更年期から墓場まで

子梨・更年期BBAの私見偏見吐露雑談ブログです。

相手にしない技術

相手にしない技術とは

別名、「スルー力」「やり過ごす技術」ともいう。

しかしスルー、というと、方法論というよりは、ひどく抽象的な言い方だと思う。

たとえば、姑から嫁がひどい目にあったとき、 夫から「あはは、おふくろは悪気はないんだ、スルーすればいいんだよ!」という

いかにもエネミーな用法に使われるので あえて 相手にしない技術、と書くことにしました。

ネットでは相手にしない技術が不可欠

というのは、私は、長年ポータルサイトなど運営してきて、この「相手にしない技術」がいかに大事かということを痛感した。

ネットというのは不特定多数の人に見られているので、時々変な炎上めいたコメントやメールがきます。 割合にして、10人に一人でしょうか。

匿名メールに関してはほぼ90%が変な人です。

「あれくれ」「これ調べろ」「画像使わせろ」(なぜか命令形)「あなたのためを思っていいます、●●教えてあげる!」などなど。

ふつうに考えればわかることですが、通常、知らない人に匿名でメールを出して、お願いごとや説教なんてしませんよね?それを平気でしてくるのだから、匿名で突然メールしてくる人はろくな人ではないのです。

昔は、すべての人に誠実であらねばとせっせと返事を書いたりしていましたが、そういう人は、時間がありあまっていてルサンチマンがたまっていて反撃にしろ屈服にしろ、相手にしてもらえることが何よりも好きなのです。だから返事をすれば、相手は大喜びで、こちらが更にひどい目にあう。粘着されたり逆恨みされたり。

誠実に相手をしたらするほど奴らの思う壺なのだと思い、放置することにしました。

コメント欄は、ツイッターにしました。ツイッターでも炎上はします。が、一応、自分のアカウントを背負っているので、好意にしろ批判にしろ自分の言動だと、責任を持ってくれるからです。(ツイッターするくらいならネット慣れして若い人が多くトラブルが少ない。たいていヤヤこしいこと言ってきはる人は、PCにうとく、メールアドレスもゾーネットとかバイオログとか利用してるいわゆる「情報弱者」の方が多いことがわかってきたからです。彼らは、ネットでホームページやブログを運営している人は、カスタマーサービスであると信じ込んでいるのです)

コメント欄のあったときのような活発な交流はないものの、建設的なコミュニケーションが増えました。

私は、目に見えない相手にひどく気を遣うので、コメント返事は、以前、ひとつにつき、何十分もかけていて、とても時間がかかりすぎていたのでこれは助かる方法でした。

スパムメールは気にしないでいられるのに

しかし、放置するとはいえ、言いがかりやマウンティングメールが来てしまったら気分が良くないのは確かです。

あるとき、面白い本を読みました。

スパムメール大賞 (文春文庫) [Kindle版]

面白く、笑い転げながら読んだのです。 これは、エロメール、世間でいうスパムメールのフィールドワークなのです。

誰しも下品で、不愉快なエロメールは一度は受け取ったことがあるはず。

しかし、その対策は、サクっとスパムフィルターをかけたり、迷惑メール認定することで事が済みますよね。

昔はどっかのご隠居さんが、こんな迷惑なメールをよこしやがって!と怒り狂ってスパム元に電話やメールをしたりして、さらにスパムが来たといいますがww

今や、スパムが来たからといってそれが原因で怒ったりする人はいませんよね。迷惑メールフォルダに入れて、ぽいっですやん。

なぜ、エロスパムメールならポイッとできてダメージが少なく、そうでない見知らぬ一般人からのメールには精神的に打撃を受けるのか?私は、考えてみたのです。

エロだろうが一般人だろうが、スパムはスパムだ!

それは、エロスパムの人は、非常識な組織的な犯罪めいた人で、そうでない人は、誠実で平和な市民だと思いこんでるからです。

しかし、匿名で見知らぬ人に頼み事をしたり罵詈雑言をしたりする人が本当に誠実な人でしょうか?

彼らは個人であるだけで、こちらにとって迷惑具合は大規模エロスパムと変わりありません。むしろ、詳細に攻撃してくるだけに迷惑さかげんはエロスパム以上です。

自分がよく読むブログやサイト主に敬意を表さず(敬意があるなら自分がどこそこの誰それですと名乗るはずです)「くれくれ」「教えろ」「教えてやる」「画像よこせ」「マウンティング」メールを出す人は、エロスパムメール以上に、犯罪的なメンタリティの人々ではないでしょうか?

よし、エロスパムと一緒にそういう人達のメールも題名だけよんで、ポイしちゃえばいいんだ!と割り切りました。 私のところにきた、親切を装ったあるいは装っていないメールどちらであろうが、頭が少しでも変そうなメールは瞬間に迷惑メールのマークをつけてポイすることにしました。

相手にしない奇跡が!

すると、なんということでしょう!!

数秒で嫌な気分が消えうせたたのでした!

よほど大事な用ならまた言ってくるだろうし、自分の出したメールが無礼だったかもと思い直し、あるいは基本的なメールマナーも知らず(年配者に多い)本当は悪気なんてなかったのだと謝ってきたら、その時のことです。

え?なんですかそれ?私受け取っていません、失礼しました。たぶん迷惑メールフォルダに振り分けられてしまったのでしょうか?読んでおりませんでした。

と言い訳すればすむことです。 それでいいのです。

悪意のメールは、 視なかった読まなかったことにするのが一番です。

相手が本当に悪意があったのかどうかを考えこむ必要はありません。自分が悪意かどうか感じたかが大事なのです。

そこに相手にしない技術の神髄が隠れていると思います。

だってそれが本当に悪意かどうか神様だって知りやしませんよ。世の中の女性の大半(もちろんワタシも含みます)が「悪意なく」他人に悪さをしがちなんですから。生理や更年期で、他人に悪意なく不快な物言いをしてしまった経験は多かれ少なかれあるはずです。

だけどそれを受け取った側には「たまたま」だとしてもタマッたもんじゃない。

「悪気にとるなんてひどいわ!そんなつもりなんてなかったのよ!悪意にとるアナタがおかしいのだから私の言葉を受け入れるべき!」と云いますが、悪気があろうとなかろうと、相手に悪意を感じさせない程度には最低限のマナーが身についてない人に返事をする必要は一切ないのです。

心の中にゴミ箱を持つ

この、少しでも不快な香りのする匿名メールは迷惑メールフィルタをかけ、ゴミ箱に抛りこむ、(瞬時に!それが大事)

ということを遣り出してから、どんどんストレスがなくなってきました。

これはすごい、このハックはすごいぞ、とばかりに、次々実行しているうちに、自分の心の中にゴミ箱があるのに気が付きました。

メールだけでなく、実際の対面関係で嫌な目にあっても、頭の中で、迷惑メールと書かれたゴミ箱に、その出来事をぽいぽいできている自分がいることに!

客商売をしていると、嫌なクレーマーに引きずられ次の営業へ影響が出ます。

自分の過失や未熟でクレームがきたなら、けっして忘れず反省したらいいですが

そうでない、あきらかに悪質な客とのやりとりは、そうしてゴミ箱にぽいして忘れることにしたのです。 そうしたら、お客様もたまたま虫のいどころが悪くてこちらをゴミ箱にしてしまっただけなのかもしれないな~なんて、思うことが出来るようになりました。

人生はカードゲーム

私は、人生はカードゲームだと思っています。

タリホー サークルバック トランプ 青

その日にとれるカードの枚数は限られていて、すべて裏返しされて、台の上にあります。もちろん、一日が終わればシャッフルされ、また台の上に並べられる。

これはすべての人類に共通していて、皆、生きている限りこのカードゲームから逃れることはできません。

一日に数枚しか取れないのだから、その日、自分にとっていいカードがあたる日も、悪いカードのあたる日もあるのです。両方まじっているのが一番多いですが。全部がいいカードの日もあるし、悪いカードが全部の日もある。

しかし、悪いカードだからと、悲観していては生活することができません。

手持ちのカードでその日の闘い(ゲーム)をやり抜くしかないのです。

せいぜい、長年使っているカードだから、裏返ったカードの上からなんとなくいいか悪いかを見抜くことが出来る技術がつくかつかないかで長い人生が終わるんじゃないかな、と思います。

カードの結果を毎日嘆いていた我が母親

私は、子供の頃から母親の愚痴を長時間聞かされて育ちました。

母親は、そのカードゲームの悲劇を嘆き悲しむ人でした。

いいカードだって持っているのに、自分が今日、運悪く取ってしまったカードについて、延々愚痴を娘に何時間も毎日毎日きかせるのです。

今日はあの人にいじわるされた、この人が私の悪口を言った、あれが嫌い、これが嫌い、ひどい、ひどい!と。

最初は、お母さんってかわいそう。お母さんの回りの人(父親を含め)はなんてひどい人なの!私が助けてあげなくっちゃ、話を聞いてあげなくちゃなんて思ってましたが、

自分が成長して学校や就職で外の世界に出て、その印象が変わってきました。

女性というのは聞いて欲しい欲求が強い性ではあるけど、世間的にそんなに母親という人種がグチグチいつもしてる人ばかりでないし、明るくて夫婦仲のいい人もいっぱいいるんだわ、と分かってきたんですね。

自分の母親を見る目が変わってきました。

この人、自分のカードが全部いつもいつも100%、良い手でないと気にくわないだけの我儘なオバハンなのでは…wwと。

いや、むしろ母親は悪いカードが大好きなんじゃないか?私もまた悪いカードが好きな人なのではないかと。

私もまた負けカードゲームプレーヤーだった

なぜなら、私も母親の愚痴を聞くことにNOと言わなかったから。本当に聞くのが嫌なら、即座に席を立ち、自分の仕事や勉強をしたりすべきだったのです。

愚痴をこぼす人にありがちですが「じゃあこうしたら」とアドバイスしても聞かないし、烈火の如く怒りだし、また同じ愚痴を言う。

毎日、母親の愚痴を聞くことに多大な時間を取っている自分こそが変で悪いカードを自ら選んで取りにいってるのではないかと。

悪いカード…不運や不幸を喜ぶ人がいるのかって?結構な割合でいると思います。

汝の欲するが如く汝なる

人は愛しているものとそっくりな姿になります。明るく美しいものを愛していたら、そういう目に変わってきます。

生きてるんだから暗くなることもあるし、落ち込んで病んだ数年を過ごすこともあるでしょう。悪いカードを立て続けに毎日取ることももちろんあるでしょうとも。

しかし暗いカードに囚われていたら、そのカードそっくりな相になってしまい、そういうカードがここぞとばかり近づいてくるのです。

悪いカードを好きな母親に付き合い続ける私もまた、悪いカードが好き体質になっていたのでした。

成人して中年になり、愚痴聞き体質が身に沁みついている自分がいました。

そういう体質を持つ人を抜群の嗅覚でかぎつけて、愚痴をこぼしたい女性たちが友達だと称して近づいてくるようになりました。多くの人が邪険にする悲しみをあの人なら聞いてもらえると。私は、自分が優しいといわれることに酔っていて、断れず線引きできず延々誰かの悲しみの受け皿、ゴミ箱になり続けることが「仲良くしてもらえる」唯一の条件だと信じ込んで青春時代を過ごしていました。

そういう自分の欺瞞に気が付いてから、どんなに上手く断れなくても、不器用でもいいからNOを突き付ける、ということをはじめてみました。

それが身に付くまで10年近くかかりましたかね。悪口や愚痴をたれながしマウンティングを交えながら、数時間も電話をしてくる女性たちに対して、線引きをすることにしました。20分ならいいけど1時間もごめんだわ、と。

そうすると「ありがとう、私も愚痴言い過ぎたわ、あなたの時間を取ってごめんなさい、聞いてくれてありがとう」なんて言わないわけですよwそういう人種は。

あの人のせいでこの人のせいで私は悲劇の主人公と今のいままでヨヨと泣き崩れた人が元気よく立ちあがり 「ひどいわ!あなたこそ私の敵だった!」と他人にあることないこと、今度は、私の悪口を触れ回る。びっくりしましたが、お元気そうでなによりだwそういうのがボーダーの特徴の一つだと、心理学系の本を読んで納得しました。

母と私の十年戦争

母親もそういう人でした。

こちらにはこちらの事情がある、ということが理解できないのです。私をゴミ箱にしたとは微塵も思わないわけです。しょうがないから数年縁切りさせてもらいました。

その数年の間、私が、冗談を交えながら罪悪感なしにそういう人々の粘着を毅然とあるいは上手い嘘をついて(あ、来客だとか)断ることが出来るスキルを身に着け、愚痴こぼされ体質を改善している間

母親も、年をとって穏やかになり、この娘に長電話長愚痴は厳禁だな、と気が付いたようです。

何より、老いて弱る、というのはかわいいものです。かつて鬼のような不満だらけの母親が皺だらけの優しい表情なのがいとおしく、あんなに愚痴ってたのは4人も子供育てて、仕事もしてりゃ、不満ばかり溜まるよなあ、と思っています。

しかし、今、それが許せるかというと、微妙ですよ。思い出すと胸糞悪くなりますな。

彼女の不幸な体質をなだめるのは、幼なかった娘ではく、私の父親、亭主の仕事だろうと思い、時々、天国の父親に毒づきたくなります。

とわいえ、夫に悲しみを受け止めてもらうのも限度があります。延々と愚痴をこぼされたパートナーも人間です。あまりに人の悲劇的な話を聞いてられるほど強い人はおらず、聞かされた方がいつしか病んでしまうでしょう。長時間愚痴をこぼさずにいられないほどの不幸や悲しみをどうするか。

カウンセリングにかかるのも、いい方法だと思う。だって相手は愚痴聞きのプロだもん。お金を払うなら、立派なWinWinの関係ですよ。金も払わず身近な人間を自分の不満のゴミ箱にしようとするからいかんだけで。

自治会は、悪いカードを好きな人が跳梁跋扈している

自治会の嫌なのは、そういう悪いカードを「相手にしない」という行為が出来ない老人たちが多すぎることです。

彼らは自分の不満を全て細やかに宝石のように撫で上げ磨き上げ大事にしている。悪いカードを取ってしまった不満を毎日数え上げることに時間を費やしている。

私は、理不尽で不愉快な頼み事の留守電が入っていたら、速攻、消去して「聞かなかった」ことにした。さらに何か言われたら、え~なんですか?知らないです。聞いてないです。電話が壊れていたのかもしれませんね。と云い、厚かましいFAXが入ったら、白いファックスが来たことにして(実際役員のじいさんは、裏表間違えてFAXしてきたこと数回)自分の仕事だけをやったらあとはサボっていたんですね。

しかし、お暇のありあまった怒りやすい老年役員さん達は、そういうことをあまりせずに、イチイチかりかり怒って喧嘩や悪口の応戦ばかりしてました。「あいつにあれをされた、あいつが嫌いだ、あいつが命令した、あいつがサボっている、あいつが俺を軽んじた」など。

嫌な目にあったりしたら「相手にしない」という技術がないのです。その点、現役世代、今の若い人は違うと思いました。同じ役員でも若い人は、そういう相手にしない技術がある人が何人かいました。

暇かつ悪いカードの好きな人々の群れにいると、影響されて、人格が歪みます。彼らと付き合っていたこの一年、最近は、ついに、彼らに似た、不満と愚痴の多い顔の相になった日が多くなってきました。だから、このタイミングで引っ越しできてほんま、助かりました。皺がそういう風にしみついたら取れへんからな。

悪いカードは取ってしまったら、手放して、忘れてしまうに限ります。縛りのきつい自治会町内会は、避けるに限ります。相手にしない、ほんまに大事です。

すごい人に会って触発されるのが落ち込みや不幸体質から脱却する王道

落ち込んだとき、人に延々と愚痴をこぼしたくなったときは誰しもあり、避けられないカードだと思います。

しかし、最高の特効薬があると思います。

辛いときこそ、なりたい自分の理想形、すごい人に会う、話をする、そういう人の書いた本を読む、ことです。

私は絵や漫画を描くので、尊敬するアーティストの書いたエッセイや、トークを読む。落ち込んでいるときほど、そういう本を探して買い込んで読む。そういう元気が良くて成功している人達に会えるなら会いにいきます。勉強会や講演会も各地でやってたりするし。

すると、彼らは、落ち込んでいる暇もないほどに、時間を練習や創造に費やしているということが分かります。

読んでいると、私と比べてすごすぎる、私はとてもこんな風には…と落ち込みそうになるのですが そこをグッとこらえて読み進めていくと、天才的といわれるアーティストたちも、必ず不幸のカードを受け取ったことがあり、そういう挫折を経験していて、それをどんな風に解決克服したかが書いてあります。(愚痴を人に延々とこぼしまくって乗り越えたとは一行も書いていないです)

こんな素晴らしい作品、建築、絵画、小説、漫画を創作している人がいる 、こういう人の完成度や努力、メンタルに一歩でも近づきたい。

もし友達になれるなら、そういう人達の前でも恥じない自分に変わりたい!と思い、本を閉じます。

映画もいいですね。監督や俳優、脚本に撮影や広告宣伝、背景。こんなすごい映画を撮り終わるまで、どんな苦労と努力があったのかと思うと、自分の悩みなど小さなものだと思えるのです。

慈愛に満ちた温かい人、子育てや家事を頑張っている優しい人明るい人、素晴らしい作品を作る人、歌や料理など一芸に秀でて一流の人、そういう人のメンタルに触れると、悲しみのカードを自分が持っていることなど、忘れてしまうのです。

これは効きますよ。落ち込んでいる方は、ぜひ、メンターを探して会ったり話したり本を探してみたりしたらいいと思います。

そういう人がいなければ、聖書や仏典を読むのがよかろう。(これは宗教に走れ、という意味ではなく、古今東西、みな悪いカードに振り回されていて、それを先人たちがどう解決したのかのヒントが詰まっていると思うからです)

あるいは、NHKの「トップランナー」という番組は即効性があります。やらせ部分もあると思うけど、言葉のはしばしに、悪いカードを「忘れて」「相手にしない」ためのヒントがいっぱいあります。

相手にしない技術、力とは

相手にしない技術、というのを自分なりに、工夫して身に着ける必要があるとずっと思ってきました。

私は、仮想ゴミ箱を脳内に作って、いやな目にあったら速攻そこに掘り込んだり、不都合なメールや手紙、FAXを見ていいなかったことにして、瞬時に物理的に廃棄してしまったり、色々な嘘のパターンを沢山作って、ややこしいことが降ってきたら、するりと逃げ回るのとかでしょうかね。人それぞれに工夫があると思います。

これを読んだり見たら嫌なことが忘れるツールを沢山作るのもいいですね。スカッシュをすれば忘れる、とか。私は、走ると、たいていのことは忘れますし、映画「八墓村」「戦国自衛隊」を観たら元気が出るかなあ。みうらじゅんさんの「ゆるキャラ番組」とか。そういうツールはストックして置いておくといいと最近気が付きました。

それでもアカンくなったら寝るに限るなw

根本解決には、やはりすごいメンターとの出会いでしょうか。実在するすごい人と話したり本を読んだり作品に触れて、相手への恨みやこだわりを捨てる。相手にしない、というより、気が付いてたら相手にするのを忘れる技術、でしょうかね。

まあ、自分が実際まったくもってそういうすごい人間じゃないけど、そういう人の本を読んだりすると、その人になったかのような気分になるじゃないですかイチローとかww自分は今や(笑)イチローと同じメンタルなんだから、そんな自治会のじじいのことなんてどうでもええわい、ぐひひひ、とかさ。上から目線で、自分は大物だから相手にしないのさ~と。公の場でそれをしたら裸の王様で大問題ですが、心の中で考えることだから、いいじゃん、別に。

自分が、手塚治虫やら吉田茂とか叶美香になった気持ちでいて、自分をいらだたせる人や事象を「相手にしない」でいることが出来るなら、いくらでもやったらええと思うんですな。

成功してはる人ほどそういう工夫が上手いんじゃないでしょうかね。(と思うのですがどうでしょう)

彼らは一見悪いカードをとってないように見えるんですが、毎日、悪いカードもいいカードも取ってるんですよ。そういうものとの付き合い方、悪いカードを「相手にしない」技術に長けているのではないかと。きっと自分のなすべきことだけに情熱をかけて夢中になり、邁進してはるんでしょうな。そういう人になりたいわな。先は長いけど。