」とか。(もちろん普通のおつきあいでした)おしゃれにしてると機嫌が悪かったなあ。まあ、他にもいろいろありましたが、今、うまいこと距離をとれてるのはそれが「マウンティング」だとわかったからです。

母の言うとおり、私は嫌な人間なのかとか、愛されてないのか、とか悩んでいましたが、違うんですよ。あの人のあの言動は、女性特有の「マウンティング」だと分かったせいで、ああ、そうか、そういうものなんだ、と分かりすっきりしました。母親は祖母のせいで「マウンティング」以外に娘と接する術、母娘関係を知らないのです。彼女にとっての愛情とコミュニケーションが「マウンティング」しかないのです。分かったからには、そういうのについていちいち悩む必要はない、そういうもんなんだ、と無視して距離を取ればいいのだという現実的解決法ができます。

だから、モヤモヤするようなこと言ってくる女性の言葉に、悩んでいる人。自分が悪いのではないかとその理由を考え込んだり、仕返ししたり更に相手に勝とうとしたり、気持ちいい会話ができないかと模索する必要はない。無視して、話を聞いてなかった打撃を受けてないようにふるまうに限る。一番いいのは、脱兎の如く逃げて、忘れること。傷ついて落ち込む姿を見るのが相手の娯楽なんだから、一切取り合わず、なかったことにする事が一番です。

親にはね、時々正面切って「何故そんな嫌味を言うわけ?」と聞くのは必要だとは思いますけど。だって母親は血縁だから、そうそう縁を切ることなんてできないから、会うたびに、マウンティングされるたびに「それは違うよ」と言った方がいいような気がします。それも、感情的にならずに、冷静に。老いた親を変えるために言うんじゃないんです。年寄りは変わらないから。じゃあ何故言うのか?自分を守るためです。この先母親との関係の時間は長い。サンドバックになるのが親孝行だとか思ってたら口をきくのも嫌になるからね。マウンティングしてたとか意識しなくていいから、こういうこというと娘が嫌がるんだな怖いからやめとこう、くらいの改善は呆ける前に意識してもらってます。少しずつ。

京都の昔からあるイケズはマウンティングそのもの

また、京都人の女性同士がよくやる高度ないじわるはまさに「マウンティング」なんですね。

笑顔で、そのときは意地悪だとわからないことを優しい言葉でオブラートに包んで言う。

しかし、あまりにもその物腰が柔らかく、言葉遣いが高度すぎて、本音がよくわからないww

たぶん他府県人は京都の女性の言質を見て、なんて優しい礼儀正しい人だと思ってしまうだろうなあ。京都の裏表コミュニケーションは独自の進化を遂げてた。悪い意味ではなくて…。言葉を荒げた対応は京都の人間関係では一番の悪とされる。なので、悪意や要求や攻撃をものすごく奇麗な言葉に包んで、かつ謎解きみたいな言い方をするんです。言われた側はあとから考えて反省したり。そうすることであからさまな対立を避けてきた。とても高度なコミュケーション術です。

それだけならいいんですが、女性同士の意地悪合戦もその用法で処理するので、マウンティングの中のマウンティングともいうべき、陰湿かつ暗喩な表現となるのでした。

あれ?これは意地悪なの?

たとえば、昔、着付け教室に行って、着物を持ってくるように言われ、楽天で一万円のを買って持っていったんですよ。京都人のオバチャン先生が何度も何度も言う。ニコニコしながら。

「ええ着物どすなあ、ええ着物どすなあ」

って。私、あ~ほめてくれてる、一万円のなのになあっ私いい買い物したんだなあ、て。それにしてもしつこいくらい何度も褒めてくれたのはどうして???

数年後、入江敦彦さんの本とか読んで、そのときのことを思いだした。

「ああ、そうか!あれがイケズか!」

と大笑いしたことでした。京都の女性なら、そういう言葉の応酬に慣れていて何のことか分かってすぐに「恥じ入る」ことでしょう。ネイティブな京都人でなくてよかったwまあ、京都人のイケズはそういう伝統産業の洛中のオバサンくらいなもので、ほとんどの若い京都人はイケズなんてしはらしませんよ。京都の洛中の老舗の企業、オバサンパートがいっぱいいるような会社で仕事したら、嫌というほど、このニコニコイケズの洗礼を受けることができますが…。

その行動に名前があれば解決したも同然

このマウンティング女子の実態の本は、豊富な事例と対処法が出ていて、必ず何かしら自分に当てはまることがあるはずです。マンガも豊富で、対話形式になっており、笑い転げながら読み終えます。

その実態には、共感する部分もあり、え~いまどきの若い人ってこうなのか、と震えたり。

私もあのとき、マウンティングやっちゃってたな、と反省したり。

私は女子同士のそういうやりとりに弱くキョトンと無抵抗で負けっぱなしのことが殆どですが、一回やっちゃったことあるなあ。

「子供の作り方を教えてあげるわ!おほほほ。」と説教してくる団塊女性に「娘さん、30歳?ご結婚されてないんですか?え~どうしてえ?wそのままじゃダメですよおwあなたのためを思って言ってるんですよおw娘さんがどうして結婚できないのか一緒に考えてあげますよう~○●××!」とまくしたてたことが。やり返して気がせいせいしましたが、同じレベルに落ちてカッコ悪いですね。ネットでもリアルでも「あなたのために」を枕詞に話をしてくる人は100%相手のことなんて考えてませんね。

その病に名前がつくこと、それは解決のはじまりです。

自分の女子対人関係のトラブルがマウンティングに起因するものであった。そう分かればもはや恐るるに足らず。

女性同士の喧嘩の光景は恐怖ですが、それが実は猿のマウンティングだと想像すれば笑えてきますよね。いくら「いじわるされた傷ついた!傷つけられた!」「嫌味言われた!」「なんであんな娘がモテるの!玉の輿なのっ!?デブスがっ!」「ひどい!許せない!」なんて怒り狂っても、どうせ我々は猿だと思えばどうでも良くなります。あ~あのいじわる言った人の心理状態はメス猿みたいなものかあwと。自分もついうっかり、人にいじわるをしかけたら、これは猿並みの行動なんだな、それはみっともないな、と自重する動機になります。

いい例えとネーミングを考えだしてくれたものです。

女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子の実態 (単行本)